仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」第3号。1997年4月。

 

 

船上の神話学者 J. G. ヘルダー

                             ―自然と神話―

 

 

                                            松山 雄三

  ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの文芸学、歴史哲学等の広範囲に及ぶ躍動的な活動を支えているものは、この地上で人間に幸福をもたらすために「人間の魂」の核心を探り出そうとする不断の学びの精神である。そしてそれはまたヘルダーが人間精神の理想として追い求めるフマニテートの精神にも通じる。ヘルダーは次のように述べる。

 

   私が哲学者であると言ってよければ、また哲学者でありうるならば、様々なことを知覚し、様々なことを経験した人間の魂について書かれている著書、それこそは私が書くべき著書なのです。私は人間として、人間のためにそのような著書を書きたい。それは人間を啓蒙教化するものでなければならない。(SWS 4,368)

 

  ヘルダーが司教座聖堂附属学校の教師の職と説教師の地位を突然辞してリガを後にするのは、ヘルダーが理性的な存在であるのみならず感性的な存在でもある人間の実相をあくことなく追求する人物なればこその行動である[1]。聖職者、教師、更に『現代ドイツ文学断想』や『批評の森』の執筆により著述家としても名を成していたヘルダーのリガでの生活は、外見的には順風に帆をあげているように見えるのであるが、その実彼の心のなかでは自己葛藤の嵐が吹き荒れている。ヘルダーはリガでの生活を回顧し、『私の旅日記』において次のように述べる。

 

   私は私の人間らしい人生から、かなりの歳月が失われてしまったことを悲しんでいる。人間らしい人生を享受することは、私にだけ拒まれていたのか。運命自らが、人間らしい人生のために書き上げた構想全体を、私に見せてくれたのではなかったのか。(SWS 4,346)

 

    花しかつけていないのに、果実を実らせているかのように装い、或いは装わなければならないとは、なんという償いきれない損失だろうか。しかもその果実は本物ではなく、早々と自ら落下するだけでなく、樹木の枯死をも示している。(SWS 4,347)

 

 聖職者としての生活であれ、教師、或いは著述家としてのそれであれ、それどころか市民としての平凡だが安寧な生活さえもが、実はヘルダーにとっては、博識と偽善を装わせる偽りの生の状況へ若年の彼を陥らせ、「人間の魂」の本質を見極めようとする彼のあくことない学びの精神に、足かせをはめようとする場であるかのように思えるのである。そこでヘルダーは自分の将来の生き様についての確固たる見通しを立てた上での行動ではなかったのであるが、心の声が導くままに、本来的な人間的生の奪還だけを目指してリガの町を旅立つ[2]。そしてこのようなヘルダーの心底からこみ上げて来る熱い願いをかなえてくれるかのように、波荒い厳しい北の海を進み行く船の上での実践的な生の体験と絶えず心に浮かぶ様々な思いは、ヘルダーに新たな人間的生の享受を可能にしてくれる。それ故、リガでの生活を回顧し、船上での体験と思考を綴る『私の旅日記』は、まさにヘルダーの精神的発展における重要な転換期において書かれたものである。この『私の旅日記』は1769年6月にヘルダーがバルト海沿岸の町リガを船出し、バルト海と北海を経てフランスの港町パンベフに上陸し、そこからナントへ、更にパリへと旅した折に書かれた日記風の記述書である[3]。しかし旅日記にしては一風変わっていることは、日付の記載や旅の途上で目にする自然の風景そのものについての詳しい記述があまり見られず、むしろヘルダーの心の中でかつて想起されたことのある、或いは船上での体験から現に類比的に思い浮かべる様々な事柄、例えば神話的世界、学校教育、文化政策、人類の歴史、芸術等についてのヘルダーの考えが記されていることである。しかも、この日記は旅の経過に沿って日々記されたものではなく、大部分はナントに着いてから書かれ、その他の部分はパリで書き続けられ、それでも完結を迎えることができずに未完のままに残されていたのであるが、ヘルダーの死後四十余年になる1846年になってようやくヘルダーの子息エーミール・ゴットフリート・ヘルダーの手によって発表されたのだった。それ故、ヘルダーがこの日記の記述内容と文体のままでの発表を意図していたのか、或いはこの日記形式の書の刊行をそもそも望んでいたのかどうかさえ明らかでないのであるが、それだけにこの書はヘルダーの心の素朴な告白の書と位置づけることができる。そこで本論においては、この『私の旅日記』で綴られているヘルダーの様々な関心と思考の織物から、特に神話に関するヘルダーの思想について考察を加え、彼の神話論における思想的変遷の跡付けを行う一助にしたい。

 

 

