仙台ゲーテ自然学研究会「プロテウス」第9号。2006年12月。
過去への憧憬と未来への飛翔
─シラーの『素朴文学と情感文学について』をめぐって─
松山雄三
T はじめに
シラー(Schiller,Friedrich
1759-1805)の生涯にわたる文化活動を辿ってゆくと、此方では生の荒波にもまれて苦悩する人間の心に分け入りつつ、彼方では、理想の人間像と理想の郷を求めて、自他の心の浄化、人間形成に絶えず努めるシラーの姿が浮かび上がってくる。しかも、理想の郷とそこに住まう理想の人間の姿を捜し求めるシラーの視線は、二方向に向かう。シラーは人類の文化的営為を顧みては、過去の古代ギリシャの世界を憧憬し、人類の不断の精神的な陶冶を信じては、来るべき未来の世界に心を飛翔させる。ただし、古代ギリシャの世界といっても、それは歴史においてかつて実在したもの、現実のものではなく、観念によって理想化されて生み出された世界であり、また未来世界の像も、観念によって理想的に創出されたものである。いずれも、観念の無限なる憧憬と飛翔によって描き出される世界なのだ。そしてシラーはこの理想の世界への越境、到達を自他の精神形成の究極的な目標として、文化活動に努める。しかもその理想の世界が観念による無限なる憧憬と飛翔によって生まれ出でるものであるだけに、その世界への参入はまさに無限な精神的純化と向上を必要とする。しかし、有限な生を抱えるシラーにとって、否、人間にとって、その無限な理想の境地に至りつくことだけが本来の目的ではない。目的の達成に向けてなす精神的な陶冶に、生の意義と喜びがある。
さて、シラーの文化活動と一口に言っても、シラーの旺盛な関心が目覚めるにつれて、その活動は実に多岐にわたってくる。その多分野にわたる文化創造の活動を概観すると、大きく三つ、つまり文芸活動、歴史の研究、そして美学哲学の研究に分けることができる。もちろん、これらの文化活動は、あるときは個別集中的になされたときもあるが、大抵は相互補完的、かつ複合的に展開させられており、内容的にも、時間的にも厳密に区分できるものではない。特に、三十代半ば以後、シラーは多面的な文化活動、つまり若い頃から行ってきた文芸作品の創作に加えて、歴史や美学哲学の研究にも意欲的に取り組むようになり、関係論文や作品を多数発表する。実は、シラーは戯曲『ドン・カルロス』Don Carlos(1787)を完成した後、詩的想像力の衰退を自覚し、一時期、作家活動を断念したことがあり、その際にまさに絶望の淵に追いやられていたシラーを救ったのがカント(Kant,Immanuel
1724-1804)の哲学思想であった[@]。まずカントの歴史哲学の思想がシラーを歴史の研究に導く大きな要因になり、しかもこの歴史の研究を通じてシラーの詩的想像の才能は再び息を吹き返すことになる。次いでカントの美学哲学の思想がシラーの学的欲求を目覚めさせ、彼を美学哲学の研究にも打ち込ませることになる。
本論は、シラーのその美学哲学の研究における一つの、しかも思想的に重層的で深遠な結実である『素朴文学と情感文学について』Ueber naive und sentimentalische Dichtung(1795/96)を中心に、シラーが説く人間形成の思想を探ることを目指す。そこで、当該論文の思想的な構築の基盤と背景を知るためにも、美学哲学の分野におけるシラーの活動について概観しておきたい。前述したように、この分野でシラーがその学的探究を深めてゆく契機としてカントの哲学書、特に彼の『判断力批判』との出会いが挙げられなければならないが[A]、この書物との出会いも唐突に生じたのではない。既にカール学院時代(1774-80)からシラーの哲学的な関心は、学院の気鋭の教授J.F.アーベル(Abel,Jakob Friedrich 1751-1829) やJ.Chr.シュヴァープ(Schwab, Johann Christoph 1743-1821)等によって育まれていた。そもそも、シラーはカール学院で医学を学び、暫時、見習い軍医として軍務に就くが、当時の医学は、臨床的なものではなく、多分に思弁的な傾向を含んでいた。
それ故、シラーの第一の卒業論文『生理学の哲学』Philosophie der
Physiologie(1779)や、第三の卒業論『人間の動物的本性と精神的な本性の連関における試論』Versuch ueber den Zusammenhang der tierischen Natur des Menschen mit seiner
geistigen(1780)等では、人間の実体が感性と理性の混合体と見做され、精神と肉体の関わりや人間の心の仕組みについて観念的に論及がなされる。そこには、スコットランドの道徳哲学者A.ファーガスンFerguson,Adam(1724-1816)やドイツの通俗哲学者Chr.ガルヴェGarve,Christian(1741-1804)の思想的な影響とともに、ピエティスムスの宗教観も窺える。シラーは、伝統的な快楽主義や理知主義に偏向的に加担するのではなく、両説を折衷した中庸な啓蒙主義的思想を育む。シラーはその思想的な支柱を、人間愛と宇宙愛に基づいた世界の構築を訴える「幸福への愛」(Liebe zur
Glueckseligkeit NA 20,3)の理念と、人間精神の究極的な純化を求める「完全性」(Vollkommenheit
NA 20,11)の理念におく。しかも、完全性の理念に関して特徴的なことは、シラーが、神の完全性に等しい精神形成を目指す「神的相等性」(Gottgleichheit
NA 20,10)の理念を抱いていることに窺える。後にシラーは、究極的ともいいうる理想の心意状態を求めて、一連の崇高論を展開するが、その学的な関心の素地は既に青年期に培われていたのだった。また、シラーの哲学的な研究活動を文芸活動との絡みから綜合的に考察すると、シラーは、人間的な生の理想像を論理的に構築しながら、現実世界に目を向け、実践的な生を営む上で人間が抱え込む苦悩とその解消、あるいは喜びの道程を、特に演劇舞台という「実践的な智恵のための学校」(NA 20,95)で描出する。つまり、シラーが説く理想世界は現実世界と乖離しているのでない。シラーは、理想の世界像を高く描き出すことによって、苦難多い現実世界で生きなければならない人間に、生に留まりつつ、理想の世界へ心を飛翔させ、病む心に快復と安らぎをもたらし、生への活力を育ませているのだ。
