OB & OG
INTERVIEW 4
Inoue Makoto
1995年3月 薬学科 卒業
1997年3月 薬学研究科 修士課程 修了
2000年3月 長崎大学 博士課程 修了
井上 誠 さん Inoue Makoto
イリノイ大学
アーバナ・シャンペーン校
アシスタント・プロフェッサー
海外で研究することは、毎日が新しい
発見との出会いでとてもキラキラしている。
ぜひ新たな選択肢として
海外で活躍する人がもっと増えてほしい。
東北薬科大学時代の薬学部で学び、現在はアメリカ屈指の名門校であるイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のアシスタント・プロフェッサーとして神経免疫学を研究している井上誠先生。今回は、井上先生が研究者を目指した理由、海外を拠点にした理由などについてインタビューさせていただきました。
Q1現在は、どのような研究を中心にされていらっしゃいますか。
神経学と免疫学を融合した
神経免疫学を研究しています。
経緯としては、東北薬科大学と長崎大学で神経学を、アメリカに渡ってからは免疫学を学び、今現在はそれらを融合した神経免疫学を研究しています。具体的な一例としては、多発性硬化症について研究しています。通常、身体を循環している免疫細胞は外から侵入してきたウイルスや菌と闘って、私たちの身体を守ってくれているのですが、ある状況下ではその免疫細胞が破綻したり、暴走したりして、逆に私たちの身体を攻撃してくることがあります。多発性硬化症はその一つです。多発性硬化症で怖いのは、その暴走した免疫細胞が脳の神経細胞にダメージを与えてしまうことです。その結果、学習機能障害や運動機能障害が起きたり、慢性的な痛みを伴うこともあります。
私たちの今の課題は、「どうして免疫細胞は暴走してしまうのか」、「どのように免疫細胞が脳の神経をダメージするのか」、「何がきっかけで発症するのか」といった様々な「?」を一つずつ紐解いていくことです。
Q2 これまでの多発性硬化症についての研究ではどのような研究結果が出ていますか?
患者さんの苦しみを和らげる薬の提案に向けて
これまでの動物モデルを用いた研究で、子供の時に過度の精神的・身体的なストレスを受けると、免疫細胞や神経細胞の機能が変化し、大人になってから多発性硬化症の病気になりやすかったり、発症すると重篤化しやすかったり、治療薬の効きが悪かったりすることが分かりました。次の段階としては、同様のことが人でも見られるかを検証することです。
うれしいことに、この成果を論文発表した後、「自分は多発性硬化症なのですが」と自らの経験を語るメールがたくさん届いたんです。それをきっかけに臨床医との共同研究により実際の患者さんのアンケートや症例を集積し、ストレスと病気の重篤化や薬の効きやすさに関係性があるか、自分たちがすでに発見しているバイオマーカーがヒト検体でも検出可能かを判断するプロジェクトが始まりつつあります。そのプロジェクトを通じて、患者さんの苦しみを和らげる薬の提案ができればと思っています。
Q3 薬剤師の資格を取りながらも、研究者に。その進路を決めたのはいつ頃ですか。
実習と実験に魅了されて
早々に研究室配属へ
医療の一端を担う、ということを目標に薬学部に入学し、当初は薬剤師になることを目標に勉強していました。私が在籍していた頃はまだ東北薬科大学で医学部が誕生する前ですが、さまざまな経験を積まれた先生方がたくさんいらっしゃって、講義の内容はおもしろかったです。中でも心が躍ったのが実習でした。「動物の臓器にこの薬物をかけたらこう反応します」といった実際に手を動かす実習がすごく好きで、教科書でしか知らなかったことが次々に「体験」になっていくことにワクワクしたことを覚えてます。本来であれば4年次春から配属される薬理学の研究室に、3年生の半ばから通わせてもらえるようになりました。この研究室でお世話になったのが櫻田司先生でした。櫻田先生は、未熟な自分に一から研究の内容や進め方を教えてくださった第一の恩師です。特に、研究をする上での真摯さ、心構えをすごく大事にする方で、その教えに感銘を受けたことが、「研究者になりたい」という意識の芽生えでした。