 ヘルダーの神話論に言及する場合、まずギリシャ神話とヘルダーの神話思想の関わりから考察しなければならない。なぜならばヘルダーはギリシャ神話との関わりから神話の構成的特質や文化的意義を認識し、更にそこで培われた神話論を北欧神話やユダヤ神話等の世界の様々な神話に普遍的に応用し、理性時代における神話の生きる道を切り開くからである。また、ここで忘失してならないことは、ヘルダーがギリシャ神話について述べるときには、古代ギリシャの地に発し、そこで綿々として語り継がれている神話も、更に古代ギリシャから古代ローマの地へもたらされた神話をも含めていることであり、それ故例えば、ホメロスとヘーシオドスによる神話も、オウィディウスによる神話的寓話等についても考察がなされていることである。まさにヘルダーは時間的・空間的な柵を越えて、彼がポエジーの源と見做す神話なるものの核心に迫ろうとする。

 まずギリシャ神話を含めギリシャ文化全体に対するヘルダーの文化観から考察を加えることにしたい。ヘルダーはギリシャ人全体が素朴な自然の息吹を無意識的に感受しつつ詩的な精神を育み、ヨーロッパの、更には人類の文化形成の源となる純朴で神々しい文化を構築したことを讃えて次のように述べる。

 

   ミネルヴァの寵児であるギリシャ人は、造形芸術においても文芸においても、彼らの作品の理想と美しい自然がまさに一体となって一つの像を作り上げるという幸運に恵まれて、仕事をした。ツキディデスがアテネをギリシャ人の芸術の都と呼んだように、ギリシャから美しい自然の神殿と聖なる森が生まれたのであり、ギリシャから野蛮人でなくなったヨーロッパの大抵の国民は法と規範を得たのである。(KH 1,303)

 

  ヘルダーが民族の文化について考察するとき、その文化論的評価の拠り所になっているものは、当該文化の文化的形成がその民族全体の固有な文化的精神の発露としてなされているのか否かということである。ヘルダーが素朴な自然と一体となって育まれたギリシャ文化について考察するときには、その対局としてペルシャが想定されているのだが、ヘルダーはどの民族の文化にも開花と衰退といった変容の不可避的な流れがあることを指摘した上で、ギリシャ文化を過去に生みだされた人類文化のうちで最高のものとして称賛し、その根底に独創的・固有な文化形成と民族全体の精神文化の発露を見いだしている。但し、ギリシャ文化に絶対的な価値をおくこともなければ、神聖視することもない。これに対してペルシャの民族に窺えるような破壊的な征服精神が真の文化を形成・発展させることはできなかったと見做している[4]。ヘルダーは、文化の生成と発展を生み出す根源的な力を個々の人間のうちに認め、但し、この個々の人間が内に宿す、本来的に形成すべく定められている、また形成の力を潜めるものが、個人としてではなく、全体的存在として、十全に開花結実するときに、理想的な文化の生成・発展が可能であると見做している。しかも、ヘルダーにとって個と全体の理想的な関係は、譬えて言えば、鎖の環とその個々の環の集合体からなる鎖のようなものである。ヘルダーは個の存在意義を全体の存在のための自己犠牲的なものに求めるのではなく、個がその存在の自立性を保持しつつ、且つその存在が全体の存在的基盤の一隅に座するようなものであることを希求する。それ故、いかなる民族の文化についても、ヘルダーはある民族の文化を他の民族の文化的発展のための犠牲的手段と位置づけることなく、それぞれの民族がそれぞれの文化の十全なる開花に努めることを求める。なぜならば、ヘルダーは、最高の文化的開花の可能性を全ての民族の文化に認めるからであり、また文化的形成を求める各々の民族の精神が人類全体の文化的発展に必ずや通じると確信するからである。ここにヘルダーの文化論が民族文化の枠組みを越え、民族の集合体としての人類の文化を究極的に対象にしていることが窺われる。

  そしてヘルダーが古代ギリシャ・ローマの神話の文化的特質や意義について言及するときには、やはりこの固有な民族精神の全体的生成と発展の視点から考察している。例えば、ヘルダーはギリシャ神話の作者の中で特にホメロスを高く評価するが、それはギリシャ人にとって、ホメロスの心が彼ら自身の心であり、しかも一種の共通感情の惹起による、ギリシャ人全体に流れる民族の心そのものの表出であると解するからである。それどころか、むしろヘルダーはホメロスを人類文化の基礎を築き上げたギリシャ人全体の代表者と見做している、と表現する方が適切であろう。それ故ヘルダーによるホメロス賛美は、ホメロス個人に対するだけでなく、詩的な精神に溢れ人類文化の形成に最大の貢献を果たしたギリシャ人全体に対する衷心よりの称賛と敬意をも意味する。ヘルダーはホメロスについて次のように述べる。

 

ホメロスの言葉は神の言葉であり、新しい言葉であったが、ギリシャ人全体に理解された。なぜならば当時賢者の言葉と一般の者の言葉の間に、高貴な者の思考法と卑しき者の思考法の間に、相違はまだなかったからである。ホメロスが歌うところのものは、神々の言葉であり、同時に卑しい者の洗練された言葉であった。[・・・・・]当時、ホメロスの言葉はまさに一般の者たちの言葉であった。文芸に秀でた者が後世より多くおり、詩人自身の存在も珍しくなかった。(KH 1,314)

