仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」第7号。2004年3月。
神・自然・人間(四)
─シラー人間学における自己形成をめぐって─
松山雄三
一
シラーの生涯に亘る深遠な文化活動を概観するとき、彼を人間的な生の探求者と呼ぶことができよう。そして次の語句はシラーの探求のテーマを象徴的に表すものといえる、つまり、愛、完全性、自由、道徳、自律(自己規制)、そして美。これらの語句は、シラーが人間の生に論及するや、あるときは苦渋に満ちて、あるときは希望に燃えて、彼の心の叫びを伝える。まさにこれらの語句に、シラーは彼の思想的探究の熱い思いとその実りを凝縮させているかのようである。勿論、これらの語に象徴されるシラーの文化思想が突然に彼のうちで形成されたわけではなく、幾多の先人や同時代の思想家たちから貴重な教示を受けつつ、シラーはその思想形成を果たす。しかも、ゲーテが「シラーは一週間毎に別人になった。そしてより完全な人物になった。彼に会うたびに、彼は薀蓄においても、学識においても、そして判断においても進歩したように思えた」[i]と述懐しているように、シラーはその人格形成において自己の急速な陶冶を図っていった。若年の頃には、敬愛する思想家の論説を諳んじていたとの近親者の証言に窺えるように[ii]、あるいは早計には、他者の思想の単なる伝達と見間違うばかりの論述も見受けられるように[iii]、シラーは敬愛する先人の知識を旺盛に受容し自己消化していったのである。そうした思想形成において、特にカントの哲学思想の受容と対立、そしてその凌駕への挑戦が非常に大きな比重を占めていることは、幾多の先行研究において指摘されている通りといえる。確かに、友人ケルナーに宛てた書簡に窺える数々のカント賛美の言葉、その中でも次の言葉ほどカント思想の本質を的確に言い当て、かつカントに寄せる敬愛の念を明らかにするものはないであろう。1793年2月18日付ケルナー宛書簡でシラーは次のように述べる。
このカントの言葉以上に偉大な言葉が、死すべきものによって語られたことはありません。そしてそれはカントの全哲学の内容でもあります。即ち、汝を汝自身から規定せよ、ということです。理論哲学における言葉も同様です。即ち、自然は悟性の法則下にある、ということです。自己規定のこの偉大な理念は自然のある現象から我々に反射してきます。そしてこれを美と呼ぶのです。(NA 26,191)
拙論『神・自然・人間』の『(一)若いシラーの世界観をめぐって』、『(二)若いシラーの叙情詩をめぐって』、そして『(三)シラーの二つの卒業論文をめぐって』[iv]において論及しているように、若年の頃にはシラーの思想的関心の対象は、神に寄せる信心から流れ出る「敬虔な愛」と同胞の至福を希求する「隣人愛」、そして究極的な自己陶冶を目指す「完全性」の思想が中心であったが、カント思想との邂逅を経て、その思想的関心の対象に「道徳性」の概念定立が以前より強く認識され、さらにカント哲学の真髄である「自律」の概念が加わる。確かに、「汝を汝自身から規定せよ」、そして「自然は悟性の法則下にある」という言葉に象徴されるカントの哲学思想は、シラーの人間観や世界観の形成において比類なき重要な役を演じる。まさにカントの哲学思想は、詩的想像力の枯渇に苦悩するシラーを歴史哲学の研究に向かわせることによって、詩文学一辺倒の活動から開放し、さらに論理的な思考力の不足を痛感するシラーに思弁的・体系的な考察法を伝え、彼自身の美学哲学的思想の構築を可能にする。しかし、シラーの本質的な思想傾向が既に彼のカント体験以前に確定していることもまた確かである。例えば、シラーがカント哲学との邂逅以前にK.モーリッツの芸術論に寄せた賛美の言葉は、シラーの歩む独自な思想的な道程を早くも窺わせる。K.モーリッツの『美の造形的模倣について』を読んだ後に、シラーはケルナーに宛てて次のように述べる。「モーリッツは深遠な思想家であり、自分の素材を明確に把握し、その奥底にあるものを汲み上げます。彼の美学と道徳は完全に一本の糸から紡がれております。彼の生存全体がその美的感情に根ざしているのです」(1789年2月2日付ケルナー宛シラー書簡 NA 25,193)と。対象の観照に際して覚える美感の根拠を、道徳性との密接な関わりのうちに、ただし美そのものに求める美学思想を、シラーはK.モーリッツの論説に読み取る。E.カッシーラーはシラーによるK.モーリッツ賛美を次のように解釈する。
