仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」第2号。19956月。

 

 

自 然 と 文 化

―シラーの詩『逍遥』を中心にー

 

 

                       松山雄三 

                               

一                                           

見習い軍医士官Fr.シラーは、隣国の町マンハイムで上演される『群盗』の初演を鑑賞するために、無断で任地シュトゥットガルトの連隊を抜け出した責めを問われ、医学関係以外の文筆活動の禁止と二週間の禁則を申し渡される。『群盗』といえば、シラーの初めての完成戯曲であり、公演そのものは観衆、特に青年層の圧倒的な支持をえることができ、大成功だったのだが、作品の内容故に、為政者側はシラーに厳しく対処したのだった[1]。そこで、シラーは詩的創作活動に対する使命感にも似た熱い内奥の声に導かれて故郷の地を出奔する。シラーは、根無し草のように、放浪の生活を余儀なくされた。しかも、生活資金の不足に加え、詩的想像力の衰退についての自覚と苦悩は詩人シラーを執拗に追い詰めてゆく。特に、戯曲『ドン・カルロス』の完成後、シラーは作家活動の断念を決意するほど、詩的想像力の枯渇に苦しめられる。やがてシラーはカントの歴史哲学との接触を通じて歴史の研究に携わることになり、歴史書『オランダ離反史』の一般的な好評とゲーテの推薦に支えられ、イェーナ大学の教授職に就くことができた。しかし、そのような安寧も、次第に身体を蝕むようになった病気によって壊されてしまう。

詩的想像力の貧困や病魔による心身の疲弊、そしてそれらに起因する生活資金の欠乏はシラーの生を、精神的にも物質的にも追い詰めてゆく。こうした非難の矛先を定めようのない悲嘆と苦悩の感情は、時には美学論文『優美と品位について」において窺われるように、シラーとは反対の、才能の点でも実践的な生活の点でも恵まれている人物を当て擦るかのような言葉となって表出する。

 

そもそも根源的なものにおいても、作用においても、構成美と多くの共通点を持つ似たことが、度々天才に関して起こることを、ついでに述べておく。後者と同じく、前者も単なる自然の産物である。そしていかなる規定に従っても模倣されえないもの、そしていかなる功績によっても達成されえないものを、まさに最も高く評価する人々の誤った考え方に従って、優美よりも(構成)美の方が、後天的な精神力よりも天才の方が、一層賛美される。(NA 20,275)

 

 シラーは前記の美学論文において、「単なる自然によって、必然性の法則に従って造られる美」(NA 20,255)と「主体そのものによって生み出される美」(NA 20,255)を厳密に区別し、前者を「構成美」と、後者を「優美」と命名し、さらに美的なものに対する理想的な心意状態のあり方を「美しい魂」の表出である「優美」に託そうとする。これまでの演劇論文、美学論文が示すように、シラーは芸術論を展開するにあたって常に人間のあり方、人格を考察の中心に据えており、前記の論文における美的境地の規定にあっても、人間の自由意思と自覚による美的心意状態の惹起を要請する。カール学院の第三の卒業論文『人間の動物的本性と精神的本性の連関について』において考察を加えて以来、人間の感性と理性の関係、並びに両者の調和的統一に向けての探求を深めてきたシラーは、芸術的・美的教育による人間的完成の道を求めるにいたる。感性と理性の究極的な調和的な心意状態を「美しい魂」、その持ち主である主体によるその外的な表出を「優美」と名付けるシラーは、現象的には偶然性に左右されるその美の表出の持続性と確定性を人間の意思力と自覚によって決定的に高めることによる「崇高」の概念を探究する。自然的美よりも理念的美の追求と、その心的惹起による人間的完成を、シラーは要請する。しかし、美的なものを破壊することなく、理念の仲介による美的なものへ昇華をはかるために、その定式を肯定的に理解するためには、シラーが自分の精神的形式を十全に捉えるに至るまで待たなければならない。1794831日付ゲーテ宛書簡のなかで、シラーは次のように告白する。

 

私の悟性は本来はるかに象徴的に働きます。そこで私は、概念と観念の間で、法則と感情の間で、技術的な頭脳と天才の間で、どっちつかずの者として、浮かんでおります。[・・・・・]私が哲学的に考察しなければならないときに、詩人が私を急き立てますし、私が詩作しょうと思うときに、哲学的精神が私を急き立てるのです。(NA 27,32)

 