 

  たとえ特定の詩人の手になるものがあるとしても、ギリシャ神話は特定の詩人の個人的な思想の表出ではなく、ギリシャ人全体の文化的精神を神話形成の根源として生まれ出たものである。

  更に、ヘルダーは古代ギリシャ・ローマの神話の研究から、神話の構成的特徴を分析的に明らかにし、また神話の新たな文化的活用の道を探る。このような研究の足跡は、その著『現代ドイツ文学断想』第三集(1767 年) 、特にその第二章「神話の現代的使用について」や、『批評の森』(1769 年) に窺うことができる。神話を古代人の迷信と妄想に帰するクリスティアン・アドルフ・クロッツの批判[5]に窺えるように、十八世紀の啓蒙的理知主義は神話を理性的な時代の文芸から放逐しようとするが、ヘルダーは「神話が我々に宗教的概念、真理の像を与える必要はない」(KH 1,433)と述べて、この啓蒙主義思想の偏狭な攻撃の矛先をかわすためにも、神話を宗教的視点から考察することを避け、また妄想と批判される神話的世界の想像的造形についても、神話が神話的世界以外の一般的な世界の真実に沿う必要のないことを説く。しかもなによりもヘルダーの関心は古来伝承されてきた神話の個々の内容よりも、神話の描出様式に向けられる。なぜならば人間の「感性的な直観」(KH 1,433)に訴えてその世界を具体的・形象的に描きだす神話の描出様式は、啓蒙主義思想が露呈する弱点、つまり理性の偏重によって引き起こされる人間精神の歪みや、概念的な思考に通じがたい者に対する啓蒙教化の放棄を是正・克服し、調和的な人間精神の形成を可能にするからである。

  またヘルダーは神話が時代を越え、所を越えて生き続ける神話固有の伝播性を見極めようとする。まずヘルダーは、神話に登場する神々の名称とその固有な属性の固い結びつきに関心を寄せる。神々の名称とその属性の関係は、名称が属性を、或いは属性が名称を直ちに連想させ得るほどに、古来、一般によく知られている。そのために神々の属性についての詳細な描写は必要とされず、むしろその属性の描写の簡略や省略による類推的想像の妙が神話において生かされることで、神話の想像的世界は一層詩的に想起される。またこれと同様なことは、神々の名称が伏せられて属性を中心に神話が構成されている場合についても言える。そこでヘルダーは、神々の名称とその属性の間に窺われる普遍的な連想の作用を神話の不変的な「詩的存続性」(KH 1,433)と命名する[6]

 しかし神話は不変的な構成要素にだけその存続と発展の可能性を託するのではない。神話は時間的、空間的変化に伴って不可避的に要求される可変性を受け入れなければならない。そして神話がその永続的な発展を託する可変的な要素について、ヘルダーは古代ギリシャの造形芸術を念頭に想起し考察を加える。特に、メドゥーサ像が我々に与える美感と恐怖感という相反的な感性的作用についてのヘルダーの解釈は、造形芸術家の絶妙なる芸術的技の神髄を我々に認識させる。ヘルダーはヴィンケルマンやレッシング等からの芸術論的影響とそれらに対する思想的対決を経て、古典古代の芸術美の新たなる受容をはかる。特に、従来主張されている造形芸術の美の法則―「造形芸術における第一の法則は美である」[7]―に固執することなく、ヘルダーはギリシャ彫刻の造形的妙技を造形対象の美的性格とこれに対立する性格(例えば嫉妬心とか威圧感等)の併記的造形に見いだす。そしてメドゥーサ像については、その容姿の生来的な美は美しく作られた顔立ちの中に保たれ、一方彼女の恐ろしい性格は彼女の髪の中に差し入れられた蛇によって象徴的に示されることで、メドゥーサの相反的性格が芸術的品位をそこなうことなく併記的に造形されている、とヘルダーは説く。しかもヘルダーの主たる関心は造形芸術における美的な表現形式よりも、怒りとか嫉妬といった二次的な性格を暗示するために様々に造りだされる可変的な造形の妙に向けられている。そしてヘルダーは、このような副次的なものの可変的な描写一般を意味する用語として「詩的副理念」(KH 2,115)という表現をあて、この「詩的副理念」の考えを彼の神話論にも応用する。つまりヘルダーは、神話が不変的な「詩的存続性」とともに、可変的な「詩的副理念」と命名される基本的構成要素によって支えられ、更に人々の「感性的な直観」の助けを得て、時間的・空間的柵を乗り越え生き続ける、と説く。

 しかもこの「詩的副理念」の思想はその可変的な表象性を基盤に据えるものであることによって、人間文化の発展的変遷に沿う自在な変容を神話にもたらす。それ故ヘルダーが神話のこの可変的な構成要素の働きに強い関心を寄せるのも、そこに後世の人間の想像力による産物を神話に織り込めるからである。