Q4 海外での研究活動に惹かれたのは、どのようなきっかけですか。
研究の幅を広げたい、という第一希望を叶える上で拠点を海外へ
私が東北薬科大の院生だったとき、後に私の指導者になってくださった丹野孝一先生が海外での研究留学からちょうど帰って来られる、というタイミングに行きあたりました。それまでの私は、実は海外そのものに対する興味が薄かったんです。でも、丹野先生の口からたくさんのお話を聞くことで、海外で生活して研究することに関心を持つようになりました。その後、長崎大学で植田弘師先生のもとで研究を行ったのですが、植田先生はバイタリティーが高く、より良い研究をして成果を上げるために、世界を飛び回っている方でした。私もたくさん海外に連れて行ってもらいました。初めは海外に行くだけでいっぱいいっぱいでしたが、回を重ねることで、さまざまな分野の研究者と話したり、ビール片手に雑談をしたりできるようになり、海外の学会に行くことが楽しくなってきてました。極めつけは、28歳の時にUCLAに1年間留学した時でした。師事したクリス・J・エヴァンス博士が西海岸の海沿いに家を持っていたんですが、家の地下から海に直接カヌーで漕ぎ出せるすごいロケーションだったんです。一度、一緒に釣り竿とワインを手に海に出た時には、「アメリカすげえなあ」とただただ感嘆しました。留学中は研究成果を出すことに必死でしたし、初めての海外生活で大変でしたけど、いろいろな意見を持った人と話せたのは本当に楽しかったです。そんなことから、機会があればまた外国で暮らしたいという思いはずっとありました。その後、研究の幅を広げたい、という第一希望を叶える上で海外に拠点を移しました。
Q5 海外で働く魅力は?
自分の研究に専念でき、
ユニークな多様性が認められています。
日本と比べると、研究成果を上げることに関してはシビアですが、いわゆる雑務は少なく自分の研究に専念できたり、家庭と過ごせる時間を作れるのがアメリカのいいところですね。
これまでのユニークな多様性が認められ現在のポジションを得ることができましたが、ここでも、講義や研究指導において個性が求められています。私は、見て学ぶ、見せて伝えるという実習的な方法で指導することにしてます。見せるという点では、直接研究指導をすることもありますが、発見に向けて取り組む姿を示すこともあります。こうした指導の根底にあるのは、東北薬科大時代の指導教員だった櫻田忍先生の教えです。櫻田先生は2017年3月に退職されて名誉教授・客員教授となられましたが、その後も研究に情熱を注ぐ姿を私や多くの後輩に見せてくださっています。
Q6 海外留学や研究を目指す高校生へのアドバイスをお願い致します。
海外で求められるのは、
何事にも真摯に向き合って、
受け身じゃなくて自分からアクションを起こせる人
私が感じていることとしてですが、海外において求められているのは、何事にも真摯に向き合って、受け身じゃなく自分からアクションを起こせる人、そして、いろんな経験を積んで、それを有機的に結び付けて物事を考えられる人です。医学の分野は、研究人口はすごく多いけれど、病気のメカニズムが未だ解明されていないものがとても多く、未だ完治できない病気が数多くあります。この状態を打破するためには、異なる分野の人がいろんな知識や技術を出し合い、新しい方向から物事をとらえることが必要です。先日まで東北医科薬科大学から河野先生(写真:左から3番目後方)が研究留学として1年間私のラボで研究をしてくれましたが、彼の知識や技術もまた、新しい研究へとつながりました。河野先生自身もこちらで多くの人とコミュニケーションをとり、たくさんの知識を身に着け、多くの経験したことで、今後の研究や教育の幅が広がったものと思います。後輩や後輩になる人達にアドバイスができるとすれば、皆さんもたくさんのことを学び、経験することで、知識や経験を膨らませ、その場に欠かせない人になることを目指してください。そして、いつかどんな形であれ、積極的に医療に携わってくれればとてもうれしいく思います。私もそうなれるよう心掛けています。