TMPU ACTIVITIES 5
「創造性」をどのようにして実証的に解明するのか?
哲学者から脳科学者への質問
東北医科薬科大学の教員2人が1冊の本を起点として、
最新の脳科学ならびに創造性について考えました。
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家髙 洋 教授 Ietaka Hiroshi
東北医科薬科大学
教養教育センター 哲学教室教授 -
坂本 一寛 准教授 Sakamoto Kazuhiro
東北医科薬科大学
医学部 神経科学教室准教授
起点となる本:『創造性の脳科学:複雑系生命システム論を超えて』
著者:坂本一寛:東北医科薬科大学医学部准教授
「生きものや脳の中で創られるもの、生み出されるものを科学で捉えることができるか。捉えられるとするなら、それはどのようになのか。本書では、そうした疑問について筆者の研究やそれに関連する研究などに基づき述べています。残念ながら「ドラえもんはこうすれば作れる!」までは行けませんが、なぜできないか、できない理由について現在までにどのようなことが解っているのかについて、可能な限り記述しています。」(まえがきより)
「考えることを考える」。
本学における哲学、倫理学、論理学の授業において、家髙 洋教授が大切にしていることです。
「哲学、倫理学そして論理学とは、まず大前提として自分自身に関わる学問です。新たな知識や理論を知るだけでなく、“自分自身が普段どのように考えているのか”をはっきりと知る必要があるのです」家髙先生自身、常に「考えることを考える」ということを実践、その姿勢が今回の坂本一寛先生のご専門とその学問的前提に関する対談へと繋がりました。
坂本 家髙先生とお話する機会になったのは、同行させて戴いた新幹線の中で。拙著である『創造性の脳科学』の67ページについて僕が口走ったのがきっかけですよね。
家髙 はい。アリストテレスは『デ・アニマ(霊魂論)』(邦訳『心とは何か』)の中で、我々はなぜ視覚や聴覚といった異なる感覚を持っているのか、という素朴かつ本質的な問いを発します。そして、その意義を共時性に求めます。彼は述べます。「感覚が同じものに同時に生じるとき、諸感覚は、複数の感覚としてではなく、1つの感覚として」生じるのだと。この部分ですね。
坂本 その話を図書館のスタッフとしていたら、家髙先生がお隣で聴いてらして、興味を示された。
家髙 医学部の先生でアリストテレスについて熱く語る方など、まずいらっしゃらないので(笑)、この方は一体何なんだ、と(笑)。
坂本 この本の帯のフレーズ、「振動する脳、同期する脳、そして創造する脳。複雑系生命システム論の視座から創発脳の深層を斬る」は複雑系理論で高名な合原一幸先生(東京大学大学院 情報理工学系研究科数理情報学専攻教授)に書いて戴いたものなんですが、僕はまさにこの「複雑系」という観点で脳を研究していこう、と取り組んできました。そこにおいてやはり、「同時性」「共時性」「同期性」というファクターが非常に大事なんですね。それで、その意義について何かこう、古くから言及されてる記述や論文がないかなあ、といろいろ読み漁っているんですが、その中でこのアリストテレスの『デ・アニマ(霊魂論)』に出合いまして。これ、クエスチョンが非常にいいんですよね。「どうして我々は、異なる感覚を持っているのか」。
家髙 はい。視覚や聴覚、嗅覚といったさまざまな感覚ですね。
坂本 そう、それは、その背後にあるもの──アリストテレスの言葉でいうところのイデア──を知るためである、と。家髙先生にはまさに釈迦に説法というべきもので、恐縮なのですが(笑)。意味のある同期、その同期をもって背後にあるものを知ろう、ということだな、と私は解釈していて。例えば何かがピカッと光ってドーンと音がしたら、我々は普通、この2つを独立のものとしては考えませんよね。光と音の同期性によって、その背後に「何かが爆発したのではないか」という1つの実体を容易に想像するわけです。けれどもまさにそのために、本来は無関係の物理信号である電磁波(=光)を捉えた視覚と、音波(=音)を捉えた聴覚、その2つのセンサーが同時に何かを検出したときには、その背後に何かそれを起こした原因があると考える方がいいんじゃないか。……というようなことを、アリストテレスもまた言っているんじゃないか、と。
家髙 はい、おそらくはその解釈で正しいと思います。なぜ、異なる感覚器官があるのか。異なる感覚器官があることによって、情報が多面的に解析・構成され、1つのものが見えてくる、解る。
坂本 はい。そして、それぞれ単体に見えていたいろんなものが実は複雑に絡み合っている、「複雑系」の話へと繋がるわけです。
家髙 「複雑系」というのは、概念としてはどのように捉えるべきものでしょうか。
坂本 「覆水盆に返らず」。黙っていると物事は乱雑な方向に行くわけで、こぼしたコーヒーはぱっと広がって元には戻らない。“自然”というものは、基本的にはバラバラな、乱雑な方向に行く、というのが熱力学第二法則・エントロピーの増大則なわけですが、ところがそれが、一見、逆のことが起きる場合があるんですよね。熱とかエネルギーといったものの流れがある時には、バラバラだったものに自然にパターンが形成されたりすることがある。鱗雲とか、混んでる駅の階段に生まれる上りと下りの流れとか。我々生きものも、そういう自然にできた秩序だった状態の延長線上にあるんじゃないかな、と私は考えています。非線形非平衡の自己組織現象。それを別の言いかたで表したものが、複雑系現象。
家髙 その複雑系現象は、ある種のコントロールが可能なものなのでしょうか。線形の事象というのは、人間によってある程度コントロールが可能なのでは、とイメージしています。
坂本 これ、すごくいいクエスチョンですね。近年の動きとしては1つ、私が着任前に所属していた東北大の電気通信研究所において非線形系の長所を利用して自律分散制御のロボットに取り組んでいる事例もあります。
家髙 複雑系、それは自己組織系と言ってもいいかもしれないですね。
2人のお話は『創造性の脳科学』で論じられた 「表面色」、「ランダム・ドット・ステレオグラム」へと移行し、二次元の存在であるはずの網膜が三次元的思考への大きな糸口になっていることの具体的説明へ。ホワイトボードを使用しての不良設定問題を通し、「脳が解を導き出すために足りないものを、脳が積極的に拾いにいっている=複雑系の成せること」を坂本先生が解説します。また、家髙先生は「ディヴィッド・マーの3つのレベル(計算理論のレベル、アルゴリズムと表現のレベル、ハードウェアによる実現のレベル)」についての疑問など、哲学者としての問いかけを続けます。そして話題は、「ヒトをはじめとする生きものはどうやって無限定環境へと適応しているのか」という、坂本先生の原点的問題へと発展。
坂本 不確定性には2つある。1つは、サイコロのような不確定性。どの目が出るかは確率でしかないけれども、1から6までの目が出る、ということは分かっている。だから対処できるわけです。でも、我々が生きる世界は、それすら規定できない。ルーティンに暮らしていても思いがけないことは起き、そういった想定されていない事象にも何らかの策をひねり出して対処するのが生きもの。だから、その思考の背後にある複雑系=自己組織現象を考えよう、というのが僕の研究。無限定環境に適応するための原理とはなんだろう、という疑問が僕の原点なんです。