仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」第8号。2005年12月。
シラーの牧歌構想をめぐって
─戯曲『メッシーナの花嫁』を中心に─
松山雄三
一 はじめに
人間は、自我の覚醒とともに、素朴な自然のもとを離れ、文化の構築という使命を自らに課し、幾世代にもわたって人間形成の旅を続けている。その旅は、より安らかな生を求めて文化の創生を目指すものでありながら、決して平坦な道のりではなく、前進と停止、そして後退を幾度となく繰り返している。しかし、たとえ文化構築の歩みが紆余曲折を経るものであっても、いつの日か、人間はより良い文化精神の形成を重ねて、崇高な心意状態に到達することが望まれる、その至高の境地に至りつくときが、個人にとっては生物学的な生の終焉のときであろうと、あるいは人間種族にとっては遠い未来であっても。そのような境地は、我自身のうちにおいては感性と理性の再統一を果たし、かつ外に向けては自然と調和した人間だけが至りつける心の状態といえる。しかも、自然の庇護のもとに生を、ただし無意識的に、謳歌していた、遠い過去の、素朴な人々より、遥かに崇高な精神を我々は形成できると信じている。なぜならば、観念の世界は無限の飛翔を可能にするから。そしてFr.シラー(Schiller, Friedrich 1759-1805)は、この高尚な心意状態に至りつつある、あるいは至りついた人間の姿を描出することに、詩人としての使命を見出している。シラーは『素朴文学と情感文学について』(1795-96年)において、「情感的な詩人は、文化の主体者にも、非常に活発で激しい生活のもとにおいて、また広範な思考、精巧な技術、最高の社会的な洗練などのあらゆる制約のもとにおいても、羊飼いの無垢を引き出す牧歌、つまり一言で言うと、もはやアルカディアに戻れない人間を、エリュシオンにまで導く牧歌の創作を自らの使命にしなければならない」(NA 20,472f.)と述べる。この進むべき道の目的地であるエリュシオンのみならず、出発地であるアルカディアも、人間が実存を営む経験の世界の彼方にある。アルカディアは我々が立ち去ってきた園であるが、理性と感性の分離を経ている我々の心のなかには明確な形では残っていない。ただし、ここで明確な形では窺い知れないというのは、その楽園を知によって捉えることができないということであって、我々の意識下に潜んでいるのかもしれない。またエリュシオンは我々が経験界を超え出て、純粋な観想の世界に入ることで近づきえるところと思われる。しかし、この理想の園も時空を超えた彼方に浮かんでいるだろうと、想像することしかできない。ところが、シラーはこの心のなかで思い浮かべるだけである理想の園を、文芸活動を通じて、我々に提示しようとする。
そのような牧歌、あるいは牧歌的な世界の描出を試みているものとして、戯曲、『オルレアンの乙女』(1801年)とシラーの最後の完成作品『ヴィルヘルム・テル』(1804年)を挙げることができる[1]。『オルレアンの乙女』は、ジャンヌ・ダルク伝説を素材とする。アルカディアを想起させる素朴な山村で、牧羊の仕事を手伝いながら暮らす乙女ヨハンナは、聖母マリアの神託を受けて、イギリスの侵略から祖国フランスを解放するために故郷を離れる。フランスの民の幸福を渇望する純朴な心に反して、ヨハンナは、政争の渦のなかに次第に巻き込まれてゆき、遂には宗教裁判によって魔女の汚名を着せられて悲劇的な死に追いやられる。しかし、私欲に走る人々の裏切りにあいながらも、それどころか迫り来る死の恐怖のなかでも、ヨハンナは聖母マリアに寄せる信仰心を失うことがない。彼女は、その信仰心に支えられながら、現実の生のなかを掻き分けて行く。信仰心と現実の生に対する欲求との間で揺れ動くヨハンナの心の襞が、描き出される。ヨハンナの臨終の言葉─「苦しみは短く、喜びは永遠なのです」(5幕14場、3544. NA 9,315)─は、現実的な生に対する諦観のなかに、至高の境地に達した人の喜びを示す。まさに、『オルレアンの乙女』は、アルカディアから人間社会を経て、エリュシオンに至る人の心の変遷を描出しているといえる。
また、シラーの最後の完成作品である『ヴィルヘルム・テル』は、テル伝説を素材とする。牧歌的な地を想起させるスイスが舞台となる。牧歌的な自然のなかで、人類の最も古い生業を引き継ぐ漁師、羊飼い、猟師が平穏な生を営んでいる。主人公テルも猟師を生業としている。この穏やかな地と純朴な人々のうえに、他国の支配の手が迫る。代官ゲスラーに代表される支配勢力─それはまた力による社会の構築を図ってきた人類の歩みの負の傾向を象徴するが─と素朴な民との対決が展開する。スイスの人々は古来受け継いできた掟を護持しようとする。しかし、当初、テルは同胞の行動に応じようとしない。彼は家族に危害が及びそうになって初めて対決の姿勢を明らかにする。しかも、その行動は単に私的なもので終始するのではなく、彼の家族の救済が同胞の家族の救済に通じる。シラーはこの戯曲において個人の生の安寧が社会全体の至福に通じることを示そうとする。家庭の神聖さは不可侵の、自然で聖なる秩序の基盤であり、その基盤の上にスイスの民は、彼らの自由の家を建て、護ってきたのであった。それ故、代官ゲスラーに「聖なる罰」(NA 10,244)を加えた後も、テルの心、生き方に変化が生じることはない。テルはもとの素朴な生、自然の懐のなかに戻ってゆく。『ヴィルヘルム・テル』では、素朴で穏やかな心の民と他国の抑圧的な政治勢力との闘いが、牧歌的な地を舞台として繰り広げられる。
さて、創作期から見れば、前記の二つの戯曲創作の間に戯曲『メッシーナの花嫁』(1803年)が世に送り出されている。本論はこの戯曲を考察の対象とするが、この戯曲を『オルレアンの乙女』と『ヴィルヘルム・テル』と同様に、シラーの一連の牧歌構想に基づく作品と解してよいのか、否かに、この戯曲の解釈の難しさがある[2]。なぜならば、シラーの創作意図と完成した戯曲との間には微妙なずれが見受けられるから。
二 作品の成立史
まず、この作品の成立史から探ってゆきたい。シラーがこの戯曲、正確に言うならば、このような古代悲劇風の戯曲の創作を、たとえ漠然とではあっても、意識するようになったのは、前作『オルレアンの乙女』の執筆以前の時期と考えられる。1797年10月2日付J.W.v.ゲーテ(Goethe, Johann Wolfgang von 1749−1832)宛の書簡でシラーは、ソフォクレス(前496−前406)の『オイディプス王』に類する悲劇の素材を見出したことについて報告している(NA 29,
