仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」第5号。2001年11月。

 

 

神・自然・人間(二)

若いシラーの叙情詩をめぐって

 

                                     松山雄三

 

シラーは、その生涯を通じて、善かれ悪しかれ近代に生を受けた人間として、近代に相応しい精神文化の形成に真摯な姿勢で取り組み、理性偏重の時代精神によって歪みが生じつつある人間精神を、自然な感性的心情の再覚醒によって、本来の調和的な状態に復そうと意図する。シラーが目指すところは、古代の素朴な人間文化とその源泉である純朴な精神をいたずらに懐古するのではなく、理性の覚醒という近代精神に負わされている使命を肯定的に受け止め、その上で理性と感性の相互補完的な育成による崇高な心情を招来することにある。しかも、このような調和的な人間精神の形成を希求する思想傾向は、早くもカール学院時代に芽生えているのであり、特に敬虔主義派の宗教観とM.メンデルスゾーンやChr.ガルヴェに代表される所謂通俗哲学の思想とによって育まれたのである。シラーの故郷シュヴァーベン地方で人々の心のなかで暖められてきた敬虔主義派の宗教観は、若いシラーに、神への愛と人間を含めた万物への愛を育ませ、普遍的な愛の力こそが人間のみならず万物、ひいては自然、宇宙全体の生成と存続の源泉であることを信じ込ませる。このような愛の力によって育成される心の状態を、シラーは自他超越の歓喜を伴う「幸福」の状態と呼ぶ。しかし、その愛は単なる博愛主義的なものではなく、自己を他者の世界に投影し、自己の生の原理を他者のそれに連動させ、また自己の存在性を他者のなかに滅し、普遍化を図る。さらに、シラーはこの愛の心を、啓蒙主義思想の目標である完全なる人間精神の形成と結び付けて、人間の心の純化・高尚化を求める。シラーにとって、このような心こそが、人間のあるべき本来の姿、理想的な心意状態なのである。そしてシラーは、自然に発する道徳的な心と無私的な愛を通じて、最高完全な存在としての神の徳に向けて不断に接近することが人間の本来の使命であると、自分自身に、そして人々に訴え続ける。このようなシラーの思想はその実践的結果を問うものではなく、時間と空間という柵を越えて、永遠なるものへの接近を不断に目指すという、そして完全なる神の心に等しい高尚な精神の絶えざる形成努力に人間の存在的意義を体感するという、まさしく理想主義的な精神に燃えるシラー自身の熱い心の自己表白である。

そこで、本論においては、カール学院時代やそれに続く見習い軍医時代の頃に詠われたシラーの叙情詩を研究対象として、若いシラーの世界観について考察を加えていきたい。

 

 

シラーが14歳のときに詠んだ詩に『太陽に寄せて』と題する神と自然を賛美する純朴な詩がある。この詩では、神に対する子供らしい素直な心が溢れていて、少し後の時期に頭をもたげてくる抑圧的な現実世界に対する憤怒や幻滅の気持はまだ窺えない。太陽を中心として明るい世界を構成する自然を讃え、かつ創造主としての神の全能に全幅の信頼と敬愛を寄せている。また、自然を前にして、人間の無力さについて詠いながらも、絶望感に陥ることもなく、無力なる存在としての人間の置かれている立場を素直に受け入れ、それだけに人間を庇護し導く創造主に寄せる信心も厚く、人間の運命において示される創造主の慈悲に心から感謝する。

 

    彼方に輝き昇る汝、汝 天の娘を讃えん!

     すべてのものに挨拶し、すべてのものを喜ばす

    汝の微笑みの愛しき輝きを讃えん!(NA 1,51)

 

シラーにあっては、創造主への敬愛はしばしば太陽に寄せる賛辞となって表れる。しかも、太陽賛美の傾向は、詩に限らず戯曲においても顕著である。戯曲の主人公たちは太陽を中心とする自然情景に接するうちに、虚勢も消え、偽らざる自己の心を取り戻し、自己の真に欲することを認識する。たとえば、シラーが初めて発表した戯曲『群盗』の第3幕第2場、ドナウ河畔の場で、主人公カールは夕日に照らされるドナウ河畔の情景を前にして、純朴であった幼年時代を懐古し、己の独善的な行為を悔いる(NA 1,168ff.)。また次の作品である『ジェノヴァのフィエスコの叛乱』の第3幕第2場では、昇り行く朝の太陽を眺めているフィエスコは、朝日の勢いに己の人生をダブらせ、乾坤一擲、ジェノヴァの指導者になることを決意する(NA 4,66ff.)。シラーは戯曲の主人公に自然、特に太陽への内的な親和性を持たせる。なぜならば、シラーは太陽と人間の心情との間に不可思議な絆を、そしてその太陽を中心に不断の営みを続ける自然と人間との間に働く親和力にも似た結び付きを予感するからである。勿論、その太陽や自然、宇宙を通じて、それらの上方で見守る神的な存在と、自然内存在である人間との強い結合を、シラーは信仰にも似て、固く信じている。

しかも、この賛歌『太陽に寄せて』のなかで、太陽は「殺害者である時の女神」に勝利をおさめる。太陽は万物の生を庇護するとともに、時の制限性を超える存在の象徴でもある。

 

       嗚呼!大地は

    墓場の丘になってしまった。しかし、太陽は天空に留まり、

       殺害者である時の女神に微笑みかける

    そしてその偉大な仕事を果し、天体を照らす。(NA 1,52)