さて、カント思想との邂逅後におけるシラーの思想的な形成に話を移そう。『素朴文学と情感文学について』に先立って書かれた一連の美学哲学論文─特に、いわゆる『カリアス書簡』Kallias Briefe(1793)や『優美と尊厳について』Ueber Anmut und Wuerde(1793)、そして『人間の美的教育について―一連の書簡』Ueber
die aesthetische Erziehung des Menschen,in einer Reihe von Briefen(1795)─において、人間存在のうちに、理性と感性、義務と傾向性、構成美と優美、素材衝動と形式衝動といった対極的な二元を措定し、この対立的な二つの根基の相互的な止揚作用を経て、より高次な精神、究極的には美的な精神を形成することが試みられてきた。そして『素朴文学と情感文学について』においても、前記の一連の美学哲学的な研究におけると同様に、心の調和を失っている近代人が今一度、心の安寧を取り戻す道が説かれる。近代人の近代的存在の所以である理性の覚醒を経て、自然の庇護、神の加護を自ら断った私たちだが、世代を重ねるにつれて、神の楽園を後にしたときの決意を忘失し、しかも歪んだ文化の洗礼を受けたがために、心を病んでしまったのだ。しかし、先に挙げた美学哲学論を概観しただけでも、そこでは、病んだ心が癒され、至福の国に向かうことができる心の道が教示されている。素朴な自然のもとを離れ、文化の国に赴いた人類が、理想の国、第二の自然の郷に至る道が暗示されている。まさに、人間教育の最終段階、否、教育の段階に最終なるものなどあろうはずがなく、理想的な人間の在り様に向けて無限の飛翔へ通じる道がシラーの美学哲学論で説かれている。
因みに、この美学哲学の研究で理論的な構築をみたシラーの人間形成論は、文芸活動、特に戯曲創作で造形される人物像を通じても私たちに伝えられる。1801年に発表された『オルレアンの乙女』Die
Jungfrau von Orleansは、シラーの歴史的な関心を示すと共に、シラーが求める人間形成の一つの在り様を、主人公ヨハンナが示す精神的な純化の道程に込めている。さらに、シラーの最後の完成戯曲である『ヴィルヘルム・テル』Wilhelm Tell(1804)は、シラーの文化活動の集大成であり、さらなる新たな文化的啓蒙の試みと位置づけられる。
それでは、次に論文『素朴文学と情感文学について』の考察に移りたい。
U 素朴論
論文『素朴文学と情感文学について』は、古今の文化、詩人のタイプ、詩文学の種類等を歴史的に考察しながら、普遍的な人間論へと論説を発展させ、理想主義的な思想に基づく人間形成論を説く。その一方で、シラーは詩人として、かつ文化形成の担い手の一人として、自己自身の気質や創作姿勢の在り方について考察を深める。つまり、シラーは己自身について分析的に語りつつも、綜合的な文化論を展開する。まず、自然について語られる。
シラーはいう、「それらは、私たちがかつて在ったところのものである。それらは、私たちが再びなるべきところのものである。私たちもかつてはそれらと同じように自然であった。そして私たちの文化は、理性と自由の道を通って、私たちを自然へと連れ戻さなければならない」(NA 20,414)と。それらとは、自然な心、素朴な心意状態を意味する。しかも、それだけではない。シラーは、古代の人々が宿していた素朴な心を陵駕する自然な心意状態を求める。もちろん、当該論文でシラーが意味する「自然」とは、未来社会に求める崇高な文化と対立的に考えられる未開で、野卑な自然ではない。そのことをまず断っておかなければならない。なぜならば、当該論文とほぼ同時期に思想的な構想が練られ、同時期(1795年)に発表された『人間の美的教育について―一連の書簡』では、美的なものに対峙するかたちで自然が持ち出されているからだ。たとえば、「自然法則」(Naturgesetz NA
20,313)「自然規定」(Naturbestimmung NA 20,313)「自然国家」(Naturstaat NA 20,314)といった言葉が、初めは「道徳的・・・」(moralisch・・・)あるいは「理性・・・」(Vernunft・・・)、後には「美的・・・」(aesthetisch・・・)といった言葉と対立的に用いられている─ただし、第6書簡と第9書簡ではギリシャの自然については賛美する言葉が述べられているが─。B.v.ヴィーゼは次のように指摘する。
「この自然概念は〈粗野な〉〈単なる〉自然とは何ら関係がない。それは美的教育書簡において美的なもの
シラーは『素朴文学と情感的文学について』における自然概念を「自発的な存在、それ自体による物の存在、独自の不変の法則に従う存在」(NA 20,413)と規定する、あるいは同じことだが「静かな創造する生命、それ自体から生まれる安らかな働き、固有の法則に従う存在、内的な必然性、それ自体との永遠の一致」(NA 20,414)を自然であることの条件と見做す。
古の人々はかつて母なる自然に抱かれて、心の安寧を無意識的に享受していた。しかし人間に相応しい存在の確立、つまり人間が独立不羈の精神に目覚め、神の意思に背く行為の実行を決意したそのときから、決意という形でなされた理性の覚醒は、私たちのうちに理性と感性の分裂をもたらすことになった。自立精神の形成にあたってやむをえないことであったが、私たちは心の調和を失ってしまったのだ。しかし、カントと同様に[C]、シラーは神の楽園からの脱出を悔いているのではなく、この人間の行為を人間としての存在確立の第一歩として高く評価する。『モーゼの原典の手引による最初の人間社会についての若干の考察』Etwas ueber die erste Menschengesellschaft nach dem
Leitfaden der Mosaischen Urkunde(1790)で述べられている次の言葉が想起される。
「本能からの人間のこの離脱は、確かに道徳的な悪を被造物にもたらしたが、しかし道徳的な善をそのなかで可能にするためにだけであって、矛盾なく人間の歴史において最も幸福な、最も偉大な出来事であり、この瞬間から人間の自由は書かれ、ここに人間の道徳性に向かう最初の遠く離れた基石は置かれたのだった。」
(NA
17,399f.)