しかし、詩的活動を願うシラーにとって邪魔者と感じられる哲学的傾向性は、シラーに思弁的な詩的生産の道を開示し、そのことは同時に詩人シラーの芸術的生の行き詰まりを救うことになる。ゲーテほどの詩的直観力に恵まれていないことを自覚し、苦悩するシラーにとって、理念の力を積極的に借りることによる詩的対象の理想化という詩的創作の道は、彼の詩的資質の不足を単に補足するといった消極的な面からではなくて、彼の独自性を十全に生かしながら彼の芸術的要請を訴えてゆくという積極的・肯定的な面から、詩人シラーの芸術家的蘇生を確かなものにしてゆく。

H.マイヤーが「シラーは、彼の哲学的な理想主義と、精気溢れる造形を求める彼の芸術家気質との間のこの矛盾を解消するために、いわば、彼が<理想>と理解しているものと、<生>と理解しているものとの間に、ある立場を求めた」[2]と指摘するように、シラーはその立場を理念の積極的な参入による詩的対象の理想化に見出す。哲学的理念に基づく理想化という詩的創作の道を求めることにより、シラーの哲学者としての資質と詩人としての資質は、両者の向上的な宥和のうちに、詩的真実を未来的方向に開示することができる。それ故、シラーの詩的創作に彼の理念能力の優勢を認めるW.フンボルトの次の言葉は、シラーの詩的傾向の本質を的確に捉えているといえる。

 

あなたは私の言いたいことがお分かりでしょうが、すべてのあなたの詩的産物は、他のいかなる詩人に見られるよりも、そして経験のない者が詩と協調できると見倣すよりも、もっと強い理念能力の比率を示します。しかし私はこの言葉で、あなたの詩がまさに哲学的なものとなる理由だけを言っているわけでは決してなく、あなたが、純粋な詩的な創造、それ故芸術家に相応しい発明であるものを取り扱われるときの独自性のなかにも、まさしくこの特徴を見出すのです。(NA 35,384f.)[3]

 

あなたの場合で長所と短所がひとつになっているところとは、結局のところ客観性に対する主観性の優越ということになります。もっともひとはそれを非難して、自然真理の欠如と解し、あるいはただあなたの独自性をはっきりさせようとして、あなたがそれを自然から直接に受け取らなかった場合に、あなたがそれを自分自身の仲介によって再建した異常なプロセスと、解するかもしれません。自分自身の内面的な傾向の力が、外的な印象以上に、あなたの上に働くことができるということは、私にとって疑いえないことのように思われます。[4]

 

W.フンボルトのこの指摘は、詩的創作におけるシラーの根源的な特徴─「強い理念能力の比率」、「客観性に対する主観性の優越」─を十全に言い表している。詩的対象がシラーに強く働きかける以前に、シラーがそれに向けて彼の旺盛な理念能力を発揮するのである。それ故、まさにこのことが、客観的なものと主観的なもの、直観的なものと理念的なものの完全な美的調和を追求する思想家であり詩人であるシラーに、あるときは暴力的とも思われかねない強引な力を、あるときは彼の詩的才能と協調する中庸的な力を与える。

 シラーのこのような思想傾向性が最も均衡的に、かつ効果的に表出されているものの一つに詩『逍遥』がある。これは、197510月に雑誌「ホーレン」で発表されたものであり、シュトゥットガルトからホーエンハイムにいたる街道沿に見られる風物の移り変わりに、自然と文化(人間)の関わりを歴史哲学的・文化史的に、しかも自然の喪失を招いている現代文明を批判的に読み取ろうとするだけでなく、人間の横暴によって失われた自然の救済をも意図するものであり、当時シラーが執筆中であった『素朴文学と情感文学について』のなかで取り扱われている思想内容の詩的形式による描出でもある。E.シュタイガーはこの詩について次のように絶賛する。

 

シラーの全作品のなかで、これほど美についての彼独自の理念に正確に沿っているものはない。風景は魅力に溢れて充分に感じ取ることができる。詩人は風景によって受けとめられることを、それどころか<香油のような大気の流れ>に吹き抜かれることを心得ている。」[5]

 

『逍遥』の作詩に込められるシラーの熱い思い入れと、『素朴文学と情感文学について』に窺われるシラーの素朴論や自然観との関わりについては後述するが、さらにこの詩の成立に強い関わりを持つものとして、出版・編集者コッタからシラーに送られたコッタ編「自然愛好者と庭園愛好者のためのポケット・カレンダー一七九五年版」を挙げることができる。シラー全集ヴィンクラー版編注者H.コープマンは、この「ポケット・カレンダー」のなかのG.H.ラップによる庭園に関する記述が、自然に対するシラーの関心を強く喚起していることを指摘する。[6]シラーはコッタの要請に応じて、前記のG.H.ワラップの記述に対する批評を「イエナ一般文学新聞」 に掲載する。