141f.)。また、ゲーテは1799年の早い時期に、シラーから「いがみ合う兄弟」と題する戯曲の創作構想について話を受けた、と彼の年代記で記している[3]。しかし、シラーはその他の創作計画もあり、この戯曲の創作になかなか着手できないでいる。1802年9月9日付Chr.G.ケルナー(Korner, Christian Gottfried 1756−1831)宛書簡で、シラーは『いがみ合う兄弟』あるいは『メッシーナの花嫁』と題する戯曲創作を決意したと、またそれとともに、古代の悲劇の形式に強い関心を寄せていると告げる(NA 31, 159)。確かに、登場人物によって告げられる夢の内容は古代悲劇における神託を思わせるし、主人公一家が口にする家門にとりついた呪いは、古代の悲劇作品でよく窺える悲劇的な宿命のテーマを想起させる。また、合唱の使用によって出来事の顛末を説明したり、戯曲の筋を進めたりする技法も古代悲劇を参考にしていることを窺わせる。前記の1802年9月9日付 Chr.G.ケルナー宛書簡で、シラーはこの戯曲創作の意図として、「形式における新奇さ、つまり古代の悲劇に一歩近づけるような新しい形式」(NA 31, 159)を求めてきたと告げている。それどころか、この戯曲の完成後に、シラーは1803年4月22日付A.W.イフラント(Iffland, August Wilhelm 1759−1814)宛書簡で、「『メッシーナの花嫁』の際に、正直に申し上げますと、私は古代の悲劇作家たちと少し競争してみようとしました」(NA 32, 32)とさえ、その自負するところを明らかにする。こうして、古代の悲劇の形式に寄せる関心と、古代の悲劇作家たちに対する競争心に駆り立てられて創作に励まれた『メッシーナの花嫁』は、1803年3月にワイマール劇場で初演を迎え、同年6月にテュービンゲンのコッタ書店から出版された[4]。
三 筋の展開と作品の解釈
次に、筋の展開に沿いながら、作品の解釈を試みたい。この戯曲は、ある大公一家が陥る悲劇を描く。この大公一家はシチリア島のメッシーナを支配しているが、シチリア人ではない。この領主の一族は、太古の時代に、他の土地から、船で、シチリア島にやって来て、代々、この島を支配してきた。シラーはこの一族の渡来を太古の時代に、しかもその地をシチリア島に設定することによって、この一族がアルカディアを象徴する地に侵入し、支配してきたことを連想させる。移動を重ねて暮らしてきた海の民が、定着農耕で生活を営む島に到来し、治めることになったのだった。海は移動性、つまり不安定だが動き、変化を象徴し、島は固定性、つまり発展の停滞を匂わせもするが、安定性や平和も象徴する。そして海の民の出身であるこの一族が、牧歌的な地を連想させる島とは反対に、歪んだ人間関係を、しかも家族間で[5]、展開する。他の種族の出身でありながら、この島に支配体制を打ち立て、文化の構築を先導し、いわばこの島の歴史を担ってきたはずのこの一族は、彼らの心の不和をシチリアという穏やかな地に蔓延させようとしている。戯曲は、夫を亡くしたばかりの大公妃イザベラが、喪に服す身でありながら、息子たちの不和を案じ、意に反して人前に姿を現わさざるをえない場面から始まる。イザベラは嘆きの言葉を発する。
何にせよ、自分の生涯の光とも名誉とも/思ってきた夫を失った寡婦にとっては、/静かな壁のなかにいて、黒い喪服に包んだ姿を/世間の目に触れさせないようにするのが当たり前なのに、/しかし、さし迫った必要の声が/容赦なく、有無を言わさず私を駆り立てて、/世間の慣れない光にあてるのです。(6ff.)
この一家にはドン・マーヌエルとドン・ツェーザルという二人の息子がいる。本来ならば、彼らが、あるいは彼らの一人が大公の地位を引き継ぐのだが、彼らは長年に亘っていがみ合っており、その不和がこの一家に、かつメッシーナの地に不安と混乱を招いている。
『群盗』(1781年)や『ドン・カルロス』(1787年)に窺えるように、シラーの戯曲においては歪んだ家族関係が、自然な心の絆を破壊する忌むべき要因としてたびたび描き出されている。シラーの戯曲の主人公たち、『群盗』のカール・モーアにせよ、『たくらみと恋』(1784年)のフェルディナントにせよ、『ドン・カルロス』のドン・カルロスにせよ、肉親愛のもつれに、あるときは激怒し、あるときは悲嘆にくれて、悲劇の渦のなかに身を投じてゆく。それどころか、『ドン・カルロス』では、宗教裁判と結託して、暗黒の統治を行うスペイン王フィリップ二世でさえ、歪んだ家族関係や政治形態のせいもあって、人間不信に陥り、孤立感を深めてゆく。この『メッシーナの花嫁』でも、自然な生の秩序に反する家族の関係が描出される。ここでは兄弟の不和が、筋の展開の前段階として既に設定されている。しかも、このいがみ合う兄弟ドン・マーヌエルとドン・ツェーザルはそれと知らずに妹を愛することになる。兄弟が同じ女性を愛するという設定は、『群盗』のカールとフランツ兄弟を想起させるし、また、妹に寄せる兄弟の近親相姦的な愛という観点からは、『ドン・カルロス』のカルロスと王妃エリーザベトの関係を思い起こさせる。さらに、カルロスと王妃エリーザベトとの関係、つまりカルロスの許婚者であったエリーザベトが彼の義母(カルロスの父スペイン王フィリップ二世の妃)になったことと逆の経緯が、『メッシーナの花嫁』で展開する忌むべき家族関係に組み込まれている。つまり、ドン・マーヌエルとドン・ツェーザルの父である亡き大公は、彼の父の妻になるはずであった女性イザベラを、略奪によって自分の妻にしたのであった。ドン・マーヌエルとドン・ツェーザルは、この汚れた婚姻の子であって、その出生からして、宿命とも言うべき、忌まわしい経緯を背負っている。そしてこの汚辱にまみれた婚姻が、そもそもこの一家の呪われた宿命の原因と見做されている。合唱団の一人ベーレンガルは、その「恐ろしい呪い」の原因について次のように暴露する。
そういえばあの老王の后を/罪深い結婚の寝床に引き入れたのも、/略奪にちがいないことを我々みんなが知っている。/なぜならば、彼女は父君の選んだ后なのだから。/そこでご先祖は怒りのあまり、/恐ろしい呪いの恐るべき種を/罪深い結婚の床の上に撒き散らした。/まこと、この家は言語に絶する暴虐な所業を、/邪悪な犯罪を宿している。(960f.)