 

    至福な安寧の中にいるもの以外に何も伝えない神話は、詩人にとってきっと死んだ、単調な神話であったことだろう。そしてギリシャ人を文芸で際立たせることはできなかっただろう。しかし、この副理念、下位概念、可変的な表象があるということだけで充分なのであった。このようなもののところでは、詩人は本当に幸せだったし、芸術家も居心地が悪くはなかった。(KH 2,115)

 

  更にヘルダーは、古代の神話の新しい活用の道を「詩的発見術」の学習と呼び、「我々自身が発見者となるために、詩的発見術として古代人の神話を学ぼう。このような観点から神々の話が、そして英雄たちの話が吟味される。[・・・・・]そしてこのような研究から詩的天才が生まれるに違いない」(KH 1,449f.)と訴える。この「詩的発見術」とは、神話の可変的要素である「詩的副理念」の実践的活用のためにも、神話の中で描出される逸話とその展開を、全体的視点から考察しながら理性的に分析し、そこから根源的な生に関わる普遍的な命題を導き出し、更にこの普遍的な命題を個別的な事例へと詩的に構想していくという、ヘルダー自身の表現を借りるならば「哲学者の分析」と「詩人の綜合」、或いは「還元の精神」と「仮構の精神」(KH 1,449f.)を古代の神話の中に発見し、分析的な理性と相互に結びついた想像力の美感的・詩的蘇生を図ること、アレゴリー化の術[8]を古代人の神話に学ぶことである。しかも、ヘルダーが「我々にとって、いわば全く新しい神話を創造するには、多くの困難がある。しかし、これに比べれば、古代人の形象の世界から、いわば我々にとっては新しい神話を見つけ出す術を学ぶことは容易である」(KH 1,450)と述べるように、この時点でヘルダーが目指すものは、全く新しい神話を創造することではなく、既に創造されてしまっている古代の神話に、時代、或いは民族の精神文化的要請に沿った変化を加え、生き返らせることである。

  ヘルダーは古代の神話を単なる遠い時代の、見知らぬ国で生まれたたわいのない空言として、実践的な現実の生活から放逐し、或いは片隅に追いやるのではなく、古代の神話に近代の文化的要素や民族性を織り込むことにより、神話的世界の事象に生気と明瞭性と詩的真実性を付与し、神話の新たな生の蘇生を図る。それ故ヘルダーが意図する新たな神話においては、民族精神を含めて古代と近代の文化的要素の止揚的な混在が求められる。そしてそのことはヘルダーが古代の神話の文化的価値を認めながらも、絶対視することはないことをも意味し、ここに古代の神話と近代の神話の文化的価値の同等性も主張される[9]

 こうして神話の近代的活用の道を模索するヘルダーの神話的関心は、古代の神話の構成についての分析的研究から神話創作への傾向を辿るようになる。ヘルダーによって神話の普遍的な存続と発展を支える二つの主たる要素と見做される「詩的存続性」と「詩的副理念」のうち、可変的な「詩的副理念」の思想がヘルダーの関心を専ら占めるようになり、ヘルダーを神話創作の道へ、但し当面は全く新しい神話を創作することではなく、古代の神話に近代的な衣装を着せて、詩的に若返らせることへと駆り立てる。

 

 

  ギリシャ神話についての研究はヘルダーに、神話が民族全体の固有な文化意識と精神の自然な発露の結実であることを認識させるとともに、神話の基本的な構成要素の解明に基づく神話の近代的な活用、特に民族の精神や時代思潮の要請にかなった神話の創作の道を積極的に模索させることになる。しかも、ヘルダーの神話思想には、ギリシャ神話にだけ人類の文化的発展のための礎としての役を託するような考えはなく、それぞれの民族精神を凌駕する宇宙的な視点から捉えた民族性尊重の思想に基づき、多様な民族神話の文化的萌芽を愛でながら、調和的な人類文化の向上を期する願いが込められている。そしてこのような神話観は、ヘルダーがやむにやまれぬ生の衝動に駆られて新たな生の歩みを始めることによって―特に船旅の途上で遭遇する神話体験を通じて―古代神話の近代的蘇生を追求する姿勢から、次第に詩的神話の創作への萌芽を膨らませることになる。

 1769年6月にフランスに向けてリガを船出したヘルダーは、船上での神話体験を通じて新たな神話観を抱くようになる。遮るものの何もない大海原と絶えず揺れ動く船上での生気溢れる躍動的な生活は、陸上における息詰まるような市民生活での束縛からヘルダーの心を解き放ち、ヘルダーの生の歩みと人生観に、そして彼の文化的・歴史哲学的思想等に決定的な転換をもたらすことになる、否、むしろヘルダーの心の奥に閉塞させられていたヘルダーのあくことない学びの精神をのびのびと飛翔させることになると表現する方が適切であろう。船での生活に一つの自立的な生活共同体を認めるヘルダーは、従来の偏狭で、固陋な陸上での生活規範に決別を告げ、「空と海の間に浮かぶ船は、なんという広い世界について考えさせることか」(SWS 4,348) と新たな生の感動に震えながら、その船での生活体験を基盤にし、自分自身の偽らざる生の信条に基づく主体的な自己形成の道を求める[10]