 

シュトゥットガルトからホーエンハイムヘ至る道は、いわば造園術の具体的な歴史であり、注意深い観察者には興味あるものを見せてくれる。街道沿の果樹園、葡萄園、農園では、あらゆる美的な装飾が省かれた、造園術の最初の具体的な開始が示されている。しかし次に誇らしげな荘重さを備えたフランス式造園術が観察者を迎え[・・・・・]宮段はその華麗さ、優雅さでは他に並ぶものもなく、贅を尽くした一種稀な趣味で統一されている。ここでは観察者の眼に四方から追ってくるきらびやかさによって、そして部屋や家具の技術を凝らした建築様式によって、簡素なものへの欲求が最高度にまで駆り立てられる。そしていわゆるイギリス村のなかで突然に旅行者を迎える田舎風の自然には、非常に荘重な勝利が用意されている。(NA 22,290f.)

 

当時、庭園様式について詩人が論じることは決して珍しいことではなく、例えば、シラーの美学論に強い感化を及ぼしているJ.G.ズルツァーもその著『美学の一般理論』の「造園術」の項で次のように述べている。

 

造園術は、建築術と同様に、美学に地位を占める権利を有する。それは最も完全な造園師でさえあるところの自然に直接由来する。[・・・・・]この造園術の本質は次の点にある、即ち、これは所与の場所から、その大きさと状況の割合に応じて、快適な、同時に自然な揚を造ることにある。[7]

 

 J.G.ズルツァーの記述に窺えるように、技術による造形物である庭園を如何に「自然な場」に純化させるか、自然の模倣の追求を局限にまで高めることによる、技術性を脱した自然の再構築、そこに美的造形の極致的なものを求めるのであるが、この傾向は特にシュトゥルム・ウント・ドラング運動と相まってフランス式造園術の華美な技術性を排し、イギリス式造園術の素朴な自然性に対する関心を高めることになる。それ故、G.H.ラップの造園論に対するシラーの主張も彼独自なものではなく、まさに彼の同時代の文化思潮の流れに沿うものである。シラーはシュトゥットガルトからホーエンハイムに至る街道沿に見られる風物を三つの造形様式─「果樹園、葡萄園、農園」、「フランス庭園」、「イギリス庭園」─に区分し、それぞれの文化史的特徴を的確に捉える。「果樹園、葡萄園、農園」に見られる「美的装飾を省いた」素朴な自然性、「フランス庭園」の「贅を尽くした」華麗さと優雅さ、しかし過度な技術性、そして「イギリス庭園」の「田舎風の自然」へと、シラーの文化史的・風景画的散策は続く。しかも「イギリス庭園」に対するシラーの感嘆の言葉を耳にするとき、シラーの美的造形の意図と目的が明らかになる。

 

しかし、私たちがこのイギリス庭園に見出す自然は、もはや私たちが歩き始めた出発点のそれではない。精神によって魂を吹き込まれ、技術によって高められた一つの自然である。自然は素朴な人間を刺激して考えるように仕向け、文化によって甘やかされた人間に感受性を取り戻させることによって、単に前者を満足させるだけではなく、後者をも満足させるのである。(NA 22,291)

 

 シラーはイギリス庭園の自然にエリュシオンの世界を重ね合わせ、文化的退廃からの人間救済と人間精神の陶冶を説く。この批評文でシラーが述べている事柄は、G.H.ラップの造園論に対する批評というよりは、自然と人間文化の関わりについてのシラー自身の自然論、文化論である。しかも、批評文全体の思想的流れは彼の詩『逍遥』のそれであり、イギリス庭園に関する論述は『逍遥』において詠われ、要請される究極的な精神美の世界に通じるための導きの糸である。

 

 

前述したように、詩『逍遥』においてシラーは、シュトゥットガルトからホーエンハイムへ至る街道沿に見られる風物を絵画的に描写しながら、自然と人間文化の対立を歴史哲学的・文化史的に浮き彫りにし、さらにその理想的な和解の可能性を詠いあげている。またシラーは、『ポケット・カレンダー一七九五年版について』においてもG.ワラップの造園論に触れながら、最初に自然の素朴さ、雄大さ、優しさを賛美し、次に人間文化の成立とかりそめの隆盛、さらに歪んだ文化の形成に起因する自然の喪失と、それと共に人間の生活に訪れる弊害を描写し、最後に自然と人間的生の和合に基づく理想的な自然状態への飛翔を高らかに要請する。シラー自身からこの詩の感想を求められたW.フンボルトは、17951023日付書簡のなかで次のように絶賛する。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