以前には、美の定立は同時にもっと高尚なある価値からの導出を意味しなければならないと思われていたので、芸術が道徳や真理の単なる前段階に堕する恐れがあり、このような難問とシラーは絶えず闘わなければならなかった。しかし、これ以後は次のような体系的な考察への道が開かれたのである。即ち、その考察は美に対してその完全な純粋性と自立性とを護持し、しかも全体に対する精神的存在の最高の意義を保証する。[v]
美の純粋性、自立性を護持するためには、何ものも美を支配できず、むしろ逆に諸々の原理が美に包摂されるべきことを、シラーは早くも認識している。つまり、上記のケルナー宛書簡におけるシラーの吐露は、シラーの深遠な美的探究がカントのリゴリズムにやがては飽き足らなくなることを予感させる。確かに、シラーはカントの思想のなかに何ものによっても侵犯されない独自な精神性、雄々しい自我の克己力を読み取ったのであり、そしてそれはシラーの生の信念に重なり合うものでもあった。しかし、シラーの思想形成にとって決定的なのは、カントの論理的思考法や概念規定における個々の細い論理ではなく、シラー自身のうちで明確な言語表現となって表出せずにいたものが、自律や自己規定という簡明な表現を得たことである。
そこで、拙論『神・自然・人間』の『(一)若いシラーの世界観をめぐって』、『(二)若いシラーの叙情詩をめぐって』、そして『(三)シラーの二つの卒業論文をめぐって』において研究の主テーマにしてきた若いシラーの世界観と思考傾向を体系的に纏めながら、いわゆるカント体験以後に顕著になるシラーの思想の独自性、特に自己の内と外に向けての自己陶冶の深化と高尚化について考察を加えたい。
二
シラーは、カール学院時代や『哲学的書簡』執筆の時期[vi]には、神に寄せる敬虔な心情や同胞に寄せる人間愛、そして「神的相等性」[vii]の理念に基づく完全性の思想を人間形成の目標に掲げ、自然の営みのなかに神の完全な創造プランや不可侵の力の投影を見ていたのである。「人間は、創造主の偉大さを獲得するために、存在する。[・・・・・]神と同じくなることが人間の使命である」(NA 20,10)、あるいは「宇宙は神の一つの思想である。[・・・・・]全ての思惟する存在の使命は、この現に存する全体のうちに最初の設計を見いだすことにある」(NA 20,115)といった言葉が、青年シラーの論説に散見される。しかし、カント体験を契機として、シラーは自律的な自我の定立に基づいた自然観や人間観の形成を明確に意図するようになる。以前には自然の事象に神の意思を読み取ろうとしていたシラーではあったが、いまや、何ものからも支配を受けずに、自らを律する自我の定立が彼の世界観の不動の前提になる。
自然が合法則的な世界であり、その世界では因果法則の必然性が支配していることを、シラーは理解している。そして自然現象の仕組みの分析と法則化において唯物論に基づく科学的研究が大きな役割を果たしていることも、シラーは納得している。プリズムの分光現象や引力の作用についての言及、そして何よりも人体に関する豊かな医学的知識は、シラーがあたかも近代科学の洗礼を受けた人物であるかのようである。それもそのはず、シラーがカール学院で、学問的には創成期に近いとはいえ、学問としての医学を修め、短期間ではあっても見習い軍医の職にあったことを、我々は知っている。しかし、「私は心の法則を探求し、無限なものにまで飛翔する。しかし私は心が実際に存在することの証明を忘れる。そして唯物論の大胆な攻撃が私の創造物を打ち倒す」(NA 20,115)という危機に直面していることを認識しながらも、シラーの関心は、自然的な世界の維持にも精神的な世界のそれにも通用しうる共通の支配法則が存在することを証することに、そして人間心理の秘密を解明しつつ自他の人間形成を図ることにある。しかも、人間にとっての自然は、孤高の存在、あるいは恐怖の対象であってはならない。人間にとって自然は心の安寧の拠り所、あるいは揺らぐ心の教戒師であらねばならない。しかし、自然の変わらぬ配慮のもとに、自由に雄々しく生を謳歌できるのも、「心が独自性を堅持し、自己を忘失する危険がもはやない」(1789年9月12日付ロッテ宛シラー書簡 NA 24,291)状況下でのみ可能であることを、シラーは感じ取っている。もしも自己を放棄・喪失してしまったならば、その人間は自然を抑圧的な力のなかにしか見いだせないのである。つまり、自然が人間にとって冷厳な存在であるか、ユートピア的な存在であるかは、自然に対する人間の心の姿勢次第であることを、シラーは熱く訴え続ける。