しかし、人間のこの行為を賞賛に値すると認めながらも、他方でシラーは心の浄化によって、心に調和ある状態を再び招来したい、否、何としても取り戻さなければならない、と決意する。近代人の近代的存在の証である理性の覚醒が、心の病を生み出すという、まさに人間存在の宿命とも言うべき生を私たち近代人は背負っている。しかし、私たちが、たとえ清澄な文化の構築と享受を可能にしたとしても、帰りつく自然は、もはや私たちがかつて在った自然と完全に同じ自然であることはできない。なぜならば、私たちの心は原初のままではないからだ。それ故、私たちが帰りつき、至りつくべきところは、自らの心意のうちで、感性的なものと理性的なものとの調和状態を惹起する一つの精神的な自然でなければならない。こうしてシラーは、理想的な自然状態へ私たちを導くことに、近代文化の新たな使命を見出す。ただし、本論の「(1)はじめに」でも若干言及したように、理想的な自然を捉えようとするシラーの視線が、二つの、しかも相反する方向に向けられていることに留意しなければならない。つまり、シラーは、私たちがかつて在った過去の自然と、私たちがやがては見出すべき未来の自然に、熱い視線を送る。
まず、過去の自然に寄せるシラーの賛美の言葉に耳を傾けよう。この自然は、私たちが過去の世界に置いてきたものだった。シラーはいう。
「人間がまだ純粋な、そしてもちろん粗野ではない自然である限り、彼は分かたれない感性的な統一体として、また調和的な全体として活動する。感覚と理性、感受能力と自発能力は、それらの仕事においてまだ分離していなかった。ましてそれらが互いに矛盾しあうこともなかった。」
(NA
20,436f.)
シラーは遠い古の世界を憧憬する。シラーはそこに感性的な統一体として小児の自然性のようなものをみている。シラーは「私たちが自然に愛着する感情は、私たちが過ぎ去った子供の状態と子供らしい無邪気さの時代を嘆く感情によく似ている。私たちの子供時代は、文明化した人類のなかで見出しうる唯一の損なわれていない自然である。それ故、私たちの外の自然の足跡が私たちを子供時代へ引き戻しても、少しも不思議でない」(NA 20,430)と述べる。人間が自己の存在性に目覚める以前、人間は小児のような素朴な心を持って自然のままに戯れていた。人間は固有の文化を持ち合わせていなかったが、自己の純粋な自然のうちに素朴な生を営むことができた。そこで、シラーは、この失ってしまった素朴な自然が宿していた浄福と完全さに寄せる憧れの感情のうちに、心の調和とそこから惹起される心の安寧を取り戻そうとする。その際、シラーにとって、あの古代ギリシャにおける無意識な調和的統一体としての人間の在り様が、理想となって、彼の想念の世界で、人間が歩んできた文化的な道程のはるかに遠い後方で輝いているのだった。
古の世界に寄せる憧憬は、シラーが書き表す様々な文芸作品、歴史研究の書、そして美学哲学論文等に織り込まれている。例えば、シラーの古代体験を綴った作品として知られている『ある旅するデンマーク人の手紙』Brief eines reisenden Daenen(1785年)には、次のような言葉が窺える。
「ギリシャのゲーニウスの全能な息吹を受けて、おまえはこの芸術の殿堂に足を踏み入れる。既にお前の最初の驚きは何か気品に満ちたもの、聖なるものを含んでいる。眼に見えない手がおまえの目の前で過去のベールを取り去るようにみえる。二千年の歳月がおまえの足元に沈み、おまえは突然、高らかに笑っている美しいギリシャの真ん中に立ち、英雄たちの像と優美な女神たちの像のあいだを歩き回り、そしてこの異国の神々の前でギリシャ人と同様に祈る。」
(NA
20,102)
このように、シラーは丁度一年前の1784年5月にマンハイムの古代美術館を訪れた際の感激を記した。そこでは、ギリシャの神々の像が気品と神々しさを漂わせていたことは言うに及ばず、神々も人間と同様に喜怒哀楽の感情を持つ存在として、つまり近寄りがたく孤高を保つ存在としてではなく、人間とともに生を謳歌しつつ、しかも人間より優れた存在として造形されていた。シラーはいう、「ギリシャ人は彼らの神々を、彼らより高貴なものとしてのみ描き、そして彼らの人間を神々に近づけた。一つの家族の子供たちだったのだ」(NA 20,105)と。また、1788年に詠まれた詩『ギリシャの神々』Die Goetter Griechenlandesの次の詩句をみてみよう。
「その頃、詩芸術の美しいベールが、まだ優しく真理を包んでいた。/生命の充実がそこでは被造物を貫いて流れ、もはや今では感受されぬことも感受されていた。/愛の胸元にそれらを引き寄せるために、人々は自然により高い尊敬を払った。全てのものが打ち解けた眼差しを交わし/全てのものが神性の痕跡を留めていた。」
(NA 1,190)
自然の原理に人間の意志が合致していた時代、神々と人間が共生していた郷、そして心のうちに分裂をきたすことなく、生を謳歌していた人々に、シラーは熱い視線を注ぐ。そのような郷に辿りつき、そしてそのような人々と生の至福を共有したかった、とシラーは懐古する。否、シラーは、過去がそのような理想的な世界であって欲しかった、と願い、そしてそのような理想的な世界で遊戯的な生を体感することができたならば、と想像する。しかし、シラーは、素朴な自然の喪失を嘆くだけでなく、喪失と引き換えに獲得したものを十全に認識している。H.コープマンは次のように指摘する。
「自然の喪失が他の面での獲得と結び付いているという認識が、シラー哲学の補完的思考にある。つまり、他の面での獲得とは、たとえば反省能力、さらにまた、実際には既に滅んでしまったものを、技術的な方法で再度構築する能力を意味する。」[D]
しかも、シラーが窮極的な理想とする人間の在り様は、素朴な古の世界で生を営んだ人間の在り様で尽きるのではない。シラーは近代に生を受けた者としての利点、つまり現に存在する自然と一体化していた古代の人々とは異なり、観念の世界において無限に飛翔・遊動できるという近代人の特性の十全なる活用を自他に要請する。B.v.ヴィーゼが「素朴な詩人の危機は、単なる経験の中に、制限と必然の中に納まってしまうことにあり、そして全体としての自然を見失うことにある─全体としての自然について考えたときにのみ、それが自立していて、無限であると見做されるのだが―」[E] と指摘するように、古の人々にあっては思考に理念が独立的に関与することはなく、それ故にあるがままという制限性の中にあるが、そのこと自体も認識されることはない。それと対照的に近代人には、無限の飛翔を可能にする理念の使用によって、古代の人々の在り様を越える生の謳歌が可能なのだ。シラーは1795年10月26日にW.フンボルト(Humboldt, Wilhelm