この詩は人間の可変的な努力と自然の揺るぎない不変性を並べ、両者を見渡す真の視点へ至り、それに立派な人間が考えうるすべての最高なものを結び付けています。世界史のすべての偉大な内容、すべての人間的な開始の総計と歩み、その結果、その最終目標、そうしたすべてのものを、この詩は、僅かな、容易に見渡せる、しかも真の創造的な描写のなかに含んでいます。(NA 35,392f.)[8]

 

詩の冒頭は、自然賛美で始まる。しかし、ここで描写される自然は快適で美しいものであるが、シラーが究極的に要請する理想的な自然状態ではない。なぜならば、感性と理性が未分化の状態にあった古代ギリシャの人々と異なり、理性の覚醒を体験している者は感覚的な満足だけでは完全な美的境地には到達できないからであり、いわゆる崇高の理念に基づく自然美の享受にいたらねばならないからである。J.シュテンツェルは、この詩に窺える美的理念について詳細な研究を行っているが、詩の冒頭で描写されている自然の美しさについて、「逍遥するものが足を踏み入れた自然は、崇高ではなくて、単に快適で、美しいに過ぎないと」[9]と指摘する。J.シュテンツェルは、シラーの美的理念に基づき、快適なものも美的なものも、客体についての認識に左右されるものではなく、客体と主体者の感性、客体と主体者の理性の関係によるものであることを論証したうえで、彼が消極的な意味で捉える「単に快適で、美しいに過ぎない」自然には、この自然物に対して美意識を抱く主体者の自由精神が欠けていることを指摘する。[10]

 

    わが挨拶を受けよ、紅に輝く頂きを抱く山よ、

    わが挨拶を受けよ、その頂きを優しく照らす太陽よ、

    汝にも挨拶をおくる、生気ある野よ、汝ら風にそよぐ菩提樹よ、

    そして枝の上で戯れる楽しい小鳥の群れにも、

    汝静かなる青い空にも、汝は果てし無く広がる

    褐色の山々の周りに、緑色の森の上に、

    また、やっと牢獄のような部屋と堅苦しい会話から逃れて

    喜ばしくも汝の許に救われた私の周りに、

    香油のような汝の大気の流れは、私の身を快く吹き抜け、

    力強い光は私の乾いた眼を潤す、(1-10[11]

 

 

しかし、詩人は素朴で、優しい、雄大な自然の恵みをただ何も感じずに、また何も知らずに受け入れて、自然を讃えているだけではない。詩人は自らの意志で、硬直化した人間社会、文明から逃れ、偉大な母なる大自然の許に立ち、自然の変わらぬ育みに感謝する。絵画的な自然描写に加えて、次第に人間精神の自律的萌芽の可能性が微かに、しかし確実に示されていく。しかも、このような自然の慈悲に感謝するまったく同様な調子が、既に1789年9月12日付レンゲフェルト姉妹宛シラー書簡に窺える。

 

私たちが自然に与えるものによって、自然は私たちを魅了するのです。自然が備えている優美さは、自然を観察する者の魂のなかにある内面的な優美さの反映に過ぎません。[・・・・・]本当に、自然の高貴な素朴さは驚嘆に値します。そしてまた自然の豊かな充足も。[・・・・・]自然の一様な、変わらぬ同一性は、また私たちにとって何と慈悲深いことでしょう。激情が、内外の喧騒が私たちをあちらこちらへ行かせたとき、そして私たちが自分自身を見失ったときに、私たちは自然が常に同じであることを再発見し、そして自然のなかに私たち自身を発見するのです。[12]

 

この書簡において、シラーは自然美に対する快感の根拠について語り、自然の「慈悲深い」同一性に感謝するとともに、自然のなかに自己の反映を見出す喜びについて語る。自然に対する自律的人間の存在を要請する故に、対立的二元論の立場に立つシラーではあるが、人間の利己的な発展のために、自然に不当な犠牲を強要することに、彼の思想的要請があるわけではなく、自然の慈悲によって自然のなかに包摂され、それでいて自律性を忘失しない人間の姿を描きだすことこそが、彼の詩的造形の使命なのである。それ故、「自然が常に同じであることを再発見し、そして自然のなかに私たち自身を発見する」喜びと感謝の念とは、自然と人間の超時間的・超歴史的な和解の可能性を再認識することに由来する。W.リーデルは前記引用のシラーの言葉を次のように解釈する。