自然、客体の観照にあたって、自我の存在を強烈に主張する思想的傾向は、カント哲学との接触初期[viii]とレンゲフェルト姉妹との交際時期[ix]には、シラーの自然観、世界観において強く前面に押し出ている。このような思想的な姿勢が、詩的創作活動の中断期[x]に顕著であることも、我々の脳裏に留めておかなければならない。それは、詩的才能の衰退についての自覚と苦悩の反作用の表れであろうか、あるいは理知的な学術研究に基づくと感じられる歴史哲学分野での活動への熱い期待が生み出すのであろうか、あるいは哲学的素養の養成を図るシラーの固い決意が招来するのであろうか。シラーは1789年9月中旬にレンゲフェルト姉妹に宛てた書簡のなかで度々次のような自然観を吐露する。
私たちが自然に与えるものによってのみ、自然は私たちを魅了するのです。自然がまとっている優美さは、それを観ている人の心の優美さの反映に過ぎません。ですから私たちは、私たち自身の姿を写す鏡を見て驚かされても、その鏡に寛大に口づけをしてやれるのです。[・・・・・]人間を通じてのみ、自然は多様になるのです。私たちが新しくなるので、自然は新しくなるのです。(NA 25,291f.)
この時期のシラーの宇宙観、自然観が我々に示すものは、シラーの主観によって仲介された、彼の反省の所産に外ならない。シラーは彼の心の内奥に抱く彼固有の存在原理に基づいて、自然の像を表象する。しかもシラーはその描出する像が主観的・個性的であることを認めても、決して孤立的であるとは看做さない。つまり、シラーは彼の主観によって導出する像が客観性を持することを信じる。なぜならば、シラーは、彼の内奥に存する存在原理が宇宙の根源的な力と共通の基盤をもち、それ故彼の自然理解が全体的な一を形成する宇宙の根源的なものと結びついていると確信するからである。ただし、シラーは、若年の頃にあっては神と自然との間に成り立つ一種の自然的記号を読み解くことに関心を向けたのであり、人間の理性の働きを強く認識するようになってからは、人間の案出による恣意的記号を介して人間の理性的な思考作業のなかで自然の像を構築する。
W.フンボルトは、シラーの反省的な自然観にシラーの思考法の独自性を感じ取り、1795年10月16日に次のような書簡をシラーに送る。
自然があなたに対して充分に働きかけることができる以前に、あなたはもう、いわば自発的に自然に向かって突進してしまうということが、もしも当たっているならば、そしてもしもあなたが自然から何かを汲み取るのではなくて、単に自然によって触発されて、独力で自然の像を自分のうちに創り出すのだとしたら、これがもっともよくあらわれるのは次の場合に違いありません。つまり、もしもこう言ってよければ、自然自体がもっとも自然であり、もっとも錯綜していない場合、すなわち自然が質料によってもっと感情に働きかけるが、形式を通して悟性に働きかけることが非常に少ない場合です。(NA 35,386)
自然そのものが持する美しく壮大な、かつ深淵な本質より、自然について描き出してゆく表象の産物にシラーの関心は集中する。シラーにあっては、彼自身の内的な活動が客体そのものの存在的本質より優先させられる。ここに、自然と人間の関係を問うシラーの独自性がある。自然は人間によって措定されなければならない質料に過ぎない。自然は多かれ少なかれ表面的にのみ見られるのであり、そこでは確かに非常に多様な、しかし存在の原理を自らは持たない、あるいはむしろ独自な存在の意義から解き放たれた質料が集まっている、とシラーは解釈する。それ故、シラーは観察の対象である自然が人間をある感情の世界に導くとは解釈しない。1797年9月7日付ゲーテ宛書簡で、シラーは対象と主体の関わりについてゲーテに次のように述べる。
あたかもここでは対象が非常に重要であるかのように貴方はおっしゃいますが、私はそれに同意できません。勿論、詩的な対象が何らかのものであるに違いないように、対象は何かを意味するに違いありません。しかし結局、対象が心情にとって何かを意味するかどうかは、心次第なのです。そして空虚なものと内容豊かなものを決定するのは、対象のなかより主体のなかにあると思われます。ここで境界を設定するのは心です。そして低俗なものと心豊かなものの境界を、他の至る所と同様に、ここでも素材の選択にではなくて、処理の方法に見出すことができます。(NA 29,127)