   

人間のみならず、自然界に住まう被造物は時空の制限性によって、その存在にいつかは終止符が打たれるかにみえるが、太陽は個体の類的再生によって個体の類としての存続を図る。しかし、その太陽も「永遠なるものの叱責」の前では「青ざめる」。

 

     おお、もっと長く訪ねよ、我々の住居を、

 高貴なもののなかで最も秀でしものよ、優しく親しげな眼差しを向けよ、

     永遠なるものの叱責で、諸々の星が沈み、

 そしておまえ自身が青ざめるまで。(NA 1,52)

 

シラーは、自然、宇宙のなかで太陽に特別に高い評価を与えるが、その太陽さえをも支配する「永遠なるもの」の全能を忘れることはない。若いシラーの詩に明確に窺われる感情は、自然と宇宙の中心である太陽を讃える純朴な気持と、その太陽を含めて自然と宇宙全体を創造し、かつ慈愛を注ぎつつ支配する神に対する心からの敬愛の念である。子供らしい宗教心が詩句の端々に溢れ出ている。 

 

1776年 B.ハウク主催「シュヴァーベン・マガジン」に発表された詩『夕べ』においても、全体を通じて自然の雄大さと神秘さに対する素朴な感激がみなぎり、その感情がダイナミックに歌い上げられているとともに、その奥底には神的な存在の慈悲深い配慮に感謝する敬虔な気持が流れている。J.ベルナウアーが「この詩は『夕べ』という題を掲げているけれども、夕方の自然情景を眼前にした気持の詳細な描写ではなくて、夕方の自然によってインスピレーションを与えられた詩人の内面の気持の表現が中心的な意義を持つ」[1]と指摘するように、この詩には、早くも自然の観照から生ずる感嘆の気持を単に描写するに留まらず、その感激を観念の世界に羽ばたかせることによって、神的な存在と、それが住まう神的な世界を捉えようとする傾向が強く表れている。観照の感激を観念の世界に飛翔させ、そこに詩人の理想化された思想を織り込もうとする理想主義者としてのシラーの姿勢が、まさに窺われる。この詩に一貫して流れているのは、詩『太陽に寄せて』の延長といってもよい、自然と神に対する賛美と感謝の気持、そしてその永遠の導きを願う思想とである。B.v.ヴィーゼはシラーの初期の詩に窺われる作風の特徴について、「シラー自身の自我がテーマなのではなくて、宇宙がテーマなのであり、あるいは超人間的なものに高められたものがテーマである」[2]と指摘して、次のように述べる。

 

クロップシュトックの賛歌『春の祭典』以来、創造主の創造物を通じての創造主の賛美が、詩人の正当な使命になっている。その点で、当然、叙情的な賛美の詩と呼ばれるシラーの詩『夕べ』も、完全に伝統的な軌道に沿うものである。ここでも問題は神智論であり、創造の素晴らしさであり、そして神が歌という贈り物を授けている詩人による賛美である。[3]

 

B.v.ヴィーゼの前記の指摘にもあるように、詩『夕べ』では最初の詩句からして、自然の営みに寄せる全幅の信頼の気持が表れ出ている。沈み行く太陽を眼前にするとき、詩人は太陽が自らの昼間の仕事を完成しつつ没することを知っている。しかも、ここではまさに没しようとしている太陽が、「他の世界には」「朝の顔」を見せようとしていることについて言及されており、太陽の営みの永続性、永遠性が暗示されている。

 

 太陽は、完成しつつ英雄のように、

  深い谷にその夕べの顔を向ける。

 (それは、ああ、もっと幸せな他の世界には

 朝の顔なのだ。)

 それは青い空から降りて行き、

 仕事に休息を呼び掛け、

 その別離は世界の喧噪を沈める、

 そして昼間に終わりの合図を送る。(NA 1,3)

  

 夕日が描き出す情景は、燦々と降り注ぐ昼間の太陽のそれとは別の感情を、詩人の心に惹起する。「いまや、詩人の精神は神々しい歌へと膨らむ」(NA 1,3)と、その感情は、「世界の喧噪」を離れ、「天体」さえも越えて、神的な世界へと詩人の心を飛翔させる。詩人の詩的想像力は、感覚による直接的な印象を観念の世界へと誘う。しかも、詩人の心は一直線に神的な世界に向かうのではない。第3連と第4連では、高く浮遊する詩人の目は、夕日に照らされる山や谷、野、そして雲といった自然の情景に向けられるとともに、穀物畑や人間が活動する町にも向けられる。天の情景と地のそれ、自然の情景と人工のそれへと、詩人の詩的観賞眼が多面的に働いていることが窺われる。

そして、詩人の心はここで、夕日に映える山や谷、町といった眼前に展開する情景から、遥か遠くの風景へと移る。しかも、遠景描写にもかかわらず、詩人の眼は峡谷や草原の様子を詳細に捉える。草原で憩う羊や牧童、草地を飛び交う昆虫の様子が描写される。それは最早、現実の自然情景ではなく、詩人の詩的想像力の産物であり、詩人の自由な空想が急激に膨らんでいくのが窺える。