1767-1835)に宛てた書簡で「全ての近代的詩人の中には、彼らが近代人として共有しているものがあります、つまり全くギリシャ的でないものがあります。そしてそれによって、彼らは偉大な事を達成するのです。(私は私の論文の中でそのことについてかなり広範囲にわたって述べたのでしたが。)それは一つの事実で無制限であるということでして、近代人はその点でギリシャ人より秀でております」(NA28,84f.)と述べる。さらにシラーは続けて彼の意図するところをもっと明確に述べる、「要するに、近代の詩人は理想を実際のこととして扱ったほうが良いのではないでしょうか」(NA 20,85)と。無意識的に自然と一体化していた古代の人々と異なり、近代詩人は思考作業によって理念的に自然を表象しなければならないが、シラーはその思考による無限的な飛翔をむしろ近代詩人の特質として認識する。古代人の素朴な心情を憧憬しつつ、さらにその素朴性を超え出て、清澄で自然な心意状態の醸成を求めることから、近代人による情感的文芸が生まれるのだ。H.コープマンが「シラーがここで改めて高貴化について言及するに至ること、それ故ビュルガー批評の中心概念を持ち出すことは偶然でない。高貴化は情感的な詩文学の目的であり、いわば現代文化の表出としての文学の教育的な使命である」[F]と指摘するように、近代人は高尚な世界像と人間像を掲げ、その高尚な心意状態の醸成に向けて精神的な高揚を図らなければならない
それでは、私たち近現代人が文明化することによって失われた素朴性、つまりシラーが憧憬し、かつ取り戻そうとする素朴性とはどのようなものか。シラーは、この論文の冒頭で、私たちが花や鳥、田舎の人々、小児、原始の人々の風俗、その他様々な自然なものに、愛と尊敬とを感じる所以を、「単にそれが自然であるから」(NA 20,413)、と説く。そしてこのような対象のうちに愛と尊敬の念を感受せしめる条件が、二つ示される。シラーは第一の条件として、「私たちに関心を起こさせる対象が、自然であるか、あるいはそうではなくても、私たちによって自然と見做される」(NA 20,413)ことを、そして第二の条件として、「対象が素朴である、即ち、自然が技術との対比で、技術に恥ずかしく思わせる」(NA 20,413)ことを挙げ、第二の条件が第一の条件に加わるときに、対象の自然性に素朴性が加わると説く。つまり、観察対象が表出する自然性が、技術との比較において、技術に対して優越を示すときに、その対象が表す自然性は初めて素朴的だと感じられる。それ故、私たちが、小児の単純さに素朴性を感じる際には、私たち大人の技術性が小児の自然性と対比され、小児の自然性が大人の技術性に対して優越を示しているのだ。しかも、私たちの観察の際に、小児の自然性と大人の技術性が対比されるということは、当然に、小児の自然性を私たちの外なる対象として捉えていることになる。また花や鳥や、さらに様々な自然現象のうちに私たちが素朴な美しさを感じる際にも、同様なことがいえる。つまり、自然現象が示す素朴性を感じるということは、自然現象が外なる対象として私たちのうちなる技術性と対比され、私たちが私たちの技術性より外なる自然現象の自然性が勝っていると捉えるとき、私たちは初めてこの外的な対象としての自然現象に素朴性を感じる。
さらにシラーは、このような素朴なものを二つの種類に分ける。区別に際してその判定の基準は、道徳的に捉える意志に反するか、あるいはそのような意志に従っているか、にある。もちろん対象を捉えるということは、対象と捉えるものの意志がそれぞれに独立していることを意味する。私たちが対象を素朴と捉える際には、対象の自然性が私たちのうちの技術性に対して優位を示すのだが、それが人間の道徳的な意志に反して生起するとき、シラーはそれを「突発の素朴das Naive der
Ueberraschung」(NA 20,418)と呼び、それが人間の完全な道徳的意識の下に生ずるとき、それを「心情の素朴das Naive der
Gesinnung」(NA 20,418)と呼ぶ。即ち突発の素朴は、もはや人間が自然の懐を離れ、道徳的な意志を持つところでのみ見受けられる。そこでは、人間が「道徳的に自然を否定することができる」(NA 20,418)。これに反して「心情の素朴」にあっては、その人間は「感覚的に自然を否定することが不可能である」(NA 20,418)。それ故、言葉や小児のうちに見られる素朴性は、そこに自然性が技術的なものとの対比において捉えられる限りにおいて生起する。換言すれば、小児の素朴性のうちに私たちは単なる自然性を観るのではなくて、子供における人間的な技術の可能性を、常に反面において予想しなければならない。シラーはいう、「突発の素朴にあっては、私たちはなるほど常に自然を尊敬する」(NA 20,421)が、しかし「これに反して、心情の素朴にあっては、私たちは人格(Person)を尊敬する」(NA 20,421)と。それ故、道徳的な人間といえども、その無意識的な精神のうちに常に素朴な自然性を宿すといわなければならないし、また自然的な人間といえども、彼が素朴なものとして成立するためには、彼の自然性は人間性それ自体のうちに意識されなければならない。
素朴性に判定の基準を置き、しかも自然な素朴性を凌駕するところに真の近代性を捉えるシラーの思想傾向は、彼の天才論にも窺える。シラーは「全ての真の天才は素朴でなければならない。そうでないものは天才でない。素朴さだけが天才に仕立て上げるのであって、知的なものや美的なものにおいて素朴であることは、道徳的なものにおいてもその素朴性は否定されない。規則や弱さを支える松葉杖、間違いを正す厳格な教師など気にせずに、自然のままに、本能のままに、守護天使に導かれていれば、虚飾の全ての罠を静かに安全に通り抜けることができる・・・・・・」(NA 20,424)と説く。しかも、ここでシラーが述べる天才論は、単なる自然としてだけの天才ではなく、むしろ自然を高めるようなものでなければならない。そして自然を高めるためには、自然そのもののうちに自己の何もかも遺棄して自己を参入させるのではなくて、自然に依存しない精神が覚醒していなければならない。つまり、近代の世界における天才は、自己の存在の原理に基づく自立精神を持っていなければならない。シラーは説く、「既知のものの外に出ても、相変わらずそれ自身のままでいることができ、自然を踏み越えることなしに、自然を拡大することができるのは天才だけだ」(NA 20,424)と。天才は、自然を高める精神の働きを、自らのうちに宿していなければならない。