 

この言葉は個々人にだけでなく、人類全体に当てはまる。歴史性を越えた自然の同一性を前に、古代と現代の間の歴史的距離は文字通り止揚されているように思える。私たち自身の過去としてのあの遥かに遠い人種は、余所者や他者ではない。あれは昨日の私たち自身である。自然の忠実な手に守られて、黄金時代は人間種族の財産であり続ける。[13]

 

古代ギリシャ世界に象徴される人類の黄金時代を、過去のものにしてしまったのは人間自身であることが、自然の同一性を認識することによって明らかにされる。つまり、未丁年の状態にあった人間が理性的存在として自立するためには、不可避的なことではあったが、自然に対する人間のあり方が変化することによって、あの黄金時代は過去のものになってしまったのである。しかしこのことは同時に、人間の理想的可変の可能性を認識させることにもなる。人間はあの失った黄金時代を未来的に取り戻せる。しかもシラーによれば、自然に対する人間の関心・感動は、自然が人間の感性に直観的に働きかけることによって生み出されるのではなく、あるいは人間が自然の外面的形態を直接的に観察することによって惹起されるのでもなくて、自然のなかに表出される道徳的・美的理念を人間が「感受する」(NA 20,415)ことによって目覚めさせられる。つまり、自然のなかに配されている道徳的・美的理念を、人間が生来的に宿している「道徳的なものへの資質」(NA 20,415)によって如何に「感受する」かが問題となってくる。

 さらに、自然と素朴な人間の共生が詠われる。人間が自然を挑発しない限り、自然はその懐のなかで人間を育む。人類共通の祖先が住んでいたエデンの園が、あるいはアルカディアの世界が、すべての人間にとって共通の故郷であるかのように、人間の心の奥に潜む、根源的とでも形容できる懐かしさの感情を伴い、眼前に彷彿とされる。

 

    人は今もなお田畑と睦びあって共に住まい、

    彼の耕地は平和に素朴な屋根を囲んで憩う、

    葡萄の蔓は低い窓に親しげに絡まり上り、

    樹は小屋のまわりに優しく抱擁の枝を絡める、(51-54

 

しかし、自由の詩人シラーの眼は、たとえ自然との平和的な共生であろうとも、「自由に目覚めず」に、「狭い掟」のなかに安住する人間を讃えているわけではない。この詩では具体的な風物の描写の側に、抽象的な概念が並立する。つまり、具体的なものは単に個別的なものにとどまらずに、種属的なものを表象し、私的な逍遥は人類の歴史的歩みの象徴となる。人類の文化的精神史における未丁年の時期の「幸福な田園の民」の姿に、エデンの園に住まう人類の祖先の姿、あるいはアルカディアの人々の姿が二重写しになる。

 

    幸福な田園の民よ、汝は未だ自由に目覚めず、

    汝は汝の野とともに狭い掟を喜んで分かちあい、

    汝の願いは静かにめぐる収穫に限られ、

    汝の一日の仕事と同様に、汝の人生は平和に流れる。(55-58

 

シラーは『モーゼの記録の手引きによる最初の人間社会についての若干の考察』のなかで、あのエデンの園での出来事について次のように断ずる。

 

本能からの人間のこの離脱は、確かに道徳的な悪を被造物にもたらしたが、しかし道徳的な善をそのなかで可能にするためにであって、矛盾なく人間の歴史において最も幸福な、最も偉大な出来事であり、この瞬間から人間の自由は書かれ、ここに人間の道徳性への最初の遠く離れた基石は置かれたのだった。(NA 17,299f.)

 

哲学者がそれを人類の巨大な一歩と呼ぶのは正しい。なぜならば、人間はそれによって、自然衝動の奴隷から自由に行動する者に、自動機械から道徳的な存在になったからであり、そしてこの歩みによって人間は初めて、何千年もの経過の後で人間を自己支配に導く梯子の上に乗ったからである。(NA 17,400)

 

 シラーにとって、あの楽園の喪失はやむをえない代償現象なのである。人間は、この代価を払ってのみ、「人間として自己を完成すること」(NA 17,360)ができる。シラーが理想として求めるのは、エデンの園やアルカディアと同様な世界であるが、シラーは安易な懐古主義に浸るのではない。道徳的な葛藤を体験した人間は、その苦い体験を受動的な否定の論理でもって非生産的に放棄するのではなく、道徳的な悪の否定の徹底を通して、道徳的な善にそれを能動的に包摂させていかなければならない。このような道徳的な自覚を抱く人間のみが住まう世界を、シラーは要請する。