ゲーテにとって関心の対象は有機的な生の営みを示す自然そのものにあるが、それに対してシラーは、自然の展開を感性的に享受することはなく、自然に理性適合性を求め、その仕組みを理念的に構築しようとする。ゲーテが対象に知覚可能性を求めるのに対して、シラーは観照者の理性がまず対象の結合様態を打ち立てると信じているのであり、対象を超越論的な世界観から解釈する。シラーにとっては、理性による形式が意味を与えるのであり、対象の質料は形式に基づいて対象が形成されるための素地をなすのである。
自然はシラーにとって、それ自体の存在原理をそれ自体のなかに持ちえず、それ故その原理に従ってその存在性を維持する完全なものではありえない。確かに自然が合法則性を示す限りで、自然はシラーにとって称賛の対象である。しかし合法則性を判定するのは自然ではなくて、人間である。自然は法則について何も知らず、合法則性の判定は自然の仕事ではない。人間の本質的な特性は理性を持していることであるが、その理性が自然の仕組みを解明し法則を付与し、かつその法則性の存否を判定する、とシラーは説く。つまり人間は、自らの理性を用いて作り上げた法則を自然が示す現象に当てはめ、合法則性の存否を問う。若年の頃には、前述したように、シラーは自然のなかに神的な創造プランを見出そうとする敬虔な姿勢を示すとともに、神の完全性に等しい人格の持ち主になることへの熱い願望を明らかにしていたのであるが、いまや、そのような姿勢の発展的な顕現とはいえ、宇宙の存立原理と通底する自我の創造的活動を強く主張する。このような自我の創造的活動を強く押し出すシラーの論説に、E.シュタイガーは芸術家シラーの本質を見て取り、「己自身を他者のうちに放射し、再びそれを把握することに、創造する芸術家と創造する神の完全な類似が存する」[xi]と指摘する。E.シュタイガーのこの指摘は、シラーが友情やプラトン的愛について「隣人と入れ替わりたい、あるいは隣人を己自身のうちに取り込んだり、引き寄せたりしたいという永遠の心の傾向が愛なのです」(1783年4月14日W.F.H.ラインヴァルト宛シラー書簡 NA 23,80)と述べた言葉を、自然全体に敷衍させたものであるが、E.シュタイガーは特にこの言葉にシラーの創造的な自我の強靭さを読み取る。即ち、シラーは自己のうちで創造する世界像を外界に向けて放射し、その後に対象自体となり、生気を放つ彼の世界像を受け取るのである。まさに、そこに窺えるのは、自然を素地として理念を具現化する創造者の満足であろう。
シラーの見解によれば、我々が自然の現象に魅せられたり、恐怖を覚えたりする瞬間に、自然は自然そのものを見せているのではなく、我々を見せているのであり、つまり我々の心のうちを映し出している。自然はシラーにとって、所与の存在ではなくて、我々の自我の活動と形成の様を反射するものなのであり、我々が我々のうちで思い描く人間的生の究極的な理想をも映し出す。それ故、外界の対象物が我々を感動させたり、我々に賛美の声を上げさせるのは、その対象物が我々の理想を反映する限りでのことである。我々は、本来、我々の心のうちにあるところのものに、自然を媒介として関心を寄せる。我々が我々自身から取り出そうと努める理性の形式を満足させるので、我々は対象物、自然に快の感情を覚える。いわゆるカント体験を経たシラーにとっての最高の関心事は、人間的な完全性を理性的な活動を通じて体得すること、つまり究極の自己規定を具現化することであり、さらにシラー自身の思想的な深化に基づく自由概念の拡大、つまり美の領域への自由概念の進出を確立することである[xii]。時にはそうしたことが自然と人間の関わり合いのなかで満たされているように見えることがあり、その時には自然は我々にとって理想における我々の最高の完全性の描出になる。自然現象のなかに完全性を感知することは可能的に過ぎないが、我々は自らの最高の使命を知っている。つまり、我々の構想力の遊戯を通じてのみ、我々は合法則性についての我々の意識を自由に自然に移せる。E.シュタイガーが「我々が対象を知覚し、我々が対象を承認するのである。[・・・・・]対象は、我々の精神の形式力が展開しうるための任意の素材として、我々に奉仕するのである」[xiii]と指摘するように、自然は我々に、我々もそのなかで生きなければならない形式を示すようにみえるが、実は自然そのものはその形式について何も知らず、我々が我々の自我を外化して、質料に過ぎない自然に形式を付与するのである。
