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箱守仙一郎博士を偲んで

糖鎖生命科学研究分野において、スフィンゴ糖脂質研究の先駆者そして第一人者として研究に一生を捧げた箱守仙一郎博士。2020年、91歳で亡くなられるその直前まで研究と後進の指導にあたり、教え子たる研究者は全世界に200名以上を数えます。東北医科薬科大学分子生体膜研究所およびその前身の附属癌研究所時代より長きにわたり研究のご指導をいただき、その遺志は広く東北エリアの糖鎖科学の振興を目的とした東北糖鎖研究会の「箱守仙一郎賞」にも引き継がれています。今回は、箱守先生の想い出について、本学で特に薫陶を受けた井ノ口仁一教授、顧 建国教授、細野雅祐教授の3名の方に振り返っていただきました。

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箱守仙一郎
(享年91歳 昭和4(1929)年~令和2(2020)年)

昭和32年(1957年) 12月 東北大学医学部 助教授(医化学)
昭和34年(1959年) 10月 東北薬科大学薬学部 教授(癌研究所第一部)
昭和41年(1966年) 12月 米国ワシントン州立大学公衆衛生学部 教授
昭和50年(1975年) 6月 フレッド・ハッチンソン癌研究所生化学部・部長兼任
昭和61年(1986年) 9月 バイオメンブレン研究所所長兼任
平成8年(1996年) パシフィックノースウェスト研究所 生体膜研究部門長兼任
平成12年(2000年) 米国科学アカデミー 正会員
平成18年(2006年) 4月 東北薬科大学附属分子生体膜研究所顧問および指導教授
  • 薬学部

    井ノ口 仁一 教授 Inokuchi Jin-ichi

    機能病態分子学

  • 薬学部

    顧 建国 教授 Gu Jianguo

    細胞制御学

  • 薬学部

    細野 雅祐 教授 Hosono Masahiro

    分子認識学

箱守先生との出会い

井ノ口私の箱守先生との最初の出会いは、ミシガン大学でポスドクをしていたころでした。1986年の夏、私のボスであるノーマン・レディン教授と箱守先生がお知り合いだったご縁でレディン先生の65歳の記念シンポジウムに箱守先生が招待講演者としておいでになり、私がカバン持ちを務めたのが最初でした。シンポジウム後3人で話していると、我々が開発していた糖脂質の合成を阻害する薬剤(インヒビター)に箱守先生が興味を示され、T細胞の機能についてそのインヒビターを使って共同研究をすることになったんです。

私と箱守先生との出会いも、やはり箱守先生の好奇心がきっかけでした。2002年に立ち上がった糖鎖についてのプロジェクト。そこに箱守先生はアドバイザーとして参加しており、私が糖鎖とインテグリンの関係性についてお話ししたら箱守先生も「非常に興味がある」とおっしゃられて。その後、「私の故郷は仙台で、魯迅にゆかりがあるんだよ。仙台はいいところだよ」とにこにこ話されて。その後、縁があって2004年に本学への教授内定の報を戴き、2006年よりこうして仙台で暮らしつつ、本学で教鞭をとることになったわけです。その後は毎年、先生が本学を訪問するたびにお会いして、研究の報告を兼ねた交流をいただいていました。

細野私が分子生体膜研究所の前身である東北薬科大学附属癌研究所に入所したのは1985年ですが、その頃から箱守先生が仙台に来られる際の、いわばホスト役を務めていました。また1993年にはシアトルのバイオメンブレン研究所にも留学し、そちらでもご指導をいただきました。箱守先生は癌研究所の初代部長だったわけですが、先生から指導を受けられた仁田一雄先生をはじめ、こちらのお二方、井ノ口先生と顧先生が続けて分子生体膜研究所の所長を務められていることも感慨深いですね。