 確かに、第6連で詩人は、想像力によって描き出す幻想的ともいえる自然の情景、そして「歓喜の神々しい歌」(NA 1,4)や「喜びの高尚な響き」(NA 1,4)に比べ、ただ「押し黙る」だけの自己自身に気付き、メランコリックな気分に陥る。しかし、そのメランコリックな気分にいつまでも自虐的に浸ることが、詩人の本意とするところではない。むしろ、「鷲が雲を分けて、天空より雄々しく谷へと急降下し、そして再び太陽をめざして舞い上がる」(NA 1,5)ように、詩人の想像の対象は、宇宙を運行する太陽や惑星、彗星に至り、否、広大な宇宙を運行するそれらの天体の存在さえも越えて、神的な世界に至る。

 

  まもなく、おまえは王座へ向けて深紅に包まれて飛翔を遂げるだろう、

  おまえの勇敢な眼差しはさらに深く突き進むだろう、

  そしてもっと明るく天使のハープを響かせるだろう、

  そこには夕日もなければ、闇もなく、

  主がそこにしろしめたまい、そして永遠がある。(NA 1,5)

 

このようにして、この詩における描写は、夕日に映える現実の自然の情景から、想像による幻想的な自然情景や宇宙空間の天体の動きに、そして遂には神的な存在の賛美へと移っていく。詩人の心は、感覚による直接的な印象の世界から、敬虔な宗教的な雰囲気を伴う想像の世界へと遊ぶ。

 

 詩『世界の広大さ』では、自然、宇宙の無限な広大さに対する驚嘆や賛美の気持とともに、人間の想像力によって惹起される想像の世界の無限性がテーマである。「創造する精神がかつて混沌から造り出した/この浮遊する世界を私は風のように飛ぶ」(NA 1,102)と、「私」は想像力を駆り立てて、創造主が造った宇宙のなかを飛翔する。想像力は天空の星を、そして宇宙を表象し続ける。そしていつしか天体の姿が消え、「私」は宇宙の境界を越え出る。

 

     天空を越えて、千年もの歩みを行うために、

    星々が若々しく蘇るのを、私は見た、

  魅惑的な目標に向けて、

  星々がゆっくりと浮遊するのを、私は見た、

迷いつつ、私の眼差しは辺りを探した、

空間にはもはや―星影がないのを、私は見た。(NA 1,102)

 

真の安らぎを見いだすために、「私」は想像力を駆り立てて、創造主のもとへと飛翔する。創造主の住まう世界を示す境界石を求めて、一つひとつ、柵を越える。しかし、対向してやって来る巡礼者との対話から明らかになることは、創造主の住まう世界の空間的・時間的な無限性である。しかも、「私」も「巡礼者」も神の世界にまで飛翔して、神の真理を覗き見ることは思いとどまる。なぜならば、「私」も「巡礼者」も神的な存在ではないからである。心情の純化・高尚化を不断に重ねて、神のように完全でありたいと渇望するとともに、神の聖域を犯してはならないという敬虔な気持が錯綜する。シラーは詩的想像力の無限なる飛翔の可能性を示しながらも、自ら想像力の暴走を戒め、素朴で敬虔な宗教心と熱い想像力の融和を意図する[4]

 

   止まれ、汝 旅するも空し― おまえの前には無限のみ!

  止まれ、汝 旅するも空し― 巡礼者よ、私の後ろもそうなり!

    鷲のように雄々しい思想よ、おまえの羽を止めよ

    雄々しく帆走するものよ、想像力よ、

    気持を沈めて錨をここに降ろせ。(NA 1,102)

 

宇宙はここでは完全なる神の似姿を投影するものとして見做されるのではなくて、「無の王国」(NA 1,102)に通じる空間として現出する。想像力を駆使して宇宙空間を飛翔する「私」が求めているのは、超時間的・超空間的な世界である。神的な存在が住まう世界の空間的・時間的な無限性が示される。想像力の助力を得て、「私」はその無限的な世界に昇り行くことを希求する。しかし、「私」と「巡礼者」とのやり取りから明らかにされるのは、神的な存在の永遠性と、その住まう世界の時間的・空間的な無限性に対する認識とともに、神的な存在に到達できない人間の制限的な存在性についての認識である。シラーは、いわゆるカント体験以後には、形式や制限性への自然で自発的な自己規制に精神の止揚的完成を求めるようになる。しかし、青年期のシラーにとっては、形式や制限性は人間が神から付与されている資質を他律的に規制するに過ぎないと映じる。それ故、あらゆる形式的なものや制限的なものからの脱出への希望が、この詩で「私」をして「無の王国」へ向けて飛翔させる。W.デュージングは次のように指摘する。

 

宇宙空間はここでは秩序正しく調和のとれた宇宙として現れるのではなく、またその領域はそれ自体を越えて超越論的な<魂の王国>に至るのではなくて、形なき<無の王国>に至る。空間と時間は無限に大きなものとして描写され、その無限に大きなものは想像の理解力を遥かに越える。想像の否定は、あらゆる空間的・時間的な次元を消し去り、神的存在の永遠性をほとんど表象によらずに現出させる。[5]

 

確かに、神的な存在に寄せる厚い信心とともに、無限なる飛翔の可能性を秘めている想像の営みが制限されていることに対する不満も、潜在的に流れている。しかし、空間と時間の無限性のなかで、究極的には達成不可能であるにもかかわらず、絶えざる向上の旅を続ける心が求められている。シラーは世界の無限性と人間存在の有限性という対照的な存在性に関わるテーマを抱えながら、人間に課せられている使命、つまり神的心意状態の形成への絶えざる接近という使命を、ただし神の存在そのものになることは決して許されないという宗教的な自制・自覚のもとに、その人生の初期において早くも訴えている。