しかし、シラーは揺ぎない理性至上主義を掲げて生を闊歩しているのではない。シラーがある時は感性と理性として、ある時は自然と自由として、あるいは傾向と義務として表現するところの二つの対立的な力の緊張のなかで、シラーは生の強靭さを求めて絶えず、まさに生涯に亘って努力を続ける。人間的生へ向けての、しかもそれは神の営みと境界を接するほどの完全なる生を意味するのであるが、その究極的な理想の生へ向けての絶えざる向上の歩みこそが、シラーの生の信念を象徴する。シラー晩年の作である詩『あこがれ』(1801年)では、次のように詠まれている。
ああ、冷たい霧が押し寄せる
この谷の奥深い底から
抜け出る道を見出せたら
ああ、どんなにか幸せなことか。
彼方に見える美しい丘
永遠に若く、永遠に緑に
私に舞い立つ術があれば、翼があれば
その丘をさして飛び行くものを。
[ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ]
一隻の小船が漂っている
しかし、ああ、漕ぎ手がいない
さあ、乗り込め、迷うことなく
帆は風を孕んでいる。
信じよ、勇気を持て
神々は保証をしないから
奇跡のみがお前を運ぶ
かの美しい妙なる国へ。(NA 2-1,197)
E.シュタイガーはこの詩を次のように解釈する。
この詩は、多感な悩める詩人を恐らく最もよく思い浮かばせる詩句で始まる。詩人の苦しげに動く肺、絶えず偽りの遠い彼方へと向けられた、とうに幻滅にも慣れている眼差し、地上での長く続く幸福を断念したけだるい身振り、そして他方、美の理想の国に寄せる不滅の希望が、そこにはある。[xiv]
この詩には、シラーのペシミステックな現世観とともに、至高の幸福を求めて果敢な生の闘いを決意するシラーの精神の真髄が流れている。実に、このような究極の人間的な生に向けての絶えざる雄々しい向上心は、若年の頃から一貫してシラーの生の特質を示す。例えば、『菩提樹の下の散歩』や『青年と老人』に窺える向上的な行為そのものに価値を置く思想が、連綿として受け継がれているのである。そこで描き出されているのは、理想に燃える青年の熱い思いと、人生を達観しているかのように装う老人の精気なき人生訓であるが、青年が発する「たとえ(幸福の)島にたどり着けなくとも、航海はむだでなかった」[xv]等が我々の心を鼓舞する。青年の飽くことない自己陶冶のせいしんこそが作者シラーの生の姿勢を象徴している。しかも前記の詩では、シラーの思想的な発展に沿って、その目指す理想の国は若い頃に希求した「幸福の島」から、いまや、「美しい妙なる国」へと移行している。
三
レンゲフェルト姉妹との交際時期に、つまりシラーの人生においては数少ない至福の時期に、シラーは彼の前半生を顧みて、友人ケルナーに「私はこれまで自然のなかを放浪する孤独なよそ者でした」(1788年1月7日付ケルナー宛シラー書簡 NA 25,4)と吐露するが、実は、その「自然のなかを放浪する孤独なよそ者」の生き方は、本人が望むと否とにかかわらず、終生に亘ってシラーに付いて回る。しかも、そのような状況のなかでシラーが示す生の強靭さは、天空に聳え立つ雄々しい岩山のようであるが、絶えず足元の大地を失う危険にも晒されている。この存在の二重性のなかで、シラーは生の営みを続行しなければならない。そこでシラーは、人間の存在的神秘を知るためにも、人間の衝動構造について考察を加える。シラーは人間存在の源泉を理念的に追い求め、「抽象化がなしうる限り高くなされると、二つの最終概念に行き着く。この二概念において、抽象化は静止し、その限界を認めなければならない。抽象化は、人間において恒常的なものと不断に変化するものとを区別する」(NA 20,341)との考究に至る。絶対的な存在(神)においては統一されている「恒常的なもの」と「不断に変化するもの」であるが、有限的な存在である人間においては二つに分かれざるをえない存在の基本な概念について、シラーは前者を「人格」、後者を「状態」と呼ぶ。人格と状態の間に因果関係はなく、その存立原理を全く異にする。人格は自己同一化、固定、無時間性にかかわり、状態は律動、変革、時間における活動にかかわる。もしも人格が状態から作用を受けて生成を示すならば、それは人格が変化を示すことになり、人格の概念に矛盾することになる。それ故、人格はそれ自体が自己原因である。そしてこの自己原因であることが自由ということである、とシラーは捉える。これに対して、可変性を示す状態にはその生成の原因があるはずだが、状態も二つの基本的な概念の一方であるから、その生成を人格に依存することはない。しかし、状態は恒常性、つまりそのままでよい人格とは異なり、変化を示さなければならないが、絶対的なものではないから、自己変化(生成)は不可能である。そこで、シラーは「時間はすべての生成の条件である」(NA 20,342)ことを同一律命題として掲げ、状態が生成の条件として時間を持つと措定する。