 

   おお魂よ、お前がこの世界から外へ出ると、どんな世界が眼前に開けると思うか。偏狭で、固陋な、制約された中心点は消え失せ、お前は大気の中を飛び回ったり、海上を泳いだりする。これまでの世界はお前の前から消えてしまう。お前の足下に消滅してしまったのだ。なんという斬新な考え方か。しかし、それには涙と、後悔と、古きものからの脱出と、自責の念とが必要である。(SWS 4,349)

 

 ヘルダーは青春時代の貴重な生のエネルギーを虚しく費やしてしまったことに対する悔恨の念を抱きつつ、それどころか従前の生の歩みの否定にもつながる痛みと引換えにしてさえ、躍動的な新たな生を支える斬新な思考を我がものにすることを希求する。ここに人間本来の素朴な精神を取り戻すために真の生の歩みを究めようとする、人間の生に対するヘルダーの真摯な学びの姿勢が窺える。ヘルダーは船上で目にする波と波の衝突、風の音、月や星の輝き等の自然現象を前にして、彼の想像力を自由に飛翔させる。慣習や倫理に規定された市民社会における規範的概念は、もはや斬新で大きく飛翔するヘルダーの思考を束縛・規定できなくなる。ヘルダーは「海水は比較的重い空気であり、波と潮流は海水の風である。魚は海水の住民であり、水底は新しい大地である」(SWS 4,351) と想像したり、「上へ上がってくる魚は鳥に過ぎない。その鰭は翼に過ぎず、その泳ぎは飛翔である」(SWS 4,351) と思い浮かべたりする。それどころかヘルダーは海中を泳ぎ回る鰊の群れを見て、次のように想像を膨らませる。

 

 「移動する鰊の群れの中に[・・・・・]彷徨する北方民族の歴史を見いだすだろう。人間の性質と海洋生物の性質を、そして気候を次々に解明するのに、また世界の出来事の歴史を解明するのに、これらに対してなんという偉大な展望が開けることか。」(SWS 4,351)

 

  ヘルダーは壊れやすい空想の世界に浮遊するのではなく、躍動的で現実的な生を起点とし、更にそこで捉える生の充足感と認識を人類の歩みに向けて類比的に発展させていく。しかも現実的な生の世界、自然に対する観照から発するにもかかわらず、そこでヘルダーが求めるものは合理主義的な思想体系に拘束される世界ではなく、多様な発展の萌芽を潜める人間の源初的な魂の世界なのである。自然はもはや書物等の知識からの間接的な媒介によって認識されるものではなく、事象そのものの直接的な観照から捉えられるものとしてヘルダーの眼前に立っている。しかもヘルダーは自然現象を客体として観察するのではなく、自然現象の感受から捉えるものを自己の魂に同化させていく。ヘルダーにとって自然現象は具象的なものであるにもかかわらず、同時に精神の世界に無意識的に浸透するものとして捉えられている。それ故、その際ヘルダーの想念からは時間的・空間的な柵は消滅しており、まさに束縛する何ものもなく、想像力が駆り立てるままに自由に、過去に遡っては人類の歩み来た道を、また未来に向かっては人類の進み行く道をヘルダーの思考は飛翔する。しかも、そこで類比的に想起される人類の歴史は孤立的なものではなく、連続する流れとして、しかも各々の歴史的事象は他の事象の発展のために犠牲的に生起するのではなく、各々の文化的発展と結実のために存在する、と把握される。かくしてヘルダーは自然現象の感受と認識から人類の歩みについて哲学することを学ぶのであるが、その際の哲学的認識の原理を他者から援用してくるのではなく、自己自身の中からその原理を引き出し得ることに目覚める。もはやヘルダーにとって、過去における人類の歩みについての回想も未来の人類像に託する想いも空しい空想や妄想の産物ではなく、自然現象という現実的な事象、現実的な場を契機とする、但し類比的想起という想念の発生の原理を自己自身の中に持つ現実的な認識なのである。

 

 「こうして私は船上の哲学者となった。[・・・・・]しかし、書籍と道具を用いずに自然から哲学することをまだ十分には学んでいない哲学者になった。もしもこのことができたとするならば、広大な洋上の帆柱の下に座りながら、空、太陽、星、月、大気、風、海、雨、潮流、魚そして海底について哲学し、これらすべての物理を自分自身の内から見つけ出し得るなんという立場だろう。自然の哲学者、これが弟子を抱えるお前の立場でなければならない。彼と共に広い海に立ち、彼に事実と現実を示しなさい、そして彼に言葉によって教えるのではなく、彼自身に全てのことを自ら説明させなさい。」(SWS 4,350)