エネルギッシュな研究スタイル

井ノ口箱守先生は、常に自分が率先し、自分で何でも行われる研究者であり、全てを把握したうえで研究者を指導していく人でしたね。そのための努力だったのでしょう、学界に参加される姿勢がすばらしかった。僕が一番最初にお会いした時も、小さな紙袋にノートブックと何本もの鉛筆が入っていて、発表を聞きながら手元も見ずにずーっとびっしり発言を書き留めておられた。すごいスピードで。そういうことの積み重ねでノーベル賞候補にまで到達されたんだと思います。ほんとうに、一週間に1本の割合で毎週新しい研究成果が先生のもとから原著論文として発表されていましたから。すごい活動量でしたね。

細野その探究心の源は、というと、箱守先生のルーツと幼少期の時勢にあったのではないかと思います。箱守先生のご一家には学者が多く、お父さまも東北大学理学部の教授をされていました。そうした、学問が常に身近にある中で育ちながらも、戦争によって勉強はままならぬ状況だったと思います。。そして、箱守先生にとって恩師にあたる東北大学医学部医化学の正宗一先生との出会いが、先生の学問に対するハングリーさに拍車をかけたのではないでしょうか。正宗研はとても盛大で、当時日本の糖鎖研究の最先端に在る研究室でした。その中で「がんを克服する」というひとつの大きな夢に向かって研究を重ねることが、箱守先生にとって生涯の研究テーマになったのだと思います。

箱守先生の研究スタイルは、自分のデータを分析して導き出した自説にさらに検証を重ねて、膨大なデータを蓄積しつつ正確性を確実にしていくものでした。多くの研究者により箱守先生の唱えた説が正しいと証明されていることも、研究の緻密さを物語っています。 がん研究において「糖鎖の合成不全が起こるとがんになりやすい」ということが証明されたのは、大きなエポックです。先見の明とデータ分析力、それをずっと晩年まで続けてきた持続力には脱帽です。また糖鎖研究においてどの国のどのチームがどんな研究を手掛けているか、どんな結果を出しているか、すべて頭に入っている。自分が70歳、80歳になった時に同じようなエネルギッシュさで研究に取り組むことができるだろうか、と怖しくなるくらいでした。

箱守先生の遺志を受けつぎ、
糖鎖研究の未来へ

井ノ口2017年に仙台で行われた、先生が88歳、米寿のシンポジウムでは、結果として最後となる特別講義が行われましたが、その際も将来がんになる細胞とはどういうものか、その定義を投げかけていらっしゃった。いま我々が行っている糖鎖生物学は細胞を対象に行われているが、それは身体全体を含めたものになっていかなければならない、とも講義され、我々が予測するより先の未来を見据えられていました。

細野箱守先生のご研究は、とても身近なところにも関係しています。現在、血液型は主にABO式で識別されるのが一般的ですが、実はABO式血液型抗原は糖鎖であることが分かっています。この血液型にはいくつかのバリアントが存在し、たとえばAB型とO型の両親からO型の子が生まれるケースが稀にありますが、その理由は長い間分かっていませんでした。しかし1990年、箱守先生のご研究により、それが糖転移酵素遺伝子の変異によって起こることが科学的に証明されます。ランドシュタイナーによるABO式血液型の発見から実に90年後の快挙でした。

井ノ口箱守先生は、教育者、指導者としても尊敬すべき方でした。箱守先生が研究を続けたバイオメンブレン研究所には、ポスドクの数だけでも35名くらいいました。それを一人で束ねるというのは、並大抵のことではない。しかもそれを長年続けられたわけですから。優しい方でしたが、優しいだけでなく強いパッションと指導力、決断力のある方でした。時にはサイエンティフィックな激論をかわされることもありましたが、それだけ情熱的だったし、そのパッションが純粋だったから、みんなが尊敬する存在だったのです。箱守先生が遺された糖鎖研究の種子はいま、多様な色彩を帯びた花や果実として、世界の糖鎖生命科学研究に恩恵を与えています。それは、学問的な成果やテーゼとしてだけでなく、先生が育成された研究者が指導者としてさらにその後進を育てるという連鎖をつくります。この東北においても、「東北糖鎖研究会」はすでに発足15年を迎え、東北の若手糖鎖研究者をとりこんで大いに議論し、その研究を全力で応援することによって、箱守先生のスピリットを未来へ繋げていこうと考えているところです。

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