E.カッシーラーはシラーによる人間の存在的特性の確認と実存の道の探究を受けて、次のように述べる。
我々が時間のあらゆる流れに対して持続的な自我との関係を与えることによってのみ、そして我々が逆にこの自我の内容を時間的な現象のなかで表現することによってのみ、我々の本質の連関と総体が生じてくる。人間は変化することによってのみ、実存する。また人間は不変のままでいることによってのみ、実存する。[xvi]
人間は自然、世界の現象を単に受容するだけでは時間的な変化のなかで外界の支配に引き込まれ、自己を忘失・放棄しているに過ぎない。しかしながら、自己の同一性と純粋性を護持するために自己にのみ埋没していては、自己実現を果たすことは不可能である。可変性を本質とする状況のなかにあって、人格を顕現する道を、人間は求めなければならない。この点に人格を持する人間の存在的使命がある。シラーがこのように人間の存在的使命について考究するのは、シラーは能力の絶対的顕現(あらゆる可能的なものの現実性)と現象の絶対的統一(あらゆる現実的なものの必然性)を併せ示す神性への素質が人間の心の内奥に潜まされている、と捉えるからである。
以上のことから、人間に寄せる二つの相対立する要求、感性的・理性的な自然の二つの基本法則が引き出される。第一のものは、絶対的実在性を要求する。即ち、人間は単に形式であるすべてのものを世界にすべきであり、そしてすべての彼の素質を現象化すべきである。第二のものは、絶対的形式性を要求する。即ち、人間は自己のなかにあって単に世界であるすべてのものを抹消すべきであり、そして自己のすべての変化のなかに一致をもたらすべきである。(NA 20,344)
P.A.アルトがシラーの衝動説の特徴について「主体性のカテゴリーに客観的に有効な経験界を対峙させ、自我と現実の間の関係を二元論的に把握したこと」[xvii]や、「常に客観的に仮定された現実を顧慮していること」[xviii]を挙げているように、「我々のうちなる必然的なものを現実化し、我々の外なる現実的なものを必然性の法則に従わせる」(NA 20,344)ことを要請するシラーは、この目的の成就に向かって人間を駆り立てる力を、素材衝動(感性的な衝動)と形式衝動(理性的な衝動)と呼ぶ。B.v.ヴィーゼが「人間に根源的に内在する全体性に到達させるために、対極的に向かい合い、共に自己充足していない人間存在の二面性を二項対峙的な思想のなかで展開させることは、シラーの思想的な傾向性から生じる」[xix]と指摘するように、対立的な二項による弁証法的思考をここでもシラーは示す。シラーにとって、形式衝動が意味を与えるのであり、素材衝動は形式衝動の活動のための素地をつくるのである。しかしシラーは、形式衝動か素材衝動の一方だけを優位に立たせることはない。両者の均衡のうえに人間の本来的な、かつ理想の存在性、つまり全的存在性が求められる。
人間の感性的・精神的な自然は、素材衝動と形式衝動によって外界に向けられている。しかし、人間がその人格において、その理性的な自然において見出したその本質だけでは充分ではない。それはそれ自身まだ全く未規定的であり、いかなる固定的な内容とも結びついていない無限の可能性に過ぎない。理想的なものが如何に完全なものを目指し、神的なものに近くとも、それは相変わらず夢の像のように霧散しかねない。あらゆる理想性は単なる観念の戯れでないためには、作用を示し、本来の力を明らかにするために質料を必要とする。
理念的な存在はそれ自体虚であり、一方、質料的な存在は孤立の状態では意味がない。質料はその存在価値を表すためには形式を必要とする。質料が形を得て、理念の王国を拡大できる限りで、初めて質料は人間にとって価値がある。理念と質料は協働しあって初めて働きをなす。しかも、衝動説に窺える弁証法的思考の卓越性は、シラーが表層的には相互対立的な傾向を示す二項に、その深層的な作用において相互補完的な交互作用を探り出し、しかも人間の能力に人間を世界に結び付ける働きを認識していることにある。
受容性が多面的に形成されればされるほど、受容性は可動的であり、受容性が現象に対して多面性を示せば示すほど、人間は世界を把握し、資質を発展させる。そして個人が力と深みを得れば得るほど、理性は自由を得るし、人間は世界を理解し、形式を自己の外に創造する。(NA 20,349)