しかも、この「恐ろしい呪い」は兄弟の対立を通じて、この家の不幸を増幅しようとしているかのようだ。しかし、この兄弟がいがみ合うようになった経緯についての明確な説明は、当初のうちはなされていない。あの悲劇の勃発、つまりドン・ツェーザルによる兄殺しが犯されて後、ドン・ツェーザルが「私たちがまだ同等の兄弟であった頃、/根深い嫉妬心が二人のこの世の生活を分け隔てたのだった」(2729ff.)と告白することによって、兄弟のいがみ合いの原因が嫉妬心にあったことが知らされる。この一家を見舞う悲劇は、宿命などというものではなくて、人の心のあり様によって、まさに人為によって引き起こされるのだ。シラーが古代の悲劇の様式に学びながら、悲劇的な顛末の原因を避け難い宿命ではなくて、御しがたい情念の為せる業に[6]、またその刹那的な衝動を制御できない道徳的な自覚の欠如においているところにも、古代悲劇の単なる模倣ではなく、近代性を持たせる悲劇の創作に努めていることが窺える。
大公の死にもかかわらず、相変わらず敵対し続ける息子たちを和解させようとして、大公妃イザベラは、この家門が抱える秘密を打ち明けようと決意する。その秘密の開示の前に、戯曲はこの兄弟の反目をやがては決定付ける筋立てを配する。それは、この兄弟の恋愛にまつわる、ある意味では避けがたく悲劇的な面を抱える、もつれた人間関係である。
兄ドン・マーヌエルは修道院に隠れ住む娘─実は妹ベアトリーチェ─との出会いについて語る。ある日、鹿狩りに行ったドン・マーヌエルは、「一頭の白い牝鹿の追跡」(688)に熱中するあまり、家来とも遠く離れて、ある「庭の門」(694)まで来てしまう。その門のところで白い牝鹿は消えてしまったのだった。そこで、ドン・マーヌエルはその庭のなかに入って行ったのだが、そこで彼は「その恐れる動物が一人の修道女の足元で震えながら横になっていて、その修道女がほっそりした手でその動物を優しく愛撫している」(697)光景を目にし、その女性に魅せられてしまう。ドン・マーヌエルはその折の出会いを、「どのくらいの時間であったか、私は計ることができない。/ 時を計るあらゆる尺度が、念頭から消え失せてしまったからだ。/彼女は私の心をすっかり虜にしてしまった。[・・・・・]私が我に戻ったとき、/私の胸に彼女の胸の鼓動を感じた」(704ff.)、と回顧する。
しかも、恋の出来事はドン・マーヌエルとベアトリーチェの関係にとどまらない。この二人だけでさえ、実の兄と実の妹の組み合わせであるために、近親相姦的な愛のやり取りなのだが、シラーはさらに錯綜した人間関係を組み込む。修道院の生活に甘んじてきた娘ベアトリーチェは「抑えきれない欲求によって」(1895)父大公の葬儀に、密かにではあったが、参列したために、ドン・マーヌエルの弟ドン・ツェーザルの心をも捉えてしまうことになる。ベアトリーチェの魅力に取り付かれてしまったドン・ツェーザルは、「私はあなたを探しに探し回った。寝ても覚めても/あなたのことだけが心にかかっていた。/大公の葬儀の折に、/天使の輝く姿のようなあなたを/初めて見て以来──あなたは私の心を捉えてしまった」(1115ff.)、とやっと探し当てたベアトリーチェに告白する。実は、ベアトリーチェもドン・マーヌエルと恋愛関係にありながら、大公の葬儀の際に出会ったドン・ツェーザルの姿が心に焼き付いて離れない。彼女は告白する、「あの時、見知らぬ若者が私に/近づいた。燃えるような眼差しで、/そして私を震撼とさせ、/私の心の奥を刺してしまう眼差しで、/私の深い心の底を見抜いてしまった」(1092ff.)と。
勿論、ドン・ツェーザルはこの女性が兄ドン・マーヌエルの恋人であることを知らないし、彼女もドン・ツェーザルとドン・マーヌエルが兄弟であることを知らない。まして、この三人の誰も自分たちが血の絆で結ばれた実の兄と妹であることを知るはずもない。こうして、ベアトリーチェとドン・ツェーザルの間に恋愛の感情が芽生えたことは、もともと不仲であったこの兄弟の亀裂の溝を、修復しがたく深めてしまうことになる。しかし、シラーはベアトリーチェが二人の男性に心を寄せることについて、特段に道徳的な戒めの筋立てを配してはいない。かといって、情熱に翻弄されるベアトリーチェの心の葛藤を詳しく描き出すわけでもない。
前述したように、イザベラは息子たちの和解を試み、長年秘密にしてきた事柄、亡き夫にも隠してきた娘ベアトリーチェの消息について、息子たちに打ち明ける。亡き大公は生前にある不思議な夢を見たのだったが、イザベラはその夢の顛末について説明する。
ある日、父上は世にも珍しい、/不思議な夢を見られた。その夢に/彼は結婚の寝床から/二本の月桂樹が育つのを見る。その枝は/絡み合っていて―二本の間に/一本のユリが育っていた─/ところがそのユリが炎となり、絡み合った枝だけでなく、/家の柱も燃やして、ぱちぱちと燃え上がり、/火勢が広がって、たちまちのうちに家全体を/恐ろしい炎の海のなかに飲み込んでしまったのです。(1306ff.)
絡み合う月桂樹は切磋琢磨する兄弟の姿を意味するのか、あるいはいがみ合うことになる兄弟の姿を先取りしているのだろうか。またユリは、二人の兄弟の妹を象徴するが、このユリが二本の月桂樹の間で生長していることは、兄弟が妹を庇護しつつ平穏のうちに過ごすことを暗示するのだろうか、あるいはその妹が兄弟とそれぞれに何らかの関わりを持つことを予感させるのか。そこで、大公はあるアラビア人の占い師にその夢を占わせたのだった。その占いの結果についてイザベラは、「私が娘を産んだならば、その子は父上の二人の息子を殺し、そして一族が皆、彼女のために滅亡するということでした」(1321ff.)と明かす。ユリは純潔の花であり、その清らかな花が炎に変わるということは、この家が背負う忌まわしい過去の出来事、つまり大公とイザベラの結婚にまつわる大公の非道な行為に対する浄化の炎を意味する、と解することもできよう。また、その炎はこの兄弟の確執を清算する裁きの炎を予感させるものとも解釈できよう。しかし、亡き大公は、預言者の言葉のままに、炎となって月桂樹も家も焼き尽くすユリを、一族滅亡の火種、あるいは破壊者と捉え、娘誕生の際にはこれを排さなければならないと決意したとのことだった。
しかも、悲運なことに、イザベラは娘を産んだ。そこからイザベラの話は、この一家には修道院に密かに隠れ住まわせている娘がいることに触れる。イザベラは「しかし父上は、この生まれた子をすぐさま/海に投げ込むようにという/残酷な命令を下された。私は/このむごい仕業に反対し、一人の忠実な僕の/密かな奉仕によって娘の命を助けたのです」(1325ff.)、と秘密を明かす。
大公は、娘の命と引き換えに、支配権の護持を意図した。一方、夫の残忍な心を知ったイザベラは、夫を欺いて、そして忠義を尽くす僕に娘を託すことによって、娘の命を護ろうとしたのだった。イザベラのそのような行為は、夫の意思に反し、夫を欺き、夫婦の絆をやむなく断ち切ることを意味するとともに、大公と彼女の婚姻が背負う道徳的な罪の上塗りを回避しようとするものでもあった。否、イザベラは、この一家が見舞われるかもしれない不幸を娘の存在によって防げるかもしれない、と密かに期待をしたのでもあった。実は、イザベラも娘を妊娠中に、不思議な夢の宣託を受けていた。
私は、愛の神々のように美しい子が/草原で遊んでいる夢を見た。そこへ一頭の獅子が/森から現われ、その獅子はその血だらけな口に/捕ったばかりの獲物をくわえていて、/それを媚びるように子供の膝の上に置いた。/すると空からも一羽の鷲が舞い降り、/震える小鹿を掴んだまま、/その獲物を媚びるように子供の膝の上に置いた。/そして両者、獅子と鷲は、おとなしくあい並んで、/子供の足元に跪いたのでした。(1336ff.)
そこで、イザベラは信頼するある修道士にその夢が意味するところを解いてもらったのだった。彼女は、その修道士の解釈を次のように説明する、「私は娘を産むだろう。/その娘は兄弟争いをしている二人の心を、/熱烈な愛情によって一つにするだろう」(1349)と。
亡き大公は夢で見たことをアラビア人の占い師に占わせ、イザベラは修道士に夢の意味するところを尋ねたのだった。海の侵略者ノルマン人を連想させる[7]海の民の出であるこの一族と太古の時代からシチリア島で農耕を営む民、イスラム文化を思わせるアラビア人の占い師とキリスト教文化を想起させる修道士、ギリシャ神話を折に触れて引き合いに出す合唱団等、多様な文化、多様な人種の遭遇がこの戯曲のなかで描出されている。また夢判断の内容がアラビア人の占い師と修道士とでは異なるように、そして亡き大公とイザベラとでは家族の位置づけ─家族の一員を犠牲にしても家門を護るか、あくまで家族全体の幸を願うか─が異なるように、思考の多様性も窺える。シラーはこの戯曲が孕む多様な文化の痕跡、多様な思考について、この戯曲に添えた『悲劇における合唱団の使用について』のなかで、次のように述べる。
私はキリスト教とギリシャ神話を混用し、それどころかムーア人の迷信をも想起させた。しかし筋の展開の場はメッシーナであって、ここではこの三つの宗教が一部で生きており、一部で記憶の像のなかに残り、人々の心に影響を与えている。そして私は、様々な宗教を、想像力のために、一つの集合的な全体として取り扱うことを、詩の権利と見做しており、そこでは、独自な性格を持つもの、独自な感情様式を表すものすべてが、各々その位置を見出している。(NA 10,15)
イザベラの説得と秘密の開示によって、不仲な兄弟の心は解きほぐされるかにみえる。兄弟は愛の不可思議な結合の力を信じ始めている。それもそのはず、兄弟はそれぞれに恋愛の炎を心に宿しているからだ。ただし、彼らは、その恋愛の相手が同じ女性であり、しかも実の妹とは知るはずもなく。
ドン・マーヌエルとドン・ツェーザルはそれぞれの恋愛の体験から得た愛の不可思議な結合の力について、イザベラに語る。兄弟は、愛の絆を自然で欠くことのできない、しかも神によってなされた、親和の力で結ばれた結び付きであると了解する、男女の恋愛であれ、家族愛であれ。彼らは次のように神秘な結合の力について語る。
ドン・ツェーザル:魔法の力が不可解に働くように、/私を聖なる力で捉えたのは/彼女の微笑みの愛らしい魅力ではありませんし、/頬に漂う魅力でもなく、/神々しい姿の輝きでもなくて、/それは彼女の奥深くに宿る神秘な命でした。(1530ff.)