 

 そして想像の世界を実在論的に捉えることが可能になったヘルダーにとって、そのような意識は神話の世界についてもあてはまる。つまり、ヘルダーにとって神話の世界は、理性と感性へとまだ分裂をきたしていない古代の人々の素朴な生活意識から自然に生まれ出たものであるだけでなく、理性と感性の平衡的な混在の状態にいることが可能であるときの近代人の素朴な心の表出でもある。このような近代人の神話的意識をヘルダーはまず予言や奇跡を信じる船乗りの心に見いだす。ヘルダーは、船上で暮らす者の運命が自然の現象に左右されるために、彼らが自然の僅かな徴候にも注意を払うようになり、その結果自然現象に対して「一種敬虔な気持を抱きつつ驚き凝視し、兆候を探究することにもなる」(SWS 4,356) ことを指摘する。

 しかも、ヘルダーは船旅での体験で自然の根源的な力、自然の恐ろしさや近寄りがたさを知っただけではなく、援助の手を差し延べてくれる月や星の声に聞き耳を立て、自然の慰めるような、安全を予感させるような兆候にも接する。

 

   そのとき月は大きく、唯一つ空にかかっており、そして大気と海と時間に強く影響を及ぼしていた。その静かな銀色の月に、畏敬の念とともに祈りが捧げられたのだった。そのとき、霧深い夜の船乗りのように、救助の手を差し延べるある種の星に、カストールとボルックスに、ヴィーナス等にどんなに熱心に耳を傾けたことだろうか。(SWS 4,357)

 

 船旅での神話的・詩的な自然体験において、自然の現象は脅迫的・威圧的でありながら、また同時に故郷での安らぎのようなもの、優しさのようなものも覚えさせる。特に、ヘルダーが神話体験を自然現象に対する恐怖感だけでなく、安らぎの感情にも結びつけて体験・考察していることは、神話の発生要因を探る上で強い関心が持たれる[11]

 しかもなによりもヘルダーの神話論について記すべきことは、ヘルダーが神話の世界を現在的なものとしても捉えていることである[12]。『現代ドイツ文学断想』や『批評の森』で展開される神話論は、A.クロッツ等の啓蒙主義思想家たちの神話批判に対するアカデミックな論争であったが、船旅での神話体験を契機として神話の世界はヘルダーにとって現実的な生の世界の領域にもなる。

 

    自然のすべてに、最初の神話的時代を説明するデータがある。自然に不案内であったために兆候に耳を傾けたし、そして耳を傾けなければならなかったので、つまりあのときまで、海を知らずに、船でギリシャに渡ってきた移住者にとって、一羽の鳥の飛翔は厳かなことであったし、そのようなことは今でも実際に、広大無辺の天空や、無人の大海原で体験できることである。あのときジュピターの稲妻は恐ろしいものであったが、そのようなことは今でも海上で起こる。(SWS 4,356)

 

  ヘルダーはこれまで神話の生成について古代人の素朴な心意状態との関わりから考察を加えてきた。ヘルダーのこのような神話観の形成には、ゴットロープ・ハイネの神話的思想から受けた影響がうかがえることが、ユルゲン・ブルマックやクリストフ・ヤメ等により指摘されている[13]。残念ながらハイネの一次資料を手にすることがかなわないので、ブルマック等のハイネ論ということになるが、彼らはハイネの神話論の中心的論説を次のように解釈する。つまりハイネは、言語的にも思考的にも未丁年で文字を持たない古代人が、猛々しい自然や激情的なことに晒されたときの心の表出として神話を捉え、しかも古代のある世代の人々全体の素朴な心意状態の表れであると神話を見做している、と。しかしヘルダーは船旅で神話体験に遭遇することにより、その際に惹起される神話的意識が古代人の抱く神話的世界観と同様なものであることを、つまり彼自身の体験が人類の初期の世界に生きた人々のそれにも通じるものであることを認識する。ヘルダーは人間の感覚と意識が超時間的・超空間的なものであり得ることを神話体験を通じて認識する。それではヘルダー個人の神話体験を古代人のそれに結びつける認識の根拠はどこにあるのだろうか。ヘルダーはその著『人間の魂の感受と認識について』において外的対象を捉える際の感受・認識について次のように述べる。

 

   私は魂が自分の内にも自分の体にも類似してないものを、どのようにして自分の外で感じるのかを考えることさえできない。もしもこの体の中に光や音がなければ、我々は広い世界で光や音であるものについて感覚を持つことはできないだろう。もしも魂自身の内に、或いは魂の周りに光や音に類似したものが何もなければ、それについての概念もあり得ないだろう。(SWS 8,193)

 