それ故、自然に対する自然観照者、人間の姿勢は、その人間の最終的な価値判定に左右されているが、そこには人間の創造による理想像も含まれる。しかも、その理想性は人間の感性的自然と精神的なそれとの間の交互的作用によって生み出されるのであるが、その二つの衝動の間の均衡関係をどのように保つかという権限は、人間にある。人間は両者の間で選択する自由を得ている。人間は理性的な存在であるから、人間自身の理性活動を通じて彼の自立した姿勢を自然に対して主張するときに、人間はその理想に近づける。人間が感性的なエネルギーを精神的なエネルギーによって制御しようと努力するときに、人間は理性には平穏をもたらせることができる。
しかし、それによっては、理性的、かつ感性的な存在と見做す人間の一方の本性の欲求が満足させられるに過ぎないことを、シラーは認識する。理性による理想の方向付けとともに、この理想の具現化が図られなければ、否、実現されなければ、それは空論に終わらざるをえない。それ故、シラーはカール学院の卒業論文『人間の動物的性質と精神的性質の関連について』のなかで「人間は精神であることを知るまでは、動物であらねばならなかった。宇宙を雄々しくニュートンのように飛翔するまでは、塵のもとを這わなければならなかった。それ故、肉体は活動への最初の拍車であり、感性が完全な状態への最初の梯子である」(NA 20,56)と既に予見しているように、理性の力の確立を図るとともに、感性の力を承認し、かつ個性の価値を包摂的に生かす生の形式を見つけることの重要性を訴える。人間は、感性界との接触のなかで超感性的な姿勢をますます育成し、より高尚な自己をそれ自身のうちに惹起するように努めることを、シラーは要請する。そこでシラーが持ち出すのが、素材衝動と形式衝動という二元論に基づく人間の存在的本質の把握であり、その生の営みの解明なのである。
しかも、シラーは両衝動の均衡ある発展を要請するとはいえ、シラーがその人間的な形成の対象と見做すのは、素朴な古代人ではなくて、理性的な自己規定のもとに生きることが求められる近代人である。遊戯衝動は感性的なものと知性的なものの本質をまず確定し─しかしそれは同時にそれらの限界を認識することに至るが─そして両衝動の領域の境界を取り払い、全体化するより高尚な状態を惹起するのである。それは人間の生の営みに窺える生産性を認識し、究極的な理想の心意状態を完成するためにシラーが措定する二つの要素の止揚的な一体化である。B.v.ヴィーゼは次のような貴重な解釈をくだす。
単なる遊戯の無目的性は、我々に現実を新たな方法で修得させるが、我々が現実を遊戯の領域に持ち込むからではなくて─このことをシラーは明確に拒否したのであったが─人間存在の全体性に関して芸術において得られた知を通じて修得させる。その知はいまや行動的であるが、矛盾に立たされた人間に、あれやこれやの極端からのみ独善的に決定することを不可能にする。[xx]
美の観照において理性の法則と感性の欲求は平衡を保っているので、つまり道徳的強要と自然的強要は相互に止揚されているので、心情に如何なる強要も存在しない。シラーは、人間が理性的な規制と感性的な欲求から解き放たれて存在を享受できる状態を仮定する。それが遊戯の場、美的な状態である。そこでは両衝動は敵対せずに活動するのであるから、その行為のなかで両衝動の規制化する律動性は自ら休息する。遊戯衝動は両衝動に自己規定に基づく自由な規定可能性の休息、つまり肯定的な意味での止揚行為をもたらす。その休息は形成の完成のための休息であって、停止ではない。B.v.ヴィーゼが「芸術は、歴史において失われた人間存在の全体性が新たに獲得される領域である。芸術家は人類に理想像をあらかじめ提示するのである。その像は確かに現実においては完全には達成されないが、しかし現実に対する見通しと、現実を先取りした諸条件のもとに企図されている」[xxi]と指摘するように、シラーは失われた全的存在性を発展的に取り戻すために、遊戯衝動の概念を打ち立てるのである。しかも、そこで惹起される状態は、人間のなかの神的な傾向と結びついて表れ出るのである。根源的に純化された心意状態は、場所と時間の制限性を無化し、精神と感性の境界を乗り越え、人間の心の内奥から神性を引き出す。それ故、この神々しい心意状態においてのみ、客体である自然、世界と主体である人間との関係は、至高の完成に至る。
次の略語を用いている。
NA : Schillers Werke. Begruendet von J.Petersen. Nationalausgabe. Weimar
1943ff.