確かに、シラーは天才の自然性を理想にする。しかし、私たち近代人は、この理想的なものに至るためには、あるがままではならず、精神的な浄化を経なければならない。もっとも、その精神的な浄化に際して、古の天才の自然性を凌駕する境地を目指すのだが。それ故、近代人が求める天才の自然は、古の天才の自然より高次的な自然に高まりえるように、常に精神性を予想しなければならない。また近代人は、その精神が自ら理想的な自然を産出するためには、それまで内包していた自然から支配を受けることのないように、まず自然から独立しなければならない。かといって、このような発展する精神を内包すべき天才は、従来、それ自身が内包していた自然性を否定するのではない。天才は、自らの自然性を発展させることができるように、一つの独立した高次的な精神でもある。究極において、近代人が求める天才は、真に人間的な自然であると同時に真に人間的な精神であるように、いわば一つの美的な自然(精神)であらねばならない。即ち、シラーが意味する天才の素朴性とは、単なる技術的な精神に基づけられるものではなくて、根源的に人間的な精神によって産出される自然性にも由来するのだ。
V 素朴詩人と情感的詩人
さらにシラーはいう、「詩人は至るところで、すでにその概念に従えば、自然の保護者である。自然がもはやそうであることができず、そして既にそれ自身のうちで恣意的で技術的な形の破壊的な影響を経験し、あるいはそれでもその破壊的な影響と闘わなければならなかったときに、詩人は証人として、自然の復讐者として登場するだろう。詩人は自然であるか、あるいは失われた自然を求める」(NA 20,432)と。そしてシラーは「自然である」詩人を素朴詩人と呼び[G]、「失われた自然を求める」詩人を情感的詩人と呼ぶ。(Vgl.NA 20,432)またシラーはこの類別を、古代の詩人と近代の詩人とのあいだで窺える詩人としての在り方の相違に当てはめ、古代の詩人を素朴詩人と呼び、近代の詩人を情感的詩人と呼ぶ。なぜならば、素朴な自然性は古代的な人間のうちに、そして失われた自然を求める感情は近代的な人間のうちに認められる、とシラーは捉えるからだ。つまり、古代ギリシャ人は自然そのものであって、古代の人間が抱く感情と、感受の対象である自然が発する自然性とのあいだにギャップがなく、しかしこのことはまた、古代の人間が真の意味において、自然に対する理念的なものを持っていなかったことをも意味する。一方、理性の覚醒を経た近代人は、道徳的な意識の下に文化の構築に努めてきたことによって、古の世には窺えた自然性を次第に失ってしまった。しかし、人間は、自然性を喪失してしまったままでは、真の心の安寧を感じることができない。人間は失われた自然性を憧憬し、自ら理想的に美しい自然を創り出そうとする衝動にかられる、とシラーは説く。過去のものとなってしまった子供時代を懐かしく思うときがあるのと同様だ。その折、時間的な喪失は如何ともすることができないが、子供らしい無垢な心の状態に帰ることは可能だろう、ただし子供から大人への時間的な経過の過程で経験を通して得た意識を無化することができるならばだが。同様に、古の人間と同じ心意状態に戻るに際して厄介なことは、人間が喪失したのは無意識下の心の状態だということだ。しかし、シラーは意識の覚醒を経た人間から、意識を取り除こうとはしない。なぜならば、意識を持つことが近代人の近代的なる存在の所以だから。否、むしろ意識を持つからこそ、人間は自然の喪失を看過することができずに、自然の回復を目指す、とシラーは捉える。私たち近代人が技術的なものにのみ囲まれていることに耐え切れずに、必ず自然的なものを希求するようになること、そこにシラーは芸術の発生、即ち情感的な芸術の発生をみている。因みに、人間が偏向的な心意状態に耐えられず、調和的な状態を求めると見做す思想は、シラーの若年の頃にも窺える。例えば、『良い常設の演劇舞台はそもそもどのような影響を及ぼしうるか』Was kann eine gute stehende Schaubuehne eigentlich
wirken? (1784)には、次のような記述がある。
「悟性の微妙な働きを持続できないと同様に、あるいはそれ以上に、動物的状態を持続できない私たちの本性は、中間的な状態を望んだ。この中間的な状態は相反する両極端を一つにまとめ、厳しい緊張を穏やかな調和へもたらし、そして一方の状態が他の状態へ移る相互的な越境を容易にする。」
(NA 20,90)
それでは、素朴詩人は自然そのものであり、自ら自然に感じるからといって、芸術的なものを産出することができない、あるいは芸術的なものについての理念を全く捉えることができないのだろうか。否、自ら自然に感じることのできる自然とは、精神的なものの欠如、あるいは否定における自然ではなくて、そこに同時に、感情的なものが予想されなければならない。つまり、素朴詩人が自らを自然と感じるときには、その自然は無感覚なものではなく、むしろ技術的なものとの対比においての自然性を意味する。
それ故、古の詩人は、自然性のみを持っていて、人間的な苦悩を知らなかったのではない。古の詩人が詠む作品には、苦悩の芽生えが、既にそこに含まれていた。しかし彼は人間の苦悩を悲劇に取り上げない。そこには感情的なものにおける激しい狂乱はない。彼は描写の手を淡々と動かすが、苦悩を内に秘めながらであった。それ故、彼の自然は単なる自然ではない。素朴的な自然のうちには、感情的なものが、自然に対する理念的なものが含まれているのだ。
すると、古の人間に真の素朴さを求めることはできない。シラーが求める理想の自然性とは、自然と精神の分裂を凌駕した感性的に統一されている人間においてのみ、見出されることができる。また、人間のうちなる精神性と自然性とが理念的に統一されているもの、自然から独立した精神が再び自己自身のうちに自然との理念的な合致を求めるもの、このような理性的に統一されている人間においてのみ、真に自然な情感的なものが見出されることができる。今やこのような意味において素朴的なものと情感的なものとは、古代から近代への発展的な方向のうちに捉えられた二つの人間的類型として、語られる。