 ヘルダーは外的事象、自然を凝視しつつ、対象から感受する感覚的経験を認識へとたかめていく。ヘルダーの認識論によれば、人間の内奥の魂が外的対象から押し寄せる様々な感覚の波を寄せ集め、それらを選択・浄化しながら「明らかな一」(SWS 8,193) として自己の魂に同化させることにより、人間の認識は成り立つ。しかし、人間の魂と肉体は密接な連携に基づく共働を通して外的事象である自然を感受・認識するわけであるが、そもそも対象の存在性を感じ・捉えることのできる基になる原理が人間の魂の中に予めなければ、殺到する感覚の波そのものを捉えることはできない。人間の魂が白紙、無の状態であるならば、外的対象に対する感覚そのものが無の状態、つまり感覚自体が成立しないからである。それ故、ヘルダーが「神の掟は既に火の文字で魂の核心に書き込まれている」(SWS 8,248) と述べるように、外的対象を感受し、多なる感覚の波から「明らかな一」へと捉え上げていくために必要な、外的対象に対する感受・認識の原理が人間の魂には生得的に書き込まれている、とヘルダーは見做す。しかしそれと同時に外界には、人間の魂の中に同化させられ得るに足るもの、つまり人間の魂の核心に書き込まれている感受・認識の原理に応じる類似のものが存在しなければならない。魂に固有なものが自然の中に見いだされ、且つ自然に固有なものが魂の中に見いだされるとき、つまり魂と自然の中にそれぞれ相互に類似的・同質的なものが捉えられるときに、感受と認識が成り立つ。それ故、ヘルダーが船上で荒れ狂う波や風に戦慄と恐怖を覚え、道標となる月や星に安らぎと慰謝を感じ、そのような自然に対する感受から神話的意識へと自己を没入させるのも、ヘルダーの魂の中には予め神話的意識を覚える原理が書き込まれているからである。

 ヘルダーの神話体験は単なる空想や妄想の世界の出来事などではなくて、恐ろしい顔と優しい顔を併せ持つ自然の根源的な力を眼前にするときに惹起される、現実の現在的な意識に基づくものである。神話は古代人の世界体験の総和であるばかりか、時間的・空間的な柵を越える、人間の素朴な心的体験の表出でもある。しかも、ヘルダーが海上での神話的実体験を個人的な体験の域にだけとどめ置くことはない。主体的存在としての自己の形成を求める意識は、ヘルダーを自己閉鎖的な存在に陥らせることなく、全体なるものに向かうべく自己を定立させる。ヘルダーはその想像力を駆使して、彼の個人的な体験を世界の様々な事物や事象に類比的に飛翔させ、様々な民族の文化的発展の流れを探究することにますます強い関心を向けるようになる。かくしてギリシャの海ではなく、北の海での神話体験がヘルダーの思想形成にもたらすものは、人間の魂、人類の文化的歩みを見極めるために、不思議なもの、冒険的なものを、それどころか神話を含めて、様々な時代の様々な世界の文化的事象を、歴史的連続性[14]のうちに発生論的に明らかにすること、つまりそれらの成立の源泉に遡って、それらの成立の場で、それらの文化的独創性と固有性、並びにそれらの共生性を解明することへの認識なのである。また、この神話体験は『現代ドイツ文学断想』や『批評の森』で展開されているヘルダーの神話論を否定するものではない[15]。ヘルダーを神話研究に駆り立てているもの―それは本論の冒頭でも言及しているように、彼の広範囲に及ぶ文芸学的・歴史哲学的活動についても言えることであるが―は、「人間の魂」の核心を明らかにすることである。そのためには古代の神話について学ぶことも、神話の現在性を体験することも必要である。確かに神々の名称とその属性に関わる不変的な「詩的存続性」の思想は、一義的に理性化された人間精神に平衡をもたらすために発せられた、感性的直観と詩的想像力の覚醒を希求する内奥の声の前に姿を消していく。しかし、古代の神話のもう一つの基本的構成要素と見做される「詩的副理念」は、その心の声に一層励まされ、且つ古代の神話を「詩的発見術」の学習の場として学ぶという神話活用論と一体となって、古代の神話に民族の精神と時代思潮に則した精気ある変容をもたらすことになる。しかし古代ギリシャ神話、古代ギリシャ文化の隆盛がその独創性に支えられたものであることを認識するヘルダーにとって、他民族の文化的財であるギリシャ神話を借用することや、それに部分的な変容を加えることではもはや満足できなくなる。やがてヘルダーは古代ギリシャ神話をはじめ古代の神話に全く依存することなく、後世の人間の独創的な想像力による全く新しい神話の創作を求めるようになる。そして神話の「現在性」を体験するということは、まさにこのような新しい神話創作の願望を実在論的に支えるものである。神話は始源的なものに対する関心の対象であるとともに、現在的な関心の対象でもある。

 

 



 

本文および注における引用には次の略記号を用いた。略記号に続くアラビア数字は順に巻数、頁数を示す。

SWS: Herders S#mmtliche Werke. Hrsg. von B.Suphan. 33 Bde. Berlin. 1877-1913.