 

 

シラーは詩集『アンソロジー 1782年』でラウラに寄せる一連の恋愛詩を詠んでいる。ラウラのモデルになったと推測される女性については、シラーがシュトゥットガルトの連隊付き見習い軍医であった折の下宿先の女主人・大尉未亡人ルイーゼ・ヴィッシャーであるとの説が有力であるが[6]、しかし、E.シュタイガー等が説くように[7]、シラーは現実の特定の女性への恋心を詠んでいるというより、彼の愛の思想に基づいてつくり上げている想像上の女性に寄せる心を描き出していると解したい。E.シュタイガーは次のように述べる。

 

   実証主義的なシラー研究は、若い叙情詩人が創作の拠り所にしたものを指摘した。しかし、我々はここではそのことに立ち戻らずに、シラーの愛の叙情詩が恋人との出会いからではなくて、愛の形而上学的な理論から発しており、そしてその出会いを前もって把握していた概念に従って解釈しようと努めたという解釈に重きを置く。[8]

 

つまりこれらの恋愛詩は、カール学院在籍の時期に暖めていた愛の思想の詩的表出なのである。恋愛詩創作のシラーの意図は、恋人ラウラとの愛の歓喜や葛藤を直截に詠うことではない。E.シュタイガーが「シラーが射る愛の矢は、標的を越えて幻想の宇宙の彼方へと飛び行き、そこからはラウラの姿は消えている。彼女は、彼自身の精神の力を展開するための契機であり、それ以上のものではない」[9]と指摘するように、ラウラとの愛は、あくまでもシラー自身が求める高尚な心情について語るための契機なのである。ただし、ラウラが眼前にいる実在の女性でなくとも、熱いあこがれの対象、そして崇高な愛の対象であることは言うまでもない。シラーは、愛に満ちた清純な、かつ自然な心こそが恋する者同士や隣人同士、そして人間と神を結びつける源である、と見做す。さらにシラーは、愛の親和力こそが、人間のみならず、自然界を成り立たせている万物の諸原理の源である、と解する。

B.v.ヴィーゼ等が指摘するように[10]、シラーはカール学院時代とその後の見習い軍医時代に諸哲学思想、特にイギリス道徳哲学の思想の影響のもとに、医学論文や弁論のなかで愛の形而上学について説く。書き直すことになるが、カール学院に提出した最初の卒業論文『生理学の哲学』で、シラーは彼の愛の思想を次のように展開する。

 

愛、人間の魂のなかで最も美しく、最も高貴な衝動、そして感受する自然たる人間を繋ぐ偉大な鎖、それは私自身と隣人の本質との交換以外の何ものでもない。しかもこの交換は喜びである。それ故、愛は隣人の喜びを私の喜びに、隣人の苦痛を私の苦痛にする。しかし、この苦痛もまた完全であり、それ故に満足を伴わずにはおかない。(NA 20,11)

 

また、カール・オイゲン公の愛人フランツィスカ・フォン・ホーエンハイムの誕生日の祝賀講演『結果から見た美徳』では、シラーは万有引力の法則と愛の思想を結び付けて次のように説く。

 

星々を順にめぐらせ、太陽を永遠の鎖に繋ぎ止める万有引力が物質界に働いているように、精神界においてもそれに劣らず普遍的な愛という絆がまぎれもなく存在します。魂を魂に結び付けるものこそが愛なのです。愛とは、無限な創造主を有限な被造物へと近付け、また有限な被造物を無限な創造主へと高めるものです。愛とは、限りない精神の世界をただ一つの家族にまとめ、無数の精神をそれぞれに万物を愛する父なる方の息子となすのです。(NA 20,32)

 

 物質界と精神界の構成原理を結び付けて考察するシラーの説について、W.デュージングは「重力と愛の結合は、一般に推測されているように、ファーガソンによって鼓舞されたのであろう」[11]と指摘する。シラーと通俗哲学、特にChr.ガルヴェとの関係について詳細な研究を行っているG.シュルツ等によって指摘されているように[12]、シラーはイギリス道徳哲学者A.ファーガソン著『道徳哲学の原理』から、そしてそのドイツ語訳と解説に従事したChr.ガルヴェから啓蒙主義思想の影響を強く受けているが、当該著訳書のなかに次のような記述が見られる。

 

人間は自然に隣人の幸福を求める。皆の不幸は嘆きの対象であり、皆の幸福は喜びの原因である。これが社交性の法則と呼ばれる。個々の人間を社会の一員であるかのようにさせるのは、まさしくこれである。[13]

 

重力の法則の一般的な効用は、物体を相互に近付けることにある。同様に社交性の法則の一般的な効用は、人間を一般的に役立つ行動に、そして一般的に有害な行動の放棄に至らしめることにある。[14]

 