素朴な古代人は自然の模倣によって美を描写することができた。しかし私たち近代人は情感的な精神のうちに理想的な美を、美しい自然を産出しなければならない。近代の詩人が産出する自然は、素朴な自然とはいっても、精神的な自覚を経ることによって、より高次的な人間的な自然として、表現されなければならない。それ故に、近代人にとって失われたかつての自然は、彼がそれに向かって努力する理想的な自然のうちにのみ憧憬されなければならない。それは本来的に理想的な自然であるが故に、過去への方向ではなくて、来るべき未来への方向のうちに探されなければならない。こうして情感的な美は、むしろ素朴美を自覚的に捉えることにおいて成立し、またそれ故にこうして希求される素朴美は、それ自身のうちに情感的美への方向性を持つことになる。またその素朴美は、この情感的美において未来的方向のうちに理想として掲げられる。それ故、素朴なものは情感的なものを待ってはじめて現われることができるであろうし、情感的なものは素朴なものを通してのみ真に情感的であることができる。シラーはいう、「それら(素朴的と情感的)は明らかに相互に非常に異なるが、しかしこれら両者を包摂するより高次的な概念が存在する。そうしてこの概念が人間性の理念と一致するとしても、それは決していぶかしく思われてはならない」(NA 20,437)と、さらに「実際、最後に告白しなければならないが、素朴な気質も情感的な気質も、それだけで考察するならば、美的な人間性の理想を完全には表し尽すことができず、その理想は両者の内的な結合からのみ表れ出ることができる」(NA 20,491)と。つまり、素朴なものと情感的なものとは、一方が他方を支配するような関係ではなく、美的理念としての人間性の理念のうちに、高次的な統一にもたらされなければならない対極として、相互的に高め合う関係にならなければならない。それらは、単に古代詩人と近代詩人の在り様、創作の形式で区別されるだけでなく、同時に、やがては止揚的に統合されて美的な理念のうちに自主的に、かつ相互補完的に完成すべく、対極的な位置を占めるものでなければならない。
しかも、こうした素朴詩人と情感的詩人の相互関係は、シラーとゲーテ(Goethe, Johann
Wolfgang von 1749-1832)の関係を思わせるし、シラー自身がそのことを意識してこの『素朴文学と情感的文学について』を書いている。H.コープマンは次のように指摘する。
「シラーが彼の長篇の書『素朴文学と情感的文学について』をゲーテに対してなされた彼自身の本質についての弁護だと理解していたことは、何ら疑いの余地がない。1794年8月23日にシラーはゲーテの気質を特徴づけようとした。そしてシラーは彼がこの書簡の中で書いているよりも遥かに強く自分自身について述べたのだった。要するに、シラーにとって情感的な詩人の理想像に自分を形式化することは、シラーが言葉の最良の意味で素朴だと理解しなければならなかったゲーテの存在に対する解答なのだ。」[H]
確かにH.コープマンが指摘するように、シラーは、この論文を完成した直後、1796年3月21日付W.フンボルト宛書簡で、ゲーテと彼自身を比較した場合に、彼がゲーテと異なる気質であり、ゲーテの優れた気質を認め、「私がいま進んでいる道でゲーテの領域に入り込み、自分を彼と比較しなければならないことは、もちろん本当です。また、私がこの点で彼の傍らに立てば消えてしまうことも確かです」と述べる。しかし、シラーは自らを卑下しているのでない。謙虚な姿勢でゲーテを讃えながらも、シラーは作家としての彼自身の気質と創作姿勢には相応の確信を抱いて、「しかし、私には、私独自なものが、そして彼が決して到達できないものがありますので、彼の優れた点は私と私の創作にとって害にはならないでしょう」(NA 28,205)と述べる。ただし、シラーはいたずらに対抗心をむき出しにしているのではない。彼はゲーテと彼自身の気質の相違をそれぞれに尊重しながら、さらに高次な創作姿勢の涵養を意図する。W.フンボルト宛の同書簡でシラーはさらに次のように述べる。
「私が最も勇気ある瞬間に自分に約束しているように、私たちはお互いに異なる気質だと述べられるでしょう。しかし私たちの気質はどちらかが一方の下位に位置づけられるのではなく、より高尚な理想主義的な類概念の下でお互いに同等に位置づけられるでしょう」。(NA 28,205)
W.フンボルト宛書簡の上記のシラーの言葉からも、『素朴文学と情感的文学について』で説かれる素朴詩人と情感的詩人の類別化とその止揚的な統合の思想は、ゲーテと自らの気質の相違を発展的に捉えようとするシラーの考察からも生まれていることが窺える。
W 牧歌論
N.エラースが「牧歌の章はシラーの論文の心臓部であり、完全なものへの彼の憧れの表出、情感的な詩人による美の王国の具現化への彼の希望の表れである」[I]と指摘するように、シラーがカール学院時代に「幸福への愛」(NA 20,3)の理念と「完全性」(NA 20,11)の理念を支柱に説いている心の在り様と人間関係や、歴史の研究と美学哲学の研究を通じて抱懐するようになる自由と美の王国に、ここで説かれる牧歌の世界像は通底する。
シラーは、情感的詩人にとっての感じ方を、まず「諷刺的satirisch」(NA20,441)と「哀歌的elegisch」(NA 20,441)との二つに大別し、さらに哀歌的な感じのものを、狭義の「哀歌Elegie」(NA 20,449)と最も広義の「牧歌Idylle」(NA 20,449)とに分ける。しかも、これらの感じ方のうちで、シラーは牧歌的なものに関心を向ける。シラーにとって牧歌は、哀歌的なものに含まれるが、それでは広義の哀歌的なものとは「詩人が、自然を技術に、また理想を現実に対比させて、その結果前者の描写が優勢を占め、またこのものについての満足が支配的な感覚となる」(NA 20,448)種類の詩的類型を意味する。この広義の哀歌的なものの一方に、狭義の哀歌的なものがあって、そこにおいては自然と理想が優勢であることが希求されるが、その自然は既に失われており、その理想は未だ到達されていないという哀しみの対象として描出されている。そして他方に牧歌が位置する。この分類の根拠について、N.エラースが簡潔に説明しているので次に挙げておきたい。