ドン・マーヌエル:親和性で結ばれたものが互いに会うとき、/そのときには抵抗も選択もありません。/心を打ち、射当て、燃え上がらせるものは/愛という聖なる神々の炎です。/神の結び給うもの、人がこれを解くことはできません。(1545ff.)
兄弟は、恋愛の体験を経て、家族愛を取り戻すかに見える。しかし、亡き大公による略奪婚、その歪んだ婚姻から生まれた子供たちの、これまた歪んだ人間関係、つまり息子たちの幼い頃からの不仲、それと知らずにではあるが、息子たちと実の妹の恋愛関係─こうした自然の結びつきに反する、幾重にも錯綜した家族関係は、そうやすやすとこの一家に平穏な生活をもたらしはしない。イザベラはベアトリーチェを呼び寄せるために、忠臣ディエーゴーを修道院に遣わした。しかし、ディエーゴーは顔面蒼白となって一人で帰ってくる。港に停泊していたムーア人の海賊がベアトリーチェを誘拐したのではないかとの騒ぎになる。ドン・マーヌエルとドン・ツェーザルは母親の懇請もあって妹の救出に走る。イザベラは、襲いかかる不幸を「恐ろしい呪い」の為せる仕業と解し、今さらながら恐れ慄く、「いつ、この家に重く圧し掛かっている/古い呪いは消えるのだろう。/狡猾な手合いは私の希望を弄び、/その嫉妬の怒りは決して静まらない」(1695ff.)と。
しかし、ベアトリーチェの失踪は、彼女がドン・マーヌエルに会いたい一心で為した行為であった。ここにも、情熱に翻弄される人物がいる。「私は彼女(母親)から逃げたのです。彼女のもとを去ったのです。/恐らく、私を永遠に彼女と一緒にしてくれるはずであった/まさにその日の朝に、/母のことさえ私はあなたのために捨てたのです」(1853ff.)と、ベアトリーチェは告白し、驚いて駆けつけたドン・マーヌエルの胸に飛び込む。しかも、あとから来たドン・ツェーザルはこの光景を目撃し、ドン・マーヌエルとベアトリーチェの関係を知ってしまう。そこで悲劇が起こる。
ドン・ツェーザル
(激しい勢いで入ってきて、兄の様子を見て驚いて後退する。)
地獄のまやかしだ!何だって。彼の腕のなかで!
(ドン・マーヌエルに近づきつつ)
毒蛇よ!これがおまえの愛なのか!/このためにおまえは騙しておれと和解したのか!/おお、おれの憎悪の声は神の声だった!/偽りの蛇の心よ、地獄へ落ちろ!
(ドン・ツェーザルはドン・マーヌエルを刺し殺す。)(1898ff.)
ベアトリーチェと兄ドン・マーヌエルが相愛の関係にあることを知ったドン・ツェーザルは、嫉妬と激怒のあまり兄を糸杉の下で刺殺する、熟すことのない実をつける死の木の下で。既に述べたように、シラーは『メッシーナの花嫁』によって、古代の運命悲劇を再生しようとする。しかも、シラーが目指すのは、古代の運命悲劇そのものの復活ではなく、現代的な運命概念、つまり生の道程において展開する御しがたい衝動の力と道徳的な自律心の欠如の関わり、しかもそこに自我意識の覚醒を組み込んだ劇の創生にある。シラーはこの戯曲の完成直後の1803年2月17日付W.v.フンボルト(Humboldt, Wilhelm von 1767-1835)宛書簡で、次のように述べる。
厳格な形式を守った悲劇を創作するという私の最初の試みは、あなたにご満足いただけることでしょう。あなたはそこから、私がソフォクレスと同時代の者であっても、賞を得たかもしれない、と判定なされるでしょう。私はあなたが私のことを近代の詩人のなかで最も近代的な人間と呼び、およそ古代的と呼ばれるものすべてに対して最大の対照を為す人間だと考えられたことを忘れません。ですから、私がこの異邦の精神を我がものにできたと、あなたを納得させることができますなら、私にとって二重の喜びです」。(NA 32,11)
人間は、自我の覚醒に至り、神の楽園から歩き出たとしても、道徳的な自己規定を行う自由を認識しないときには、粗野なままの自然のなかに埋没してしまう。そしてこの生のままの自然に浸ることも人間の自由でありそうだが、シラーはそれを人間としての生の使命に反すると捉える。「現実の自然は至るところにあるが、しかし真の自然はますます稀にしかない」、とシラーは『素朴文学と情感文学について』で述べ、さらに次のように続ける。
なぜならば、真の自然には存在の内的な必然性が必要だから。現実の自然は情熱の低級な勃発である。その勃発は真の自然かもしれないが、しかし真の人間的な自然ではない。なぜならば、真の人間的な自然は、常に品位が保たれた表出のすべてに、自立して関与できることを要求するから。実際の人間的な自然は道徳的には低級であるが、真の人間的な自然は望むらくはそうではない。なぜならば、真の人間的な自然は高貴であること以外の何ものでもないから。(NA 20,476f.)
実は、ドン・マーヌエルとドン・ツェーザルは和解を勧める母の言葉を最初から受け入れたのでなかった。あのとき(1幕4場)、和解を渋る息子たちに吐きつけたイザベルの言葉が想起される。イザベラは、「もう結構です!おまえたちは好きにするがよい。/おまえたちを意味もなく怒らせるデーモンに従うがよい。/もう、おまえたちはこの家の守護神の祭壇を敬わなくてもよい。/おまえたちが生まれたこの広間を/おまえたちが殺しあう舞台にするがよい」(443f.)、と怒りを露にしたのだった。
反目を続ける兄弟にたたきつけたイザベラのこの逆説的な言葉は、まさしく刹那的に駆り立てる衝動のままに生きる人間に対する痛烈な非難を意味する。しかも、兄弟は瞬間の衝動に従うことを高言して憚らない。この兄弟はイザベラの諫言で和解の席に着きかけたことがあった(1幕6場)。兄弟が相互に心のうちを明かしかけたその折、ドン・ツェーザルに席を立たねばならない用件が伝えられ、躊躇する彼に「瞬間に従え」(568)とドン・マーヌエルは諭したのだった。兄弟は、過去についての反省もなく、未来に寄せる展望もなく、瞬間の衝動に従って生きているとしか言いようがない。このような生き方に対して、この土地に土着のものたち、民を代表する合唱団は、この国の歴史の流れと現状を自然災害に譬え、ただしその自然、つまり他の種族の支配に心の根底においては屈することがなく、忍従のなかに底知れぬ強靭な生命力を潜める彼らの生き方を次のように吐露する。
あの物凄い嵐の折の流れは、/無限に降り注ぐ雹や/暴風雨が集まって流れ、/暗闇のなか、ごうごうとすごい速さでやって来て、/橋を引き裂き、堤を破り、/轟きながら大波で迫り来る氾濫となる。/この強力な流れを妨げるものは何もない。/しかし、瞬間だけがこの流れを生んだのだった。/これまでの歩みの恐ろしい跡が/砂のなかにしみ込みながら消えてゆく。/破壊の様子だけがその痕跡を告げるにすぎない。/よその征服者が来ては、去る。/我々は服従する、しかし、いつまでも残っている。(242ff.)