ただし、シラーは、A.ファーガソンやChr.ガルヴェ等のいわゆる通俗哲学の思想をそのまま受容しているわけではない。Chr.ガルヴェも指摘するように[15]、A.ファーガソンの思想において自由理念が欠除していることに対して、シラーは批判的な姿勢を取る。またChr.ガルヴェに窺える詩的なものに対する感性の欠除は、遂にはシラーとChr.ガルヴェの関係を決裂させてしまう。しかし、人間を社会的存在と捉える啓蒙主義思想から、シラーは精神界のみならず、物質界における個体の存在原理の追求に目を向けることになる。道徳的な原理を実践的な経験から発展させ、それを行動の判定基準にする通俗哲学の思想は、シラーの目を外の世界に向けさせることになる。勿論、シラーは実践的な経験を重視する通俗哲学の思想を無批判的に受容しているわけではなく、理性が自己に課した至福の原理を社会内で成就すること、つまりそれが社交性の原理であることを認識している。つまり、社交性とは、家族、友人恋人、隣人等、そしてそれらの集合体としての家庭、町、国家等との和合を願う衝動を意味する。そしてこの社交性の普遍化は博愛的な人間愛へと高まり、遂には宇宙愛、神への愛へと飛翔する。他者との和合を求めるこの社交性が、主観的な面と客観的な面との区別をつけられないものであることは当然であり、自他超越の愛と呼べるものである。B.v.ヴィーゼは人間学的・道徳的なオプティミズムと宇宙論的・幸福主義的なオプティミズムとの結合思想をシラーの教説に見いだし次のように述べる。

 

イギリスの道徳哲学の影響が明確に窺えるのは、シラーがエゴイズムに対して利他主義を噛み合わせてうまくいっていることである。道徳的な調和思想が宇宙論的な調和思想と結び付いている。 [・・・・・]世界の諸部分が引力によって相互に結ばれているように、人間は社交性によって、友情によって共属の関係にある。自然界においても人間の世界においても支配する同じ精神的な法があり、それをシラーは愛と呼ぶ。[16]

 

それではシラーは、精神界のみならず、物質界でもその組織構成の根源になっている愛の力を、どのように詠んでいるのであろうか。『ファンタジー、ラウラに寄せて』は次の詩句で始まる。

 

 私のラウラよ! 教えてほしい、身体を身体へと力強く引き寄せる

  あの渦巻きが何なのかを、

 教えてほしい、私のラウラよ、精神を精神へと力づくで強く引き寄せる

   あの魔力が何なのかを、

 

 見よ!それは浮遊する惑星に教える

   太陽をめぐる永遠の円周軌道に逃れんことを、

 そして、母親のまわりを飛び跳ねる子供のように

   女王様をめぐる色鮮やかな円を描くことを。(NA 1,46)

 

 シラーは、人間の心と心を結び付ける愛の「魔力」と、星に太陽をめぐる円周運動をさせる引力とを同次元から捉え、精神界における愛の働きを物質界にも当てはめようとしていることが窺える。

 

 飛塵は飛塵と

 信頼という調和のなかで結ばれ、

 天体を天体へと愛は導く、

 世界の体系は愛によってのみ存続する。(NA 1,46)

 

愛は地上の人間界から宇宙空間へと飛翔し、空間的な柵を越え出る。また、愛は宇宙に魂を吹き込む力として讃えられる。宇宙を翔る天体は、愛の法則に基づいて運行するものとして捉えられる。その天体の運行は規則的な円形の軌道を描く。「円周軌道」、それは永遠性の象徴でもある。シラーの自然観、宇宙観において顕著に窺える思想的傾向は、精神界と物質界の如何を問わず、永遠性、無限性への飽くなき論証である。詩『夕べ』では「夕べの顔」と「朝の顔」を兼ね備えている太陽の永続的な営みが示され、詩『ファンタジー、ラウラに寄せて』では太陽を廻る星の「永遠な円周軌道」が描かれる。また、自然、宇宙の組織を時計仕掛けと歯車の比喩から説き示そうとする。「愛を自然という時計仕掛けから取り去ると/全てのものが崩壊しながら離散する」(NA 1,46)、あるいは「歓喜は世界という大きな時計の歯車を動かす」(NA 1,170)等、そして時計仕掛けと歯車の動きとともに、「渦巻き」とか「円周軌道」といった循環を表象させる言葉が並ぶ。そしてそれらのダイナミックな循環運動、つまり永遠なる活動の根源が愛の結合力なのである。愛は「太陽を巡る永遠の円周軌道」に、惑星を乗せる。その軌道は「色鮮やかな円」である。しかも、W.デュージングも「他の詩より目立つのは、人間の関係を宇宙に移す傾向である。宇宙の中心として太陽は子供、すなわち惑星に囲まれている女王様、母親である」[17]と指摘するように、「母親のまわりを飛び跳ねる子供のように」という表現からも、シラーが人間相互の心の関係を宇宙の構成関係に当てはめて考察していることが窺える。また宇宙の状態は人間の心の状態を象徴するものとして描写される。「渦巻き」は循環性、永遠性を意味するとともに、愛の陶酔を象徴する。無限なる宇宙空間への飛翔は、神的な完全性を求めて、地上的な制限の柵を乗り越えて雄々しく羽ばたこうとする心を象徴する。愛は宇宙の秩序の根源でもある。

さらに、詩はラウラに寄せる愛の感情と自然界を整える愛の力について詠い続ける。精神界でも物質界でも、人間界でも自然界、宇宙空間でも、愛がそれらの秩序の源である、と愛の力が賛美され続ける。そしてこの詩の最後の詩句で、愛は時間に関係付けられる。

 

   愛の翼をもちいて未来は急ぐ、

   過去の腕のなかに、

   飛び回るサトゥルヌスは長いこと、

   花嫁―永遠を求める!(NA 1,48)

 

愛が未来と過去を結び付けるとは、愛による時間の止揚を意味する。この詩の最後から二番目の連は、この関係を更に展開させる。

 