「情感的な詩人は、・・・・・・理想への現実の距離を批判的に、あるいは嘲笑的に描写するときには、現実と風刺的に関わる。彼らが理想自体を取り扱って、<理想に寄せる適意が支配的な感情になり>(NA 20,448)、現実への距離の認識が無関係についての嘆きを惹起するときには、現実に対して哀歌的に向かう。それと並んで哀歌の特別な形式があって、その形式では、不足についての感情が完全に押し戻されていて、理想についての歓喜以外に何も残らないほどに、理想が描写されている。またその理想の中では現実が自然として現れている。この特別な哀歌にシラーは特別な名前<最も広義の牧歌>(NA 20,449)を与える 。」[J]
この牧歌は無垢で幸福な人間とそのような人間が遊ぶ郷を描出する。しかも、そのような純朴な人間と清澄な世界は、「文化の開始前に、人類の幼年時代に」(NA 20,467)存在した、と仮定される。しかし、現在の世界ではそのような素朴な人間も世界も現実には見受けられない。それ故、牧歌は「それら(自然と理想)が、現実的なものとして表象されることによって、喜びの対象となる」(NA 20,448)ときに、生まれる。こうして牧歌は、シラーにとって情感的文芸の一類型であり、牧歌においては、自然が技術のうちに、理想が現実のうちに喜びの対象として描出される。
さらにシラーが説くところによれば、牧歌的詩人とは技術的な対象のうちに自然なものを、現実的な対象のうちに理想的なものをみている。それ故、素朴な自然への憧れの感情のうちに、即ち技術的なものを通して、情感的詩人が自己の素朴性を自覚するとき、そこに牧歌が成立する。素朴詩人が技術との対比において見出す自然性は、未だ自然と精神との絶対的な対立を経験していないために、技術性はむしろ自然そのものうちに意識されなければならなかった。これに反して情感的な牧歌にあっては、詩人は自然と精神の分裂の意識を経験しているが故に、自然性はむしろ技術性そのもののうちに自覚されなければならない。G.シュレーダーは、シラーの言葉を引用しながら、情感的な牧歌が招来する状態を次のように解釈する。
「シラーの理解における牧歌が享受者に感じさせる完全な<やすらい>は、<不活発>のやすらいでも、<緩慢な>やすらいでもなく、彼自身の言葉で言うと、<力強いやすらい>であり、そのやすらいは、享受者の必然的な<努力>を補うこともなく、<無限な能力>の自覚に担われている。それは理論の結末で求められる<溶解的な>美の崇高な感受だろう。」[K]
シラーにとって美は精神からのみ生起するのでもなければ、自然からのみ生じるのでもない。精神的なものと自然的なものの高次的な一致が果たされて初めて、美が生まれる、とシラーは見做す。しかも、美の生起の根基となる精神も自然も、理性と感性を同時的に持ち合わせている人間が宿している。つまり、精神は人間が抱く精神であるからには、単なる理性的なものではなくて、感性的なものをも包含する。また自然も人間が捉える自然であるからには、単に感性的なものではなくて、理性的なものをも含む。こうした思考の運びには、人間の実体を感性と理性の混合体と捉えるシラーの人間観が若年の頃から変らずあることが窺える。それ故、人間がうちに抱く精神と、人間が外なる対象で感受する自然性との高次的な合致から、美が生まれるからには、美に至りつく道は二つあることになる。一つは、自然の側から精神性を引き入れて精神との自然的な融合に至る道であり、もう一つは、精神の側から自己のうちに捉えている自然との合致を自覚するに至る道である。そしてシラーが前者の道を辿る者に対して、素朴詩人という呼称を授け、後者を情感的詩人と命名していることは、改めて言うまでもない。特に、近代の詩人をもって任じるシラーにとって、後者の道を経て美の国に至り着くことが重要になる。そこでは、精神と自然、理想と現実が高次的な統一を果たし、より高次的な素朴性が漂う。この高次な素朴性の漂う国が、情感的な詩人が最高の理想とする牧歌の国、エリュシオンなのだ。そして情感的な詩人はこの牧歌の詩的な状態を描出し、「今やもはやアルカディアに帰りえない人間を、エリュシオンへ導く」(NA 20,472)ことを使命にする。P.A.アルトはこの構図「アルカディアからエリュシオンへ」について次のような示唆に富む解釈をしているので記しておく。
「アルカディアからエリュシオンまでという形式は、情感的な牧歌の目標プログラムになっている。ペロポネソス半島の風景であるアルカディアが、自然の美の国ならば、エリュシオンは至福の島であって、古代の神話によれば、人間はそこに死後に辿りつく。情感的な牧歌は、初期の自然の止揚を前提とする理想像を提供する。」[L]
情感的な詩人シラーは、情感的なものを通して達成された、このような人間的な自然、つまり「美的な自然」を、究極の理想として追い求める。この自然への憧れの感情のうちに、シラーは理想的な自然を自ら創り上げてゆく気持ちに駆られる。それ故、シラーは過去へ眼差しを向けながら、同時に未来をも見つめている。また、彼の古の自然への憧憬は、過去の素朴な自然そのものに憧れているのではなく、彼のうちなる精神の参加によって理想化された自然に焦がれており、また他方で未来への方向を持つからには、これまた彼のうちなる精神の造形によって理想化された自然への飛翔を目指す。つまり、過去への視線であろうと、未来へ向けた眼差しであろうと、それらの視線の先には理想化された美しい自然があるのだ。
X むすびに
シラーにとって、美的な自然と人間的な自然は等位でなければならない。それ故に、失われた素朴な過去の自然も、やがて見出されるべき理想的な未来の自然も、人間的な自然である限りにおいてのみ、憧憬され、また目指されるべきなのだ。ゲーテのうちに素朴な詩的傾向性を捉えたシラーは、自ら情感的な作風を自覚することによって、自己のうちなる情感的な性格を意識する。しかしシラーの情感的な感性は、既述したことから明らかなように、古代の素朴性との対立のうちにあるのではなくて、古代への憧れの感情のうちに自覚された近代性であるが故に、古への方向をそれ自身のうちに含むと同時に、古代の素朴性を凌駕する理想化されたものへの飛翔を求める故に、未来的な方向をも含む。