合唱団はしたたかに、かつ世代を超えて種族の存続を図る民の強さ、しぶとさをみせる。それに対して、この支配層の一家は瞬間の激しい衝動に駆り立てられて生きている。大公家に平和な家族関係を復そうとするイザベラさえも、息子ドン・マーヌエルの殺害を知ったときには、悲嘆のあまり、激しい衝動が彼女の心を引き裂くままに、呪いの言葉を発しているではないか。
神々は私に対して、この上もない邪悪な仕打ちを加えた。/彼らがこの上なおも私に辛くあたるように、/私は彼らに歯向かってやる。―もはや心配すべきことを/持っていない人間には、なんの恐れることもない。/かわいい息子は殺されてしまった。そして/生きている息子からは別れてゆくのだ。/この子は私の息子でない―私はバジリスクを生んでしまったのだ。(2492ff.)
彼女はこの家を襲う忌まわしい不幸を神々の罰と捉える。自らも衝動の餌食なってしまう彼女は、自制心の欠如を認識することができない。このことから、呪いや神託といった超人間的な力に対するシラーの考えを窺うことができる。一族に取り憑いていると見做される呪いが、この一族の不幸の原因ではない。確かに、この一家の者たちが、呪いによって下される罰としての不幸を恐れていることは、一族の理不尽な行為に対する道徳的な意識の覚醒と捉えることもできる。しかし、ドン・マーヌエルとドン・ツェーザル──ときにはイザベルとベアトリーチェでさえ──が取る行動の多くは、衝動に身を委ねる生き方を示し、道徳的な意識の欠如を窺わせる。兄弟の和解を図る際に、大公妃は兄弟に彼らの「不幸な鎖」(417)から解き放たれることを求めるが無駄である。彼らは自分たちのこれまでの振る舞いを抑えようのない衝動のせいにしてしまう。しかも、そのような衝動が惹起される根拠を、自らの人間性の未熟さ、欠如に帰することはなく、他者の非人間的な言動のせいにする。ドン・マーヌエルの非業の死を知って悲嘆にくれるイザベラは、犯人ドン・ツェーザルに非難の言葉にぶつける。当然のことである。しかし、ドン・ツェーザルは、母の絶望の言葉のなかに、自分のおぞましい行為に対する幾ばくかの弁明を見出したかのように、「母上は私を愛していなかったのだ。/やっと母上の心が分った。悲しみがそれを曝け出させた。/母上は兄上を私より大切な息子と呼んだ。─/母上は一生涯、ごまかしていたのだ」(2554ff.)と逆に、恨みの言葉をぶつけて、立ち去る。
次にドン・ツェーザルが現われたとき、彼は己の行為の結果を「自由な死」(2642)によって支払うことを決意している。怒りの激情に駆られてドン・ツェーザルを一方的になじったイザベラは、ドン・ツェーザルの自死の覚悟を知り、「私が絶望のあまり我を失って、/愛するおまえに向かって浴びせた呪いの言葉を取り消します。母親というものは、おなかを痛めて生んだ自分の子供を呪うなどできない。/ [・・・・・]生きておくれ!」(2672ff.)と懇願する。その母親に向かって、ドン・ツェーザルは次のように告げる。
私は喜んでおられる方々を嬉々として見上げねばなりません。/そして自由な精神で私の頭上高くに浮かぶエーテルを掴まねばなりません。/私たちがまだ同等の兄弟であった頃、/根深い嫉妬心が二人のこの世の生活を分け隔てたのでした。/あなたの苦痛が私より彼を優先なされたことをお考えになられてください。/死は浄化する力を持っております。/それはその永遠の宮殿のなかで、/純なるダイヤモンドのような真の徳へと/死すべきものを、また欠陥の多い人間性の汚点を浄化します。(2731ff.)
ドン・ツェーザルは、イザベラが勧めるキリスト教的な贖罪の生活を退け、死の「浄化する力」に我が身を託そうとする。しかし、彼が自ら命を絶つことによって、何を浄化しようとするのかを見極めねばならない。彼は人を、しかも肉親を殺めたにもかかわらず、「私は喜んでおられる方々を嬉々として見上げねばなりません。/そして自由な精神で私の頭上高くに浮かぶエーテルを掴まねばなりません」と、彼の胸のうちに、「喜んでおられる方々」、つまり神々によって庇護された生に対する期待を、相変わらず抱いている。ドン・ツェーザルは、彼によって引き起こされた現実世界での惨事の収拾に向かう代わりに、「高く浮かぶエーテル」を掴もうとする。現実世界からの移行を望む言葉のなかで明らかになる彼の自己理解は、確かに他律によってではなく、「自由の精神」によってなされている。しかし、それは現実を真正面から捉え、人間として現実の世界で果たすべきことを認識する代わりに、現実からの逃亡の意図を示す。ここで示されるドン・ツェーザルの永劫的な生に向けての希望と現実世界で採る姿勢のギャップは、彼の人間性の欠陥を露にする。つまり彼の自己中心主義的な考え方の異常な高まりを示す。兄を殺めたことによって、愛の絆─それは、幼い頃より密かに求めてきた母の愛であり、そしていまでは実の妹であることが分ったが、ベアトリーチェに対する愛でもあるが─に結ばれて、現実の生において至福を掴む可能性が閉ざされた後では、彼は自分が神の国の住人になるという願望を持つようになる。しかも、この願望は死後に初めて満たされるようではあるが、しかし、現実の世界と無関係ではない。なぜならば、彼の死後も現実の世界で生き続けるイザベラとベアトリーチェの記憶のなかで、彼は死後に神となって生き続けることを望んでいるから。
それ故、自ら命を絶つという彼の告白は、ところを変えて、つまり唯物的な世界から観念の世界へと場を変えて、自己を絶対化しようとする主体性の表れであって、崇高な心の表出ではない。この告白で明らかになるドン・ツェーザルの自己中心主義と神格化への願望は、現実の生において─たとえそれが贖罪の生であっても─晒される心の苦しみから逃れようとすることの裏返しに過ぎない。生き残ることに対するドン・ツェーザルの恐怖は、次の言葉からも読み取ることができる。
星が地上から遠く離れて位置しているように、/兄は私から遠く離れて崇高に立っている。[・・・・・]/こうして彼は休みなく私の心を蝕むでしょう。/いま、彼は私から永遠な存在を奪い取ってしまい、/神のように、あらゆる競争を超越して、/人々の記憶のなかで生き続けております。(2736ff.)