(同全集からの引用箇所については本文中に記す。なお、略語に続く二つのアラビア数は、順に巻数と頁数を示す。)
CF : E. Cassirer : Freiheit und Form. Darmstadt 1975.
SS : E. Staiger : Friedrich Schiller. Zuerich 1969.
AS : P.A. Alt : Schiller. Muenchen 2000.
WS : B.v. Wiese : Friedrich Schiller. Stuttgart 1973(1.Auflage 1959).
[i] (『ゲーテとの対話』1825年1月18日 Goethes Werke.Artemis Verlag. Zuerich und Muenchen 1976(1.Auflage 1948).
Bd.24. S144.
[ii] C.v.Wolzogen: Gesammelte
Schriften. Bd.2. Stuttgart 1990. (1.Auflage 1830) S.27.
[iii] 参照。拙論『若いシラーとガルヴェ─シラーの《哲学的書簡》をめぐって─』東北薬科大学一般教育関係論集第15号。2001年。21-24頁。
[iv] 参照。拙論『神・自然・人間(一)─若いシラーの世界観をめぐって─』。仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」4号。1999。41-56頁。『神・自然・人間(二)─若いシラーの叙情詩をめぐって─』。仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」5号。2001年。123-146頁。『神・自然・人間(三)─シラーの二つの卒業論文をめぐって─』。仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」6号。2003年。105-125頁。
[v] CF : S.282.
[vi] 『哲学的書簡』は1786年に雑誌「タリーア」で発表。しかし、執筆に着手したのはカール学院時代と考えられる。参照。拙論『若いシラーとガルヴェ。─シラーの《哲学的書簡》をめぐって─』。東北薬科大学一般教育関係論集 15号。2002年。1-12頁。
[vii] NA 20,10.
[viii] 1787年8月29日付ケルナー宛書簡で、シラーはラインホルトの勧めでカントの著作に触れた感激を伝える。「彼はじっくりカントについて語り、そしてベルリン月刊誌のカントの小論文に早くも触れさせたのでした。[・・・・・]私はきっとカントの著書をもっと読み、そして恐らく研究するようになると思います。」Vgl.NA 24,143.
[ix] シラーは1788年頃にレンゲフェルト姉妹を頻繁に訪れる。彼女たちとの往復書簡に窺えるシラーの自然観、思考法は特に貴重である。Vgl.R.Buchwald: Schiller. Wiesbaden 1959. 474ff.
[x] 1788年1月18日付ケルナー宛書簡で、シラーは「私の詩的な春の花が枯れるとき」と詩作を諦め、歴史哲学の研究に専心する決意を伝える。「この歴史の道による以外に、私は何によって生きてゆけるのだろうか。歴史は私にとって最も実りあるものであり、最も有難いものではないだろうか。」Vgl.NA 25,6.
[xi] SF : S.111.
[xii] いわゆる『カリアス書簡』で述べられる「美は現象における自由である」は、シラーのこの思想的傾向を最も明確に象徴する一つといえる。Vgl.NA 26,182.
[xiii] SF : S.197.
[xiv] SF : S.22.
[xv] NA 22,78 括弧内筆者注。この言葉は、老人ヴォルマールの諫止に対する青年エードヴィンのものであるが、「島」とは老人が指す「幸福の島」のことである。Vgl.NA 22,77.
[xvi] CF : S.299.
[xvii] AS.: S.136.
[xviii] AS.: S.137.
[xix] WS.: S.486f.
[xx] WS.: S.499.
[xxi] WS.: S.499.