  いつかは―と神託が告げるのを私は聞いた―

 いつかはサトゥルヌスが花嫁をかき抱く、

 永遠と時とが結ばれるとき、

 世界の業火は婚礼の篝火となるだろう。

 

 より美しいラウラは赤くなり、

 ラウラよ、そのとき私たちの愛のためにも輝くのだ、

 あの婚礼の夜のために輝く限り、

  ラウラ!ラウラ!喜ばしいことだ!(NA 1,48)

 

時と永遠が一つになるときに、時間による制限性は止揚される。愛の強さは、あらゆる時間的・空間的な制限を越え出て、無限なるもののなかに飛翔し、永遠性を求める。地上的制限性のなかから生まれいでた愛による地上的有限性の超越という理念によって、人間心情の無限なる純化への可能性が説かれる。しかも、その内面的な純化によって究極的に求められるところは、神の心に等しい神々しい心なのである。シラーの心情の最も深いところでは、宗教的な感情とも言える心が熾烈に燃え、シラーの観念的世界に生き生きとした息吹を与えている。個人的な愛は、自他超越の域に達することにより宇宙的な愛へと自ら同化しなければならない。そして宇宙的な愛との一体化によって初めて、個人的な愛の永遠化が可能になる。愛に基づく現実世界での歓びや幸福に浸るのみならず、それらが神の恵みによるものであることを感謝し、その神の広くて深い慈悲の心を讃えるという姿勢から、シラーの愛の詩は発している。

しかも、人間の心は個人的な愛の浄化を続けることによって宇宙と一体化するのみならず、宇宙を越える存在、つまり神と等しい存在になれる可能性が生まれる。詩『愛の勝利』でも、次のように愛が賛美され、それとともに愛の思想の究極的な目標とするところが示される。

 

 愛によって幸福に

 神々よ―愛によって

 人間は神々と等しきものとなる。

 愛は天上を

 ますます崇高なものとなし―地上を

 天国となす。(NA 1,77)

 

しかし、シラーの究極的な要請は、現実世界での愛の成就ではない。なぜならば、現実世界、つまり制限的な世界での愛は、制限性を甘受しなければならないからである。シラーが捉える愛の思想は、そもそも魂の無限なる高揚を目指すものである。無限なる高揚とは、人間が有限的な存在性を越え、超地上的な存在性へ飛翔すること、つまり神と等しい存在になることを意味する。カール学院の卒業論文『生理学の哲学』で説かれる人間使命論―「人間は、創造主の偉大さを己のものとするように努め、創造主が世界を見渡すのと同じ眼差しで世界を観照するために存在する。神と等しくなることが人間の使命である」(NA 20,10)―が、一連のラウラ頌歌にも託されている。E.シュタイガーがラウラ頌歌の一つである『追憶の秘密』について解釈する次の言葉は、まさにラウラ頌歌全体の特徴的な調子を的確に捉えていると言える。

 

    失われたものを取り戻すこと、それを生き生きと自分のものにすること、そしてまさにそのことによって神性を獲得することは、実際に、この詩人の欲望や強烈な憧憬ではなくて、喪失を嘆く深い感情から生まれた詩人の意志であり決意である。[18]

 

 

シラーの愛の思想は実体験に基づくのでもなければ、またその実践を現実世界で求めるのでもなく、理想主義的な世界観に由来する観念的なものである。そしてシラーにとって愛の成就とは、個人的な愛を純化・高尚化して、超地上的なものに同化させることを意味する。しかし、それとともに、このような愛の観念論的思想への傾向は、現実世界に対するシラーの強い批判精神の表出でもある。詩『メランコリー、ラウラに寄せて』では、「ラウラ―朝日の輝きが/おまえの黄金の眼差しのなかで燃え/頬には深紅に血が躍動する」(NA 1,112)と、ラウラの若々しく生気溢れる様子の描写で詠い始められながらも、まもなく現実世界に対する悲観的な言葉が続く。

 

  夜の国は既に久しく

  地上の祭りをことごとく葬り去ったのではなかったか。

  われわれの誇り高く聳える宮殿、

  われわれの町の堂々とした壮麗さは

  ことごとく腐敗しつつある肢体の上で休らっている。

  おまえのカーネーションは

  腐敗の甘い香りを吸い、おまえの涙は

  納骨堂の器から流れる。(NA 1,112)

 

人間が営々と築き上げてきた繁栄の証である宮殿や町並み、そういった人間の文化の成果がことごとく崩壊の危機に立たされているという悲観的な現世観、しかもその現状を認識できずにいる人間の愚かさが、鋭く指摘されている。それどころか、表面的な繁栄の奥を見通す鋭い洞察の言葉は、戦慄さえを覚えさせる。

 

  死は瞬く間に微笑みを

  吹き飛ばしてしまう、風が

  虹色の泡を吹き消すように、

  永遠に空しく おまえは自然の春のなかから

  死の跡を探す。

  生のなかから、春の木の芽のなかからも、

  永遠の死神だけが出てくる。(NA 1,114)

 