兄だけが死後も変わらず崇高な存在として人々、特にイザベラやベアトリーチェの心のなかで生き続けることを、ドン・ツェーザルは恐れる。そして彼は、彼のために流された涙に彼の存在の永遠化の証を一方的に読み取り、自ら命を絶つ、「私のために流された涙を私は見た。/私の心は満足だ。私はおまえの後を追う」(2833f.)と。ドン・ツェーザルは、自己中心主義的な願望に基づく自我の救済と永遠化のために、死を選択するのだ。ドン・ツェーザルが目指す生の永遠化はまさしく孤立を深める。彼が永遠化の判定の拠りどころにする他者の同情は、私的な域を出ていない。しかも、彼は他者の同情の念をまさしく技巧的に引き出そうとする。確かに、彼の告白と自殺の決意にベアトリーチェの振る舞いが対応している。彼女は当初、母からドン・ツェーザルの自殺の決意を聞いて、幾度も、彼に自殺を思いとどまらせようとする、「あなたの母上のために生きてください」(2807)、あるいは「私たちの母上のために生きてください」(2816)、「母上のために生きてください。そしてあなたの妹の心を慰めてください」(2917)と。彼の説得に努めるベアトリーチェの姿に、ドン・ツェーザルは感激して、「妹よ、おまえは私のために泣いてくれるのか」(2815)と叫ぶ。彼の心の高まりを、ト書きは「非常に激しい気持ちを顔に表して」(NA 10,124)と伝える。しかし、彼が示す感激は私的なもの、ベアトリーチェの心を捉えたいという願望から発するに過ぎず、普遍性を示すものではない。それ故、死への行動をとる際に、神の国への飛翔を願うとはいえ、ドン・ツェーザルは私心の域を出ていない。むしろ、彼の自己中心主義的な考えが決定的に露見するだけである。シラーのこの戯曲創作の意図が、『オルレアンの乙女』や『ヴィルヘルム・テル』と同様に、崇高な心の描出にあるとするならば、ドン・ツェーザルの心の浄化を描出することに関しては充分とは言い難い[8]。彼の生き様は、刹那的な衝動に身を委ね、かつ自己中心主義的な意識が招く道程を露呈している。あるいは、シラーは、人間が牧歌的な園に別れを告げ、自我意識を持って生を進むにせよ、無節制な自我意識の突出を戒め、道徳的な自己管理に基づいた生の道を説こうとしているのであろうか。そうだとするならば、ドン・ツェーザルはまさに反面教師の役を演じていることになる。
四 悲劇における合唱団団の使用について
『メッシーナの花嫁』の創作で留意すべき点は合唱団の使用にある。しかも、古代の悲劇における合唱団の使用から示唆を引き出しながら、その合唱団に近代性を持たせようとしている[9]。ただし、シラーの試みが彼の意図通りに成功しているか、否かは別にして。シラーが作り上げようとする合唱団は、登場人物たちが置かれている様々な状況─歴史的、風土的、あるいは精神的な状況等─を、そして何より彼らを囲む民の心を単に描出するだけでなく、戯曲の場の背景形成を詩的に行い、筋の展開を流れるように運ぼうとする。しかも、合唱団は登場人物たちの補佐役を務めるだけでなく、合唱団自身が意思を持つようになり、自我意識の覚醒のなかで、あるときは登場人物たちに伴い、あるときは登場人物たちの人間的な欠陥を指摘したり、理想的な生のあり方を示唆したりするはずであった。1803年6月7日付J.F.コッタ(Cotta, Johann Friedrich 1764-1832)宛書簡で、シラーはこの戯曲の出版にあたって序文─それは合唱団の使用に関する小論だが─の添付を伝える(NA 32, 43)。実は、それに先立つこと2ヶ月前の3月10日付Chr.G.ケルナー宛書簡で、シラーは、この戯曲について示したChr.G.ケルナーの理解に満足の意を表するとともに、合唱団使用の意図について詳細に伝えている。
合唱団のことで申し上げますと、私は合唱団に二重の性格を持たせなければなりませんでした。つまり、それが静かな省察の状態にいるときには、普遍的で人間的な性格を持たせなければならなかったし、そしてそれが激しい気持ちに陥って行動的な人物になるときには、特別な性格を付与しなければなりませんでした。(NA 32,19f.)
さらに、前者の場合には、「船が大波と闘っているときに、安全な岸辺に立っている」と同様に、「冷静な者は熱い気持ちになっている者」より物事の本質をよく捉えているようなもので、後者の場合には、「民の無知、偏狭さ、朦朧とした激しい気持ち」(NA 32,19f.)を示し、主人公たちを際立たせることになる、とシラーは続ける。このような合唱投入の意図を、シラーは前述した小論『悲劇における合唱団の使用について』で詳細に述べる。その意図を簡明に表現すれば、「合唱団は私たちにとって、悲劇が現実の世界から純粋な気持ちで離れて、その理想的な基盤、即ちその詩的な自由を保持するために、自らの周囲に張り巡らす生き生きとした防壁であるべきだ」として、シラーは合唱団の再構築を目指す。今、合唱団の再構築という表現を用いたが、その理由はシラーが古代の悲劇とそこで用いられた合唱団の関わりを分析的に考察したうえで、近代の悲劇において合唱団の使用を目指しているから。つまり、シラーは、古代において実際の生活の詩的な部分から合唱が生まれ、「周知のように、その合唱団からギリシャの悲劇が生まれた」(NA 10,11)のであって、それ故、悲劇がその発生の起源からして既に合唱団と密接な、自然な関わりを持ってきたという認識に立つ。また古代の悲劇は、高貴な身分の者や王を主人公にしており、それ自体が既に公的な要素を帯びている。このように、合唱が古代の悲劇において「自然な機関」であったのに対して、近代の悲劇において合唱は「人工の機関」にならざるをえない。なぜならば、近代の生活の営みでは言葉自体が散文体で交わされており、近代の詩人は合唱を自然のなかに見出すことがもはやできず、詩的に創造しなければならないから。近代の詩人は、古代の詩人と異なり、通常の生を営んでいる世界を、詩的な世界に引き上げて、戯曲のなかでその世界を描出しなければならない。そこでシラーは、合唱団を通じて、その詩的な世界を招来しようとする。要するに、近代の悲劇における合唱団は、人工の技を磨いて、芸術の域に高めた上で、喪失した自然の情景、自然の心の再生を果たすものでなければならない。当然に、合唱団が惹起する詩的な世界とは、古代の人々の素朴で、調和の取れた境地を目指すのであるから、理念的なものと感性的なものの均衡状態にある。しかし、近代の人間が持する近代性は感性的な行動にではなくて、まさに反省に基づく生の活動にあり、それ故に近代の悲劇における合唱団にも、反省が求められる。しかも、この反省は現実の行動の範囲を時間的にも空間的にも超え出て、また質の点でも人間的なものを遥かに超えることが求められる[10]。
こうしたことを、合唱団は想像力をすべて傾けて行い、また人間界の諸々の事象の高い頂を神々の歩みで歩き回るような大胆な自由と叙情的な自由でもって行う─そして合唱団は調子と動きにおいて、リズムや音楽といった感性的な力すべてに伴われてこうしたことを行う。
それ故、合唱団は、反省を行動から分離し、そしてまさにこの分離を通じてそれ自身に詩的な力を備え付けさせることによって、悲劇的な詩を浄化する。(NA 10,13)
既に考察を加えているように、戯曲は、息子たちの不和を憂慮する大公妃イザベラの嘆きの場面で始まるが、次に、騎士の装いをした合唱団が二隊に分かれて登場し、それぞれの隊がいがみ合う息子たちドン・マーヌエルとドン・ツェーザルの家来であることを明らかにする。二つに分かれた合唱団は、家来という立場からは、彼らの主人たちと同じく、対立している。しかし、同時に彼らは本来、同じ土地の者、同胞であって、彼らの主人たちこそが他の種族の出身であることも明らかにする。第一の合唱団は次のように詠う。
おまえをわしは憎まない。おまえはわしの敵ではない。/実際、一つの町がわしたちを生んだのだ。/あの方たちこそ違う種族だ。/しかし主君が互いに争えば、/臣下も互いに斬りあい、殺しあわなければならない。/それが秩序だ、またそれが正義というものだ。(175ff.)