芸術的なものはある時は素朴なものを、ある時は情感的なものを描出しながらも、素朴性のうちに情感的なものを、情感性のうちに素朴的なものを内包する。そして素朴性と情感性という、この二つの極は、互いに相反発しあうものでありながら、しかも同時に全く別個の存在ではありえないために、この両極を統一するより高次の原理が存在しなければならない。B.v.ヴィーゼが「最高の地平で情感的なものと素朴なものの一体化が要求される。あるいは正しく言うならば、極端にまで駆り立てられた情感的なものは、新たにそれ自身から素朴なものを生み出す」[M]と指摘するように、芸術的なものは、素朴なものと情感的なものの相互的包摂を通して、自然の原理と通底する内的必然性と結び付いた自由の境地からのみ生み出されるのだ。
そして、H.コープマンが「これはシラーのこれまでよりも大部の最後の哲学論であった。そして彼はこの論文で理論に長らく別れを告げようと考えたのだった。詩的な計画がますます強く前景に突き進んで来たのだった。彼の哲学的な時期は終わった。新しい詩的な時期が始まった」と述べるように、シラーはこの論文を書き上げた後、『ヴァレンシュタイン』三部作Wallensteins Lager (1798), Die Piccolomini (1799), Wallensteins
Tod (1799)を初め、『マリーア・ストゥーアルト』Maria Stuart (1800)等の創作活動に向かったのだった。
次の略語を用いている。
NA: Schillers Werke. Begrundet von Petersen, Julius. Nationalausgabe. Weimar 1943ff. 同全集からの引用と参照箇所については本文中に記す。なお、略語に続く二つのアラビア数字は、順に巻数と頁数を示す。
[@] シラーはカントの歴史哲学論文との邂逅について、1787年8月29日付
Chr.G.ケルナー宛書簡で記す。Vgl. NA
24,143. シラーが始めて触れたカント
の論文は、歴史哲学論文『世界市民的意図における普遍史の理念』Idee zu
einer allgemeinen
Geschichte in weltbuergerlicher Absicht(1784)と『人類
の歴史の憶測的起源』Mutmaßlicher Anfang
der Menschengeschichte(1786)。 また、カントの『判断力批判』Kritik der Urteilskraft(1790)に寄せる感激
については、1791年3月3日Chr.G.ケルナー宛書簡で述べる。Vgl. NA 26,77.
[A] 注1)参照。
[B]
Wiese,Benno von: Friedrich Schiller. Stuttgart 1978. 4.Aufl.(1.Aufl. 1959).
S.531.
[C] 例えば、カントは『人類の歴史の憶測的起源』で次のように記す。「最初の人類の歴史の叙述から次のことが明らかになる。人間が類の最初の居場所として定められた楽園から抜け出たことは、・・・・・・要するに自然の庇護から自由の状態へ移行したこと以外の何ものでもない。人間はこの変化によって得るものがあったのだろか、失ったのだろうかは、完全性への進歩以外にない類の使命を見れば、もはや議論の余地はない」。Kant,
Immanuel: Kleinere Schriften zur Geschichts -philosophie Ethik und Politik.
Hamburg 1973. S.55f.
[D] Koopmann,Helmut: Ueber naive und sentimentalische
Dichtung. In: Schiller Handbuch.
Stuttgart 1998. S.631.
[F]
Koopmann, Helmut: Ueber naive und sentimentalische Dichtung. (Anm.5). S.631f.
[G] 先行研究が指摘するように、ゲーテについては、シラーは彼を素朴詩人の枠に当てはめている。しかし、そのゲーテも苦悩する人間像を造形していることについて、B.v.ヴィーゼが次のように指摘する。「詩人は時代のなかで時代を超えて?むことが出来る故に、時代の敵対的な世界の中でなお素朴で、自分自身と一体化した全的なものでいることが、ゲーテに許されたのだ。しかしあらゆる詩人の気質はそれにもかかわらず時代と結び付いているので、ゲーテも現代の運命である分裂から逃れられない。それ故、彼の作品のなかで、特に『ヴェルター』Die Leiden des jungenWerther(1774)や『タッソー』Torquato Tasso(1789)のなかで、理想と現実の対立が映し出されている」。Wiese, B.v.:
Schiller. (Anm.3). S.535.
[H]
Koopmann, H.: Ueber naive und sentimentalische Dichtung. (Anm. 5). S.632 Vgl.
Oellers, Nobert.: Schiller. Stuttgart 2005. S.485.
[I]
Oellers, N.: Schiller. (Anm. 9). S.483.
[J]
Oellers, N.: Schiller. (Anm. 9). S.482f.
[K]
Schroeder, Gert: Schillers Theorie aesthetischer Bildung. Frankfurt a.M. 1998.
S.266 なお、<・・・・>は次のシラー全集からの引用。Friedrich
Schiller. Saemtliche Werke. Muenchen(Carl Hanser Verlag) 1980. Bde.5. S.745.
[L] Alt,
Peter Andre: Schiller. Muenchen 2000. Bd.2. S.219.
[M]
Wiese, B. v.: Schiller. S.545.
プロテウス ―自然と形成―第9号 発行日 2006年3月31日 編集委員 相澤伸幸 紺野 祐 笹田博通 土橋 寶 走井洋一 松山雄三 森 淑仁 発行 仙台ゲーテ自然学研究会 連絡先 〒980-8576 東北大学大学院教育学研究科人間形成論講座(笹田) TEL&FAX 022(795)6115 印刷所 東北大学生協・プリントコープ |