毎年巡り来る春は不滅、不死の象徴でもあるが、その春さえも死神をもたらすとしか感じられないとは、なんと痛ましい心理状態であることか。人間の手によって築き上げられてきた文化に対するのみならず、現世での生そのものに対する深い絶望感が漂う。同様に、悲観的な人生観に苛まれる苦悩は『朝のファンタジー』等でも窺える。「朝の元気溢れる呼吸は生き生きと息づき/薄暗い樅の木の間より赤々と/若い光が射し」(NA 1,119)と、この詩は溌溂として昇る朝日の賛美で始まる。山や野に新しい朝の光を届ける朝日は、シラーによく見受けられるように、明るく清澄な自然の情景の中心をなしている。しかも、日々の営みを開始しようとしているのは、朝日を浴びて赤く染まりつつある自然だけではない。「なんと高く、町々から煙りの雲が立ち昇ることか!」(NA 1,119)と、町でもまさに人々が夜の眠りから覚めて、活動を始めようとしている。しかし、いつものように朝の活気が出始めている自然や町の情景描写とは対照的に、人生に苦悩する「私」の姿が映し出される。

 

 平和を探すために、

 私は惨めな杖にすがって

 どこへ向かえばよいのか。

 若者の身ぶりで笑う大地は

 私にとっては墓に過ぎない。(NA 1,119f.)

 

爽やかな山や森、動き始める町の情景描写、その真っただなかで、立ち去ろうとする「私」の苦悩する心のうちが明かされる。さらに、昇り行く朝日と沈み行く夕日の役割が、それぞれに描かれる。活動へ誘う朝日と、まどろみに誘う夕日に呼び掛けが行われる。しかし、そのなかで「私」が希求するのは、地上の生に別れを告げて、天上の世界に救い上げられることである。後に『逃亡者』と改題されるこの詩は、まさにこの地上の生から出て行かざるを得ない者の苦悩を詠んでいる。

 

  高く昇れ、おお 朝日よ、そして

  深紅のキスで森と野を赤く染めよ、

  夕日よ ざわめき、死せる世界を

  優しくまどろみに誘え、

    朝日よ、ああ、おまえは

    死の野を赤く染めよ、

  ああ、夕日よ!おまえは

  私を長いまどろみに誘う。(NA 1,120)

 

理想主義的な心情は、地上の抑圧的・制限的な生を甘受することができずに、「私」をメランコリックな気分に陥らせる。普遍的な愛に支えられた真の生を求めるとき、抑圧された意識は地上的な生に別離を告げ、天上の世界こそ願わしいとするのもまた自然ではあるまいか。さらに、シラーの愛の思想は、時にはその裏に死への誘惑を秘めていることもある。地上での生に対する気持が陰鬱なものになればなるほどに、彼岸への入場門である死への憧れはますます強くなっていく。

B.v.ヴィーゼはシラーの人生における死との密接な関わりを強調して、「死は若い頃からシラーの存在の原体験に属した。死は文学のモチーフだけでなく、彼の思考と詩作の、それどころか彼の全人生の前提条件であった」[19]と述べ、さらにシラーが死を単に恐怖や嫌悪の対象とだけは見做していないことに言及する。

 

1780年から81年にかけての若いシラーは、我々が恐る恐る敬うところの霊廟の神を前にして、残酷さや中傷、誘惑、偽善、もっともらしい殺人僻、騙しあいを伴う世界から適時に逃れ出るために、早逝が唯一の逃げ道であると思われるような生の渇きを覚える。[20]

 

確かに若いシラーは死を恐怖の対象と捉えることもある。詩集「アンソロジー 1782年」の献辞で、シラーは死を「最も強力な皇帝」、「王国の穀潰し」、そして「とてつもない大食漢」(NA 22,83)と呼び、現世での生の代価を否応なく突然に支払わせる死を恐れる。同詩集に収められている詩『ペスト』や『一士官の戦闘で』では、死神による人間刈りの凄まじさ、冷酷さが描写される。しかし、同時期にシラーは二様の姿勢で死に対峙しているのである。つまりシラーは、死の行為に生の破壊を見るだけでなく、苦しみ多い現世からの救出をも見ている。シラーのこのような死生観が明白に読み取れるのは、特に連隊の同僚A.v.ホーフェンと若い医学生J.Chr.ヴェッカーリンの死に際して詠まれたシラーの哀悼の詩と弔意文である。シラーはJ.Chr.ヴェッカーリンの死に際して『ある青年の死を悼む歌』と題して次のように詠む。

 

されど汝は幸いなるかな。汝の眠りは快く、

狭き死の家で安らかに眠る。

歓びとともに苦しみも消え、

人の悩みも跡を断つなり。(NA 1,58)

 

また、シラーはA.v.ホーフェンの死を悼み、1780年1月15日付けで彼の父に宛てた弔意の書簡で次のように述べる。

 

貴方は貴方のご子息を本当に失ってしまったのでしょうか。彼は幸福だったのでしょうか。そして今はもう幸福ではないのでしょうか。彼は同情されるべきなのでしょうか。むしろ、羨まれるべきではないでしょうか。[・・・・・]心の最も純粋で清らかうちに、永遠へ向けての若々しい力に満ちているうちに、そして実に多くの計画が挫折し、美しい喜びも枯れ、実に多くの希望が空しく潰えるこの世の変転と気紛れな戯れに、悲しみの涙を流す前に、彼は死んでいったのではないでしょうか。(NA 23,11)

 