シラーは合唱団を二隊に分けた理由を、「私は合唱団を二隊に分け、それぞれがあい争うように描写した。しかしそれは、合唱団が現実の人物として、そして盲目的な民として行動する場合に過ぎない」(NA 10,15)と述べる。確かに、二隊の合唱団は主人の意に従って行動することを義務と見做している。しかし、この「反省もなく隷従する民」を代表する彼らが吐く言葉の端々から、幾世代にも亘って不当な状態、隷従の身に安住してきたことに対する自責の念の芽生えが窺える。合唱団のひとりが次のように詠う。
わしたちは戦いの怒りに駆られて/考えることもなかったし、話し合うこともなかった。/猛り狂う血潮がわしらを魅了したからだ。/この種子はわしらのものではないのか。/蔦の絡まったこの楡の木を/わしらの太陽が生み出したのではないか。/[・・・・・]何故、わしらは猛り狂った行動で/他の種族のために、わしらの剣を抜くのか。(194ff.)
「見ての通り、今、わしらは下僕となってこの他の種族に仕えている」(210f.)、あるいは「わしらは自分の国で奴隷になっている。/この国は自分の子供である民を護れない」(222f.)といった批判の言葉が、合唱団から飛び交う。既に、彼らは必ずしも自負心を放棄して生きているのではないことが窺われる。シラーは『悲劇における合唱団の使用について』のなかで、合唱団(Chor)という言葉の表現にこだわる。なぜならば、シラーにとって、単数形Chorを用いるか複数形Choreで表現するかは、合唱団の理解の本質に関わる問題だから。シラーは、近代悲劇における合唱Choreではなく、古代の悲劇で用いられた合唱Chorの再生を目指す。
確かに合唱は近代の悲劇においても既に知られている。しかし私がここで用いたと同様に、ギリシャ悲劇の合唱は、戯曲の筋全体を支え、また伴う唯一の理想的な人物としての合唱であり、あのオペラ風の合唱とは本質的に異なる。ギリシャの悲劇についての話の際に、単数形Chorの代わりに複数形Choreで話されるならば、話していることについて正しく知らないのではないかという疑念が、私の心に浮かぶ。(NA 10,15)
「合唱として、理想的な人物として、それは常にそれ自身と一体なのだ」(NA
10,15)と述べるシラーが、『メッシーナの花嫁』における合唱団の登場を二隊に分けて配置しているところに、シラーの創作意図を看取しなければならない。シラーは合唱団の理想の姿を、自己自身と分裂をきたしていない、それ自身と一体化した存在に求め、そしてその合唱団を近代の悲劇に導入しようと意図しているのであるから、シラーが近代の悲劇における合唱団に求めるところは最終的には一つになった、自己自身と一体化した合唱団にある。しかし、シラーは近代的な人間の理想像を、自律心の覚醒に基づいた理性的な人間形成と文化の構築においている。楽園からの人間の脱出について述べたシラーの言葉が想起される。
本能からの人間のこの離脱は、確かに道徳的な悪を被造物にもたらしたが、しかし道徳的な善をそのなかで可能にするためにだけであって、矛盾なく人間の歴史において最も幸福な、最も偉大な出来事であり、この瞬間から人間の自由は書かれ、ここに人間の道徳性への最初の遠く離れた基石はおかれた。(NA 17,399f.)
シラーは、神の支配から離れ、そして道徳的な自己規定に基づく生き方に近代的な人間の理想像をおいていたが、そのシラーが、今や、合唱団の描出においては、人間の心情における統一、感性と理性の再調和を求めている。つまり、シラーは、近代性の特質である理性の覚醒と自律心の形成を凌駕する心のあり様に、彼の関心を向けている。シラーは、合唱団の理想の姿、つまり民の理想の心のあり様を、感性と理性の調和的な再統一においている。それ故、合唱団、つまり民が、今でこそ他の種族の支配に服しているが、己の奴隷状態と己の故郷の歴史の流れに疑問を抱き、実り豊かな地での平穏な生活の構築に思いを馳せていることは、この民がやがては自立心に芽生えて他の種族の支配から脱し、心の均衡を取り戻して、自然との一体感のうちに牧歌的な世界に再び遊ぶことを予感させる。
この合唱団は、兄弟殺しという自然の秩序に反する犯罪が行われてから、自らの意思を特に明らかにするようになる。二つの合唱団は、そのときまでは彼らの主人に従って対立関係にあったが、この忌まわしい事件の後は、ますます彼らの意思に基づいた言葉を発するようになる。合唱団は支配者であるイザベラを戒めようとすることもある。合唱団のこの姿勢の変化を明確に表しているのが、息子ドン・マーヌエルの死を知って悲嘆にくれるイザベラに向けられた合唱団の発言といえよう。悲嘆のあまり、神に寄せる信心さえも捨て去ろうとするイザベラを、第一の合唱団のひとりカイェターンが戒めて言う。
痛ましや、痛ましや。なんと仰せです。/お控えください、お控えください。/大胆なことを言い散らすのはお控えください。/神の宣託は見通しておられます、当たっておられます。/結果はその真を讃えることになります。(2376ff.)
しかし、合唱団の戒めの言葉にも耳を貸さず、イザベラは我が身の不幸を嘆く、「死すべき者にとって、未来は壁で取り囲まれている。/そして如何なる祈りも鉄のように固い天まで届きはしない。[・・・・・]自然の書物には意味などない」(2388ff.)と。そのとき、第二の合唱団のひとりボーエムントが「お控えなされ、不幸なお方、痛ましや。痛ましや。/あなた様は目が見えないために/太陽の光を否定なされます。神々は生きておられます。/あなたのまわりを恐ろしくも取り巻いている神々をお認めなされ」(2394ff.)と戒める。
今や、亡きドン・マーヌエルの家臣であった第一の合唱団も、ドン・ツェーザルの家臣である第二の合唱団も、ともに大公家の人々を神への信心に繋ぎとめようとする。あの忌まわしい兄殺しを契機に、合唱団は本来的な人間としての自然な生のあり様を口にするようになる。それは他の種族の支配からの独立心を単に惹起するだけではなくて、人間が自然の庇護から離れ、生を勝ち取る過程において育成してきた対立的な思考、自然をはじめ、他者との敵対関係のなかで社会や文化の形成を押しすすめるといった思考から、自他の均衡関係、否、自他の区別そのものを超え出た心のあり方への移行を意味する。合唱団は次のように詠う。
野辺の静寂のなかで/生の混乱した地域から離れて/幼子のように自然の懐に抱かれている人に、/その人に幸あれ。私はその人を幸せだと祝福せずにいられない。
[・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・]
犯罪や災害というものは、/ペストと同様に、高尚な場所を避けて/町のいざこざに転がり込んでくるものだ。/ 山の上には自由がある。くぼ地の悪寒は/清らかな大気にまでは昇らない。/人間が苦悩を持ってやって来ない限り、/世界はいずこも完全なものだ。(2562ff.)