シラーは、不完全な自由の意識の専暴がもたらす一時的な人間社会の繁栄とかりそめの文化の隆盛を指摘する。

 

汝ら愛する人々よ、安らかに眠れ。汝らの血潮を注がれて、

オリーブの樹は青々と茂り、尊い種子は楽しげに芽生える。

所得を喜び、自由なる仕事は溌刺と燃え上がり、

流れの蘆の間より、青白い神がさし招く。(99-102

 

          [・・・・・     ・・・・・     ・・・・・]

            

そこでは、幸福は才ある者に神の子を授け、

自由の手に育まれて歓喜の芸術が生まれる。

彫刻家は現実の生を模倣して人の眼を楽しませ、

鏨に魂を吹き込まれて多感な石は語る。(121-124

 

しかも、歴史哲学的炯眼でもって、シラーは崇高な道徳的自覚を伴わない自由精神が文化の退廃と自然の喪失を招き、その結果、人類の発展に陰りが現れていることを指摘する。B.v.ヴィーゼは次のように述べる。

 

人間的自由の精神のなかで育まれた文化の祭典に、まさにこの人間的自由のせいで生じる文化の破壊についての黙示録を思わせる恐ろしい未来像が続く。理性は肯定的な、文化の花を開花させる人間の力ではあるが、理性といえども恐ろしい否定の仕事に加わる。[14]

 

シラーは人間的な自律精神の涵養を説き、文化的世界の建設と発展に寄与する理性の肯定的な働きを讃えるとともに、未丁年の状態の理性が自然に対してまでも暴力を振るい、文化を破壊する否定的な力となる危険性をも指摘する。理性は自由を求めて叫ぶが、粗野な心も自由を欲して叫ぶのである。

 

人は淫らな心を持ち、神聖な自然から身をもぎ離す。

ああ、戒めながら船を岸に固定していた錨は嵐のなかでちぎれ、

潮の流れはしっかりとその船を捕らえ、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

暴風は船を無限のなかに放ち、岸は消え失せる、(141-145

 

しかし、崩壊の兆候のなかで描写される現代社会の背後に、常に、古代ギリシャの世界が肯定的な人類の文化一般の象徴として浮かんでいる。「都市」等に代表される現代文化の具体例と、「捨て去りし野」等で表される象徴的ギリシャ世界を対比的に考察することにより、現代文化の崩壊の原因─それはまた象徴的ギリシャ世界の隆盛を支える根源的なものの裏返しであるが─が明らかになる。

 

 

    罪と不幸を怒って人類は立ち上がり、

    都市の灰塵のなかに、失われた自然を探し求める。

    おお汝ら城壁よ、開け、捕らわれし者を放免せよ、

    捨て去りし野に、彼救われて、帰り行かしめよ。(169-172

 

シラーは、彼の肯定的・理想的な人間観に由来する「すべての人間に共通な道徳的なものへの資質」(NA 20,415)に、人類の十全な文化的発展の希望を託す。シラーは人間の自律的覚醒のせいで追いやられている自然を救おうとし、またそのための資質を人間は本来的に備えていると見做す。なぜならば、自然と人間はかつて和解していたが、人間の不完全な自律意識の芽生えが歪んだ文化の台頭を招ねき、自然を疎外しているからである。しかも、自然と人間の関係についてのシラーの考察で留意すべきことは、シラーが慈悲深い自然の同一性を賛美し、また人間の根源的な資質に道徳性を認めていることにある。自然は常に変わらぬ慈愛に満ちた優しさで抱擁しようとするが、この自然に対する人間のあり方が人間の一方的な自立意識の覚醒によって変わるために、人間にとってはアルカディアの自然であったり、エリュシオンの自然になる、とシラーは見做す。自然と人間の関わりに窺われる人間の可変性について、シラーは自然に対して素朴的であったり、情感的であったりする人間のあり方についての考察から、彼の思想的展開を深める。何故、現代人は自然美に感動を覚え、その喪失に落胆するのか。それならば、古代ギリシャの人々は自然をどの様な感情で迎え入れていたのか。自らに課したそのような問いに、シラーは『素朴文学と情感文学について』のなかで次のように答える。

 

ギリシャ人の場合には、文化が堕落してしまって、自然がそのために見捨てられるようなことはなかった。彼らの社会的生活のすべての構造は(自然な)感覚に基づいて作られていて、人工のこしらえものではなかった。[・・・・・]ギリシャ人は人間性の内なる自然を失わなかったので、これ以外に、(外なる)自然に驚かされることはなく、自然を再発見するための対象を求めるというような切実な願望も持っていなかった。(NA 20,430f.)