シラーは「率直に申し上げてもよろしいのですならば、この世は私にはもはや魅力がありません。私はこの世に何の希望も持っておりません」(NA 23,12)と告げ、苦しみ多く、汚れた現世の生に別離を告げさせる死を迎え入れようとする。この書簡で述べられているシラーの文面には、単に弔意の言葉とだけでは片付けられないものがある。現実の世界に対する悲観的な世界観がシラーの心に重くのしかかっている。戦争や病気等による死という現実を前にして、全てのこの世のものは絶対的な存在性の欠除、その存在のうつろいやすさにおいて、しかもまさにこのうつろいやすさによって価値が奪われそうになる。現実世界での生に対する意欲が喪失してしまうのである。この生への意欲喪失が現世での生に対する不安を引き起こし、彼岸での生の復権を希求させる。地上での生は生きていることの確証をもたらせないのである。それ故、死は生の喜びを破壊するだけでなく、この世の悲惨な状況から我々を救い出してくれるという信仰にも似た思いが、死の意味に含まれている。

 

これまで考察を加えてきたように、若いシラーは、一方で、敬虔主義派の宗教観や通俗哲学の啓蒙思想から強い影響を受けている楽観主義的な幸福主義や完全主義の思想を抱いているとともに、他方で、個人的体験にも助長されて悲観主義的な人生観にも襲われる。そして相反する世界観の対立に苛まれながらも、シラーは愛の思想と神的完全性の思想に基づくエリュシオンと呼ぶ想像の理想世界を築き上げようと努める。現世での存在の意義を見失ったもの、見切りをつけたものの嘆きを耳にしながらも、シラーの心の奥底では、人間存在の様々な無限な可能性に対する信仰と期待の瞬間から、永遠なる生の歓喜を追い求める衝動が沸々と沸き立っている。詩『エリュシオン』の冒頭の詩句「呻く悲嘆は消え去り/エリュシオンの歓びの祝宴は/嘆息を押しながす。/エリュシオンの生活は/永遠の歓喜、永遠の逍遥であり/微笑む野を横切り流れるせせらぎである」(NA 1,122)から、シラーが暖めている究極の、しかし人間の身では到達不可能な理想の世界の一隅を彷佛とすることができる。そこは、時を越えた静寂が支配する完全なる至福の国であり、しかも停滞ではなくて律動の国であるという。後にシラーが『素朴文学と情感文学について』において説く牧歌論、つまりエリュシオン論の源泉が、早くも若いシラーの叙情詩の世界からも秘かに生まれ出ようとしているのである。

 

 

 

 

 

 



次の略語を用いた。

NA: Schillers Werke. Begrundet von Julius Petersen. Nationalausgabe. Weimar. H.Bohlaus Nf. 1943ff. (同全集からの引用箇所については本文中に記す。なお、略語に続く二つのアラビア数字は、順に巻数と頁数を示す。

 

 

[1] Bernauer, Joachim: Schoene Welt, wo bist du? Berlin 1995. S.20.

[2] Wiese, Benno von: Friedrich Schiller. Stuttgart 1978. ( 1.Auflage. 1959.) S.115.

[3] Wiese: a.a.O. S.115f.

[4]人間の身で、神の真理までも探究しようとすることは、神に対する冒涜であり、このテーマは後年(1795年)詩『ヴェールをかけられたザーイス像』で詠われる。Vgl. NA 1,254ff.

[5] Duesing, Wolfgang: Kosmos und Natur in Schillers Lyrik. In:  Jahrbuch  der Deutschen Schillergesellschaft. Bd.13. Stuttgart 1969. S.201.

[6] Lahnstein, Peter: Schillers Leben. Darmstadt 1993. S.87f.

[7] Vgl. Staiger, Emil:  Friedrich Schiller. Zuerich 1967. S.105. また、B.v.ヴィーゼは次のように指摘。「以前の研究は、ラウラの伝記的なモデルをシラーのシュトウットガルト時代の下宿の女主人、大尉未亡人ルイーゼ・ヴィッシャーに見いだしたと信じた。しかし心理学的な、そして伝記的な関係のこのような追跡は、叙情詩を前にすれば効なきものである。叙情詩はその構成に従えば思想に基づく詩作であって、体験に基づく詩作ではない。」 Wiese: a.a.O. S.119.  Buchwald, Reinhard: Schiller, Leben und Werke. Wiesbaden 1959. S.283f. ただし、ラーンシュタインはラウラ頌歌 の多くは、ルイーゼ・ヴィッシャーに捧げられたものと解する。Lahnstein:  a.a.O. S.87f.

[8] Staiger: a.a.O. S.105.

[9] Staiger: a.a.O. S.106.

[10] Vgl. Wiese: a.a.O. S.77ff.  Buchwald: a.a.O. S.182f. 特に、W.リーデルは若いシラーに及しているChr.ガルヴェや M.メンデルスゾーンの啓蒙主義的思想の影響について詳述。 Riedel,Wolfgang: Die Anthropologie des jungen Schiller. Wurzburg 1985. S.159ff.

[11] Duesing: a.a.O. S.199

[12] Vgl. Schulz, Guenter: Schiller und Garve. In: Jahrbuch der Schlesischen Friedrich-Wilhelm Universitat zu Breslau. Bd.13. Breslau 1958. S.182ff.

[13] Vgl. Christian Garve. Gesammelte Werke. Bd.11. Hidesheim, Zuerich 1986. ( 1.Auflage. Leipzig 1772.) S.80.

[14] Ebd. S.81.

[15] Ebd. S.288.

[16] Wiese: a.a.O. S.100.

[17] Duesing: a.a.O. S.206.

[18] Staiger: a.a.O. S.107.

[19] Wiese: Der Tod kann kein Uebel sein. In: Jahrbuch der Deutschen Schillergesellschaft. Bd.24. Stuttgart 1980. S.69.

[20] Ebd. S.72.