人間がそもそも自己自身のうちに不調和を抱える苦悩の存在と捉えられる。人間は自然の庇護を拒否して社会を形成してきたが故に、自己自身の心に分裂をきたしている、と反省される。全体性を失った人間の手によって形成された世界のなかにではなく、山の上に合唱団は自由の世界を見ている。合唱団は、ドン・ツェーザルの決意を試すかのような言葉を吐く。「血の力を試せ、/感動的な母の願いの力を試せ」と、合唱団は母親イザベラと妹ベアトリーチェに、ドン・ツェーザルの死の決心を翻させるようにと迫る。合唱団は自らの意思に沿って、大公家の人々と同等な立場で発言する。このことは、支配と隷従の関係が消滅していることを示す。しかし、合唱団の助言も効なく、「血の力」さえも押しとどめることができないドン・ツェーザルの自決の瞬間が来る。
しかし、合唱団は、シラーの創作意図にそった成功を収めているのだろうか。確かに、既に考察を加えているように、合唱団は道徳的・教訓的な言辞をドン・ツェーザルやイザベラ、そしてベアトリーチェに垂れる。しかし、合唱団がときに示す心の動揺、見解の揺れをどのように解釈すればよいのか。例えば、戯曲の初めで(1幕4場)、息子たちの不和を嘆くイザベラは血の絆の素晴らしさを説く、「自然な血の絆だけが誠実です。それだけが/永遠の港に変わらず停泊しているのです、/たとえ、あらゆるものが生の荒波に/明日をも知れず揉まれても」(360ff.)と。しかし、彼女のこの言葉を合唱団は認めながらも、「しかし、我々を、わけの分らぬ衝動が/滅茶苦茶に、意味もなく、荒れ果てた生へと駆り立てる」と答える。合唱団は浅薄な人生訓を垂れて、彼女の心をかき乱そうとするのか。あるいは、大公家の兄弟の和解によって平和─ただし、束の間の平和─が訪れようとするとき(一幕七場)、合唱団のひとりマンフレートは「平和は素晴らしい。愛らしい子供のように/それは静かな小川のほとりで安らっている」と平和な世の到来に安堵しつつも、「しかし、戦争も敬意を払われねばならない。/人間の運の原動力だ」(871f.)とも述べる。この場面では、マンフレートの他に、カイェターン、ベーレンガルといったドン・ツェーザルの家臣たちが平和の世と闘いの世における生の喜びについて議論を重ねる。彼らは闘いに生き甲斐を求めてもいるのだ。確かに、合唱団がドン・マーヌエルの家臣とドン・ツェーザルの家臣の立場に分かれているときには、彼らの心が未熟であった捉えることもできよう。合唱団自身が心の成長を見せることに、この戯曲の展開の妙もあるのだから。しかし、あの忌まわしい殺害の出来事の後には、この合唱団は一体となり、心の成長を見せるのかと思うと、必ずしもそうではない。最終の場で、「かわいそうな母親よ。希望を持ちなさい。/彼は生きることを選んだ。あなたの息子はあなたのために留まる」と、合唱団はドン・ツェーザルの自殺の決意の翻意を読み違えてしまい、そして何よりも、「震えながら私は立っている。私は分らない、彼を/気の毒に思うべきか、彼の運命を讃えるべきか」(2835f.)と、ドン・ツェーザルの生き方を判定できずにいる。シラーは観衆の心の成長を待って、判定を観衆に委ねたのだろうか。あるいは、シラーは筋の展開を急ぎすぎたのだろうか。いずれにせよ、合唱団の心は揺れ続ける。
これまで考察を加えてきたように、ドン・ツェーザルを含めて、大公家の人々が崇高な心に到達することはなかった。また、合唱団の心には成長が窺えるものの、やはり崇高な境地に至りきっているとは言い難い。『悲劇における合唱団の使用について』で説かれているほどには、この戯曲における合唱団の形成は成功を収めているとは言えない。それ故、この戯曲を、シラーの一連の牧歌−構想に加えるわけにはゆかないが、衝動に駆り立てられて破滅する人物に、そして啓蒙的・教訓的な言葉をときには明らかにする合唱団等に、シラーが啓蒙的に造形しようとする人間の心のあり様を、捉えることができる[11]。
次の略語を用いている。
NA: Schillers Werke. Begruendet von Petersen,
Julius. Nationalausgabe. Weimar 1943ff. 同全集からの引用箇所については本文中に記す。なお、略語に続く二つのアラビア数字は、順に巻数と頁数を示す。また、Die Braut von Messinaからの引用箇所については、句数を引用の末尾に記す。
[1]筆者は『オルレアンの乙女』と『ヴィルヘルム・テル』について、考察を加えたことがある。参照。「シラーの『オルレアンの乙女』におけるヨハンナ像について」(東北薬科大学「一般教育関係論集」五号。1-23頁。1992年。「シラーと牧歌─『ヴィルヘルム・テル』を中心に─」(中村志朗先生退官記念論文集「カレイドスコープ」1995年。45-57頁。
[2] 『メッシーナの花嫁』をシラーの一連の牧歌−構想に沿う作品と見做す研究者としては、G.カイザーを挙げることができる。Vgl. Kaiser, Gerhard: Die Idee der Idylle in Schillers Braut von Messina. In: Von Arkadien nach Elysium. Hrsg. von Kaiser, Gerhard. Gottingen 1978. S.137-166. これと異なる解釈として次の研究書を挙げることができる。Wiese, Benno von:Friedrich Schiller. Stuttgart 1978. 4.Aufl.(1.Aufl. 1963). 746ff.Guthke, Karl S.: Schillers Dramen. Idealismus und Skepsis. Tuebingen und Basel 1994. S.259ff. Die Braut von Messina. In: Schiller Handbuch. Hrsg von Koopmann, Helmut. Stuttgart 1998. S.466-485. Alt, Peter-Andre: Schiller. Bd.2. Muenchen 2000. S.528ff.
[3] Vgl. J.W.v.Goethe. Gedankenausgabe der Werke, Briefe und Gespraeche. Artemis Verlag. Zuerich 1962(zweite Auflage). Bd.11. S.672.
[4] 『メッシーナの花嫁』の成立史については、次の書を参照。NA 10, 311ff. Friedrich Schiller. Saemtliche Werke. Muenchen 1968. Bd.2. S.822ff.(Anmerkungen von Koopmann, Helmut)
[5] B.v.ヴィーゼは大公家に窺える家族関係の崩壊を自然な秩序に対する冒涜として断じる。Wiese, B. v.:Schiller. (Anm.2) S.755.
[6] P.バローネはこの戯曲で描出されている悲劇性を人間の激情に見ている。Barone, Paul:Schiller und die Tradition des Erhabenen. S.324ff.
[7] P.A.アルトは11・12世紀のシチリアの統治勢力について、シラーの歴史研究をも参考にしながら、実証的に考察を加えている。Alt, P.A.:Schiller. (Anm.2) S.533f.
[8] B.v.ヴィーゼはドン・ツェーザルの兄殺しを厳しく弾劾。「犠牲というものは清らかで無垢なものであって、これに対して、我が身を捧げようとするこの者は罪を犯しており、彼は懺悔や贖罪によっても相殺できない残虐な行為を行った」と厳しい言葉を向ける。Wiese, B. v.:Schiller.(Anm.2) S.756.
[9] P.A.アルトは18世紀に、シラー以外の作家によっても、悲劇に合唱団の使用が試みられていることについて考察。Vgl. Alt, P.A.:Schiller. (Anm.2) S.543.
[10] P.A.アルトは、シラーがここでは合唱団の使用を「美学的な視点からのみ」で、「社会的な理想像の視点」では論じていないことを指摘。Alt, P.A.:Schiller. (Anm.2) S.544f.
[11] K.S.グートケはドン・ツェーザルを理想主義者と見做すか、自己中心的な現実主義者と捉えるかという解釈に拘泥しない。彼は人間の性格・行動を二者択一的にではなく、両面的・多面的に把握するが故に、この戯曲を「シラーの最高の作品のひとつ」に挙げられなくとも、「必ずしも見栄えのしないわけではない」と結ぶ。Vgl. Guthke, K.S. : Schillers Dramen. (Anm.2) S.278.