 

「人間性の内なる自然」を失わない者は、自然そのものの世界を生きているのであるから、彼が創造する文化も自然的なものである。しかし、「内なる自然」のままに生きるということは、外なる対象によって示される自然の理念を捉えることが不可能でもある。無意識的な生の連続のうちに、自然なる生の実りが達成されるのである。勿論、当該の自然そのままの生を享受している者は、その実りの文化史的価値を知ることもない。これに対して、私たち現代人のなかにあって、道徳的資質の十全なる成熟を経た者は、外なる自然に関心を寄せ、そのなかに「静かな創造する生命、自己自身から生まれる安らかな働き」(NA 20,414)等に感動を覚える。外的・対立的な対象の自然性に感動するということは、そもそも自己の内に自然性を喪失しているからこそ、外なる自然性を捉えることができるのである。このことは、楽園に安住していた人間と、そこへ未来的に向かわなければならない人間とでは「自然な感覚」、自律意識において決定的な相違を呈することを意味する。この決定的に異なる生の理念に基づいて、異なる生の道を歩む人間種族を、自然が常に同じく受け入れるのである。また同時に、シラーが道徳性を人間存在の本来的資質と認めていることは、彼の美学的思想と歴史哲学的思想がシャフツベリー、及びA.フアーガスンの道徳的人間学の思想を前提にしていることを示唆する。W.リーデルは次のように述べる。

 

心を、つまりすべての人間に内在する<道徳的なものへの資質>を呼び出すことは、感傷主義の道徳哲学に直接戻ることを示している。この道徳哲学はヒューマニズムと徳を、人間の理性がその本性から最初に奪い取らなければならない当為とだけ理解しただけでなく、感性自体のなかに、人間の情動構造のなかに、道徳性の根源が根ざしていることを知ろうとしたのであった。[15]

 

シラーが指摘する道徳的資質を、理性の教導による義務感以前の、人間にとって本来的な自然的なものと解釈し、十八世紀の感傷主義的道徳哲学の影響を指摘するW.リーデルの解釈は、シラーの道徳的人間学を学術的・系統的に解明する上で貴重な鍵となる。

 

常に変わらぬ汝は誠実な手のなかで、将来のために、

戯れる子供が、青年が、汝に委ねるところのものを護り、

同じ胸でさまざまに変わる人々を養う。

同じ青空の下に、同じ緑の上に、

近い時代の人々も、遠い古代の人々も、一つになって逍遥すれば、

見よ、ホメロスの太陽を。それは私たちにも微笑みかける。(195-200

 

「常に変わらぬ」自然は、「近い時代の人々」にも「遠い古代の人々」にも、同じく「微笑みかける」。自然の変わらぬ慈悲が讃えられ、人間の向上的発展の可能性が、未来的な方向のうちに、詠われる。「近い時代の人々」も「遠い古代の人々」も、共に同じ自然の懐に包まれる。しかし、この両者と自然の関わり方はそれぞれに異なる。丁度、両者の生の理念がそれぞれに異なるように。歴史の輪は休むことなく回転を続けるが、歴史の一方の担い手である人間の心は、素朴な美と情感的な美の相違を体験することにより究極の理想的なものへの発展性を、未来的方向のうちに確認し、その方向に向かって絶え間ない飛翔を続けなければならない。

 

 

この歴史哲学的・文化史的詩『逍遥』の思想的解釈にとって、『素朴文学と情感文学について』は貴重な示唆を与えてくれる。シラーはこの論文で次のように述べる。

 

それら(自然な存在)は、私たちがかつてあったところのものである。それらは、私たちが再びなるべきところのものである。私たちはかつてそれらと同じように自然であった。そして私たちの文化は理性と自由の道を通って、私たちを自然へ連れ戻すべきである。(NA 20,414)

 