KH : Johann Gottfried Herder Werke. Hrsg. von M.Bollacher u.a. 10 Bde. Frankfurt

 a.M. 1985-1994.

 

[1] ヘルダーの突然の旅立ちの理由については、その著『現代ドイツ文学断想』をめぐるハレ

大学哲学教授A・クロッツとの確執も大きな要因に挙げられる。Vgl.J.G.Herder: Journal

meiner Reise im Jahr 1769. Hrsg. von K.Mommsen. Stuttgart(Reclam). 1976. S.193ff.

[2] H.A.コルフはヘルダーの行動的な姿勢を指摘し、「真に生きるとは、反省することではな

く、行動することである」と述べる。Vgl. H.A. Korff: Geist der Goethezeit. I Teil.

Leipzig. 1923. S.77.

[3] この書の成立史と旅の日程等についてはレクラム版『私の旅日記』(前掲書)の解説(S.187ff.) を参照されたい。

[4] ヘルダーはペルシャのように他民族に対して破壊行為を行った民族を否定するが、同じく

破壊行為を行ったローマについては他民族の文化を広く伝達した点ではその働きを認める。

参照。「ローマはカルタゴ、コリント、エルサレムを、そしてギリシャ世界やアジア世界の

多くの繁栄する町を破壊した。[・・・・・]不思議なことにローマはヨーロッパの文化全体への

急速な、恐ろしい橋渡しになった。」(KH 6,575f.)

[5] ヘルダーはA・クロッツの次の言葉を引用する。「神話が基づいているものは古代人の誤謬と迷信以外の何ものでもない。」( KH 1,433

[6] この「詩的存続性」、また後述する「詩的副理念」と「詩的発見術」の思想には、レッシ

ングの『寓話論』と『ラオコオン論』からの影響が窺われる。筆者はヘルダーの神話観に

及ぼしたレッシングの影響について考察を加えたことがある。参照。拙論: 青年期ヘルダ

ーの神話論について。東北薬科大学「一般教育関係論集」第十号。1997年。

[7] Vgl. G.E. Lessing: Werke. Hrsg. von K.Wolfel. Frankfurt a.M. 1967. Bd.2. S.35ff.

[8] H・ゴッケルはヘルダーが神話研究を通して「真実を詩的な衣装に包み込む」というアレ

ゴリーの概念を広めたことに言及。Vgl. H.Gockel: Herder und die Mythologie.

In: Johann Gottfried Herder. Hrsg. von G.Sauder. Hamburg. 1984. S.411.

[9] Vgl. Hans Muller-Michaels: Ich bin Epimetheus. Der Mythos der Bildung. In:

Johann Gottfried Herder. Geschichte und Kultur. Hrsg. von M.Bollacher. Wurzburg

1994. S.167ff.

[10] H.A. コルフは旅立つヘルダーの心境をファウストに準える。またヘルダーを「ドイツのルソー」と呼ぶ。但しヘルダーが人間文化を批判するだけでなく、自然との共生のうちに文化の若返りをはかる点に、ルソーとの相違を見いだす。Vgl. H.A. Korff: a.a.O. S.75. S.82.

[11] Vgl. H.Gockel: a.a.O. S.414.

[12] Vgl. H.Gockel: a.a.O. S.413f.

[13] Vgl. J.Brummack: Herders Theorie der Fabel. In: Johann Gottfried Herder. Hrsg. von G.Sauder. Hamburg. 1987. S.256f. Chr.Jamme: Einfuhrung in die Philosophie des Mythos. Darmstadt. 1991. S.23ff.

[14] B.v.ヴィーゼはヘルダーの歴史哲学的思想の特色として歴史的始源への回帰と歴史的連続性に対する認識を挙げる。Vgl. B.v.Wiese: Der Philosoph auf dem Schiffe. Johann Gottfried Herder. In: Zwischen Utopie und Wirklichkeit. Dusseldorf. 1963. S.

57.  E. シュタイガーはヘルダーが始源に向かって回帰するが、そこから発生論的に人類の歩みを探究する点を強調する。Vgl. E.Staiger: Der neue Geist in Herders Fruhwerk. In: Stilwandel. Zurich und Freiburg i.Br. 1963. S.58.

[15]Vgl. H. Gockel: Zur neuen Mythologie Romantik. In: Fruher Idealismus und F

ruhromantik. Hrsg. von W. Jaeschke und H. Holzhey. Hamburg 1990. S.130f.

 

参考文献:

海老坂 高:『神話の近代的使用について』―初期ヘルダーにおける神話と文学。慶応義塾大学独文学研究室「研究年報」4号。1987年。濱田 真:ヘルダーにおける神話の問題。慶応義塾大学独文学研究室「研究年報」6号。1989年。