過去的な方向のアルカディア的な自然と、未来的な方向のエリュシオン的な自然が示される。しかし、不完全ながらも、何よりも人間的自律を希求する私たちは、文化の担い手になることにより、初めて自然の手から離れて、かりそめではあっても文化的発展を押し進めることができたわけであるが、それと同時に自然を失ってしまった。この自然の喪失がもたらす人間の文化的発展における歪みと、そのことに憤る人間の道徳的覚醒の過程は、詩『逍遥』で描写されている通りである。まさに、この詩は、論文『素朴文学と情感文学について』の思想的内容を詩的形式で反映している。シラーはまず私たちに窺える自然喪失の論拠を示す。古代ギリシャ人はその文化自体がまだ自然であったので、自然への憧れはない。内なる自然と外なる自然が一致、充足していた古代ギリシャ人は、外的な自然に対して心を動かすことはなかった。ところが、私たちは外的な自然を求め、それに感動と満足感を覚えることがある。あらゆる外的な自然に対するこの快感は、内的な自然の喪失の表出だというわけである。詩『逍遥』の冒頭における自然賛美は、まさしく内的な自然喪失の裏返しということになる。してみると、シラー思想の解釈において不可避的に遭遇する詩的造形の両極端の二義性は、同一的なものの二義的な表出であって、その二義性をそのまま包み込むことによって、深層に潜む詩的真実に限りなく接近できるのである。         

この自然なるものに対する感動の発露は、そのなかで感じられる素朴性にある。素朴性とはシラーの規定によれば、自然が人工との対比のうちに自己の優越性を示すときに、この自然は素朴的なものとして感じられる(NA 20,413ff.)。勿論、対象の素朴性を捉えるのは感受者である人間であるから、このような人間が外的な自然と対比的関係のうちに、この対比的関係に立つ自然に、人間自身との対比により明らかになる自然な素朴性の優位を認めるわけである。つまり、人間精神の自律と純化は、文化を通してだけ可能なのであるが、文化の担い手である人間の人為が不完全なものである限りは、文化と自然の対立を生み、自然の喪失を招く。むしろ、この対立は、人間精神が未丁年の状態で、単に造化的な自然の所産からの脱出を目指すに過ぎない段階では、不可避的でさえある。しかし、素朴な自然性に応じる道徳的な資質を本来的に有するすべての近代の人間は、自然の喪失に起因する文化の頽廃に激怒し、その回復を目指さなければならないし、そのための資質を有するのである。むしろ、素朴的なものと情感的なものの分裂を知る近代の人間のみが、人間のうちなる統一を目指すことにより、うちなる自然性の回復をもたらし、自然から一方的に自立した人間の精神を、自然との理念的な和解へ至らせることが、つまり人為と自然の対立を解消し、造化的な自然に包摂されるに至る路を、未来的に模索できるのである。ただし、シラーの要請は、人間文化の否定ではなく、未丁年の状態にある文化によって喪失している自然性の回復にある。

 

 

 

 

 

  

 

プロテウス ―自然と形成―  第2

 発行日 1995615

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       土橋 寶   

       松山雄三   

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       森 淑仁  

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[1] シラーが処分を受けたことに関して、E.シュタイガーは領主カール・オイゲンに他の支配者層から圧力がかかったためと解釈している。Vgl. Staiger, Emil: Goethe, Bd.2, Zuerich 1970,S.182.

[2] Mayer,Hans: Das Ideal und das Leben. In: Versuch ueber schiller.  Frankfurt a.M. 1987. S.29.

[3] 参照。 17951016日付シラー宛W.フンボルト書簡。

[4] 参照。18009月初旬シラー宛W.フンボルト書簡。

[5] Staiger,Emil: Friedrich Schiller. Zuerich 1976. S.190.

[6] Friedrich Schiller. Saemtliche Werke. Winkler Verlag. Muenchen 1968. Bd.3. S.116. Vgl. NA 22,427

[7] Sulzer,Johann Georg: Allgemeine Thelrie der schoenen Kunste. Hildesheim 1967. Bd.2. S.297

 

[8] 17951023日付シラー宛W.フンボルト書簡。

[9] Stenzel,Juergen: Zum Erhabenen tauglich. Spaziergang durch Schillers Elegie. Jahrbuch der Deutschen Schillergesellschaft. Bd.19. Stuttgart 1975. S.170.

[10] J.シュテンツェルは右記の論文において、シラーの詩『逍遥』に窺える「崇高」の概念についてシラーの諸美論文の研究に基づいた詳細な論及を行なっている。

[11] シラーの詩『逍遥』のテキストには、Nationalausgabe版シラー全集2−1巻(Weimar 1983)を用い、本文中における同詩の引用箇所については、末尾の括弧内に詩行を記す。

[12] 参照。17899121011)日付レンゲフェルト姉妹宛シラー書簡。

[13] Riedel,Wolfgang: Der Spaziergang. Wuerzburg 1989. S.120

[14] Wiese,Benno von: Friedrich Schiller. Stuttgart 1978. S.588

[15] Riedel,W.: a.a.O